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プロジェクト

プロジェクト概要

「新型コロナ対応・民間臨時調査会」(小林喜光委員長=コロナ民間臨調)は、日本の新型コロナウイルス感染症に対する対応を検証するために、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)が2020年7月に発足させたプロジェクトです。日本政府の取り組みを中心に検証してきました。

コロナ民間臨調は、高い専門知識と見識を有する各界の指導的立場にある識者4名で構成する委員会のもと、個別の分野の専門家19名によって構成されるワーキング・グループを設置。委員会の指導の下、ワーキング・グループメンバーが安倍晋三首相(当時)、菅義偉官房長官(当時)、加藤勝信厚生労働相(当時)、西村康稔新型コロナウイルス感染症対策担当相、萩生田光一文部科学相はじめ政府の責任者など83名を対象に延べ101回のヒアリングとインタビューを実施、原稿を執筆、報告書を作成しました。行政官と専門家会議関係者等へのヒアリングとインタビューは、すべてお名前を出さないバックグランド・ブリーフィングの形で行いました。

委員長 小林喜光 三菱ケミカルホールディングス取締役会長、前経済同友会代表幹事
委員  大田弘子 政策研究大学院大学特別教授、元内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)
委員  笠貫宏 早稲田大学特命教授、元東京女子医科大学学長
委員  野村修也 中央大学法科大学院教授、森・濱田松本法律事務所客員弁護士

検証期間
日本で最初の感染者が確認された2020年1月15日とその後の武漢からの邦人帰国オペレーション(第一便は1月29日)あたりから、6月17日の通常国会閉会と翌日のベトナム、タイ、オーストラリア、ニュージーランドとの出入国再開協議開始方針の発表、さらには7月17日の骨太方針の閣議決定あたりまでを検証の対象範囲としました。

検証対象
新型コロナウイルス感染症に対する日本政府の対応と措置を中心に検証しました。BCG接種率、ゲノム、免疫応答の人種差などさまざまな要因――いわゆるファクターX――は主たる対象としては取り上げていません。

記者会見の模様は こちら

報告書

 成果である報告書として、『新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書』を、株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワンから、2020年10月に刊行いたします(電子書籍10月18日、紙書籍10月23日)。今後、報告書の英語版も作成し、世界に発信していく予定です。

 

『新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書』

コロナ民間臨調委員メッセージ

序文 なぜ、「コロナ民間臨調」をつくったか(船橋洋一プログラム・ディレクター)

第1部 「日本モデル」とはなにか

第1章 世界の中での日本の新型コロナウイルス感染症対策及び行動変容の疫学的評価

第2章 命と生計の両立:トレードオフ(二律背反)の挑戦

第2部 新型コロナウイルス感染症に対する日本政府の対応

第1章 ダイヤモンド・プリンセス号

第2章 武漢からの邦人救出と水際対策強化

第3章 専門家の参画と初期の行動変容政策(3密と一斉休校)

第4章 緊急事態宣言とソフトロックダウン

第5章 緊急事態宣言解除

第6章 経済対策

第7章 PCR等検査

第8章 治療薬・ワクチン

第9章 国境管理(国際的な人の往来再開)

第3部 ベストプラクティスと課題

第1章 パンデミック危機への備え

第2章 官邸

第3章 厚労省

第4章 医療・介護提供体制

第5章 専門家会議

第6章 危機対応コミュニケーション

第7章 中央政府と地方自治体

第8章 政策執行力

第9章 国際保健外交

第4部  総括と提言 「日本モデル」は成功したのか:学ぶことを学ぶ責任

特別インタビュー①西村康稔・新型コロナウイルス感染症対策担当相(経済再生担当相)

特別インタビュー②尾身茂・地域医療機能推進機構理事長(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長、新型コロナウイルス感染症対策分科会会長)

ポイント

概略

報告書該当部分

「日本モデル」とは何か

 

本報告書では「日本モデル」を「法的な強制力を伴う行動制限措置を採らず、クラスター対策による個別症例追跡と罰則を伴わない自粛要請と休業要請を中心とした行動変容策の組み合わせにより、感染拡大の抑止と経済ダメージ限定の両立を目指した日本政府のアプローチ」と定義した。第1部第1章において、日本政府が実施した対応と措置が、どのような疫学的な視点と所見をもって行われたのか、それがどのような結果をもたらしたのか。そして、次のパンデミックの波に備える観点から、その結果の中で効果のあったケースと今後に課題を残したケースの疫学的ファクターを分析し、評価した。

第1部第1章

第1部第2章

 

「想定外」だった大規模パンデミック、「備え」の欠如

今回のパンデミックの威力は政府の想定外であり、「最悪のシナリオ」を含め、あらゆるパターンの想定を怠っていた。2012年に制定された新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)は、短期の自粛要請しか想定しておらず、自粛が長期にわたった場合の経済的補償の要否の検討をそもそも欠いていた。実働部隊となる感染研や保健所は年々予算と人員を減らされていた。PCR検査の検査能力は当初一日300人程度にとどまった。厚労省幹部は「喉元を過ぎると熱さを忘れてしまった」と反省の弁を述べた。

第3部第1章、第3部第2章

試行錯誤の連続だった官邸の司令塔機能構築

(1月下旬~)

1月23日、武漢ロックダウンを受けて1月26日から総理連絡会議を開始。最初の議題は武漢からの邦人帰国。各省からの情報が総理連絡会議に伝えられ、省庁横断的に情報共有される仕組みとなった。官邸はさらに3月中旬から、各省庁の縦割り行政の隙間を埋め、官民と自治体を連携させるタスクフォースを起動させた。「総力戦でやらざるをえなかった」と菅官房長官が振り返るように、前例やマニュアルがない中、官邸の司令塔機能の構築は試行錯誤の連続であった。

武漢邦人救出の経緯は第2部第2章。官邸のガバナンスは第3部第2章。

ダイヤモンド・プリンセス号、批判と誤解を招いた危機コミュニケーションの失敗

(2月上旬)

2月4日、ダイヤモンド・プリンセス号(DP号)が横浜入港後に実施したPCR検査で31名中10名の陽性が確認されると、政府に衝撃が走った。同24日深夜、菅官房長官を中心に関係大臣、危機管理監、関係省庁幹部が集まり、それ以降、連日夜、都内のホテルで対応を協議した。個室管理等の徹底により船内の乗客の感染拡大は実際にはある程度抑止できていたにもかかわらず、逐次的な感染者数の公表等により世間に誤解を与えた。下船する乗客へのPCR検査実施の範囲については、官邸と厚労省の間で当初大きな考え方の隔たりがあった。

第2部第1章、第3部第6章、第3部第9章

突然の一斉休校指示

(2月26、27日)

2月24日の専門家による「瀬戸際」発言が「ターニングポイント」(官邸スタッフ)となり、総理室は急遽方針を転換して大規模イベントの自粛と全国一律の一斉休校要請を決断した。突然の指示に萩生田文科相は「もう決めたんですか」と不満を述べるとともに「本当にやるんですか、どこまでやるんですか」と疑問を呈したが、最後は安倍首相が「国の責任で全て対応する」と引き取った。安倍首相は、この一斉休校を難しい判断であったと振り返り、当時は学校でのパニック防止と、子どもから高齢者への感染拡大を懸念していたと述べた。

第2部第3章

欧州からの流入阻止の遅れ

(3月)

感染研の調べによれば、3月中旬以降、欧州等で感染した人々の流入が、国内での感染拡大の一因となった。専門家会議は3月17日に「要望書」という形で政府に水際対策の強化を求めた。実は当時、官邸の一部も欧州からの流入を懸念していたが、一斉休校要請に対する世論の反発と批判の大きさから消耗していたこともあり十分な指導力を発揮することができなかった。ある官邸スタッフは、「今振り返るとあのとき欧州旅行中止措置をとっておくべきだったと思う。あれが一番、悔やまれるところだ」と忸怩たる思いを吐露した。

第2部第2章、第2部第9章

都知事「ロックダウン」発言で遅れた緊急事態宣言

(3月下旬)

3月23日に小池都知事が「ロックダウン」に言及し、東京都で食料品の買い占め等が生じた様子を目の当たりにした官邸は、緊急事態宣言発出により国民が一層のパニックに陥るのではないかと懸念した。こうした誤解を払拭するまで緊急事態宣言は発出すべきでないとの慎重論が政府内に広がった。西村コロナ対策担当相は都知事の発言が「一つの大きなターニングポイントになった」と述懐し、ロックダウン発言によって「結果としては緊急事態宣言が遅れた部分があったと思います」と振り返った。さらに、官邸の戦いには、感染症拡大と経済社会の維持のほか、都道府県知事との権限調整をめぐる戦いもあった。東京都の休業要請など、より強い、積極的な措置を志向する地方自治体のリーダー間の競争を背景に、中央政府を中心とした調整は難航した。

第2部第4章、第3部第7章

安倍首相「一番難しかったのは緊急事態宣言」

(4月7日)

安倍首相は、一番難しかった決断は緊急事態宣言を出すことだったと述べた。強制力を持たない宣言の脆さについて、8割削減が達成できるか「心配だった」と不安の中での宣言だったと語った。その上で、「あの法律の下では国民みんなが協力してくれないことには空振りに終わってしまう。空振りに終わらせないためにも国民の皆さんの気持ちと合わせていかなければならない。そのあたりが難しかった」と振り返った。宣言に対しては菅官房長官はじめ政府内では経済への配慮から慎重論が強かった。菅長官は経済、中でも経済弱者への負担が巨大になることを懸念していた。

第3部第2章

命と生計を両立させるため「維持と継続」の経済対策

感染防止と経済活動の二律背反(トレードオフ)関係は、政府に難しいジレンマを突き付けた。この克服のため、政府はソフトロックダウンによる行動変容政策に加え、「雇用の維持と事業の継続」(緊急経済対策の柱の一つ)を目的とした大規模な経済・財政・金融政策を実行した。企業側に史上最高水準となる豊富な内部留保が存在したことや、もともと慢性的な人手不足状態であったなどの外部要因も重なり、少なくとも7月までの対応においては企業の倒産件数と失業率の急上昇は回避することができ、まずまず健闘したといえる。しかし、財務省幹部は「単に今ある事業は全部継続させるべきだという発想は、経済の発展にとって望ましくない」と述べ、このような形での「雇用の維持と事業の継続」の経済対策の再現性に疑問符をつけている。

第1部第2章

第2部第6章

 

 

官邸と専門家会議の「交渉」:接触機会「最低7割、極力8割」削減、緊急事態宣言の解除基準

(4~5月)

危機下の感染拡大防止と経済・生活の維持の「両立」の最適解を求めて、官邸と専門家会議は時に衝突し、双方の「交渉」(専門家の一人の表現)を余儀なくされた。その一例が「最低7割、極力8割」の接触機会削減の方針だった。尾身諮問委員会会長は、「数理的な前提をおいて計算するとそうなるという予想を政府に申し上げたら、理解したけれども、8割だけ言うというのは採用できないと、非常にはっきり言われました」と振り返った。最後は、安倍首相と尾身諮問委員会会長とのトップ同士で話し合い、7割も8割も両方とも残す表現にすることで「交渉」は妥結した。

両者はまた、緊急事態宣言解除の基準をめぐっても衝突した。官邸スタッフによれば、専門家会議の「直近2週間の10万人あたりの累積新規感染者数が0.5人未満程度」の数値基準案に対して安倍首相は「東京都で解除できなくなる」、菅官房長官は「一桁違うのではないか」と難色を示した。最後は「直近2週間」を「直近1週間」とした上で、「0.5人未満程度」を満たさない場合であっても、感染経路の不明割合等を加味して判断することで合意した。

第2部第5章、第3部第5章

マスク需給逼迫の中、値崩れ効果を狙った「アベノマスク」について官邸スタッフは「総理室の一部が突っ走った。あれは失敗」と認めた。

(4月~)

4月1日に安倍首相が発表した1世帯当たり2枚の布マスク全戸配布、いわゆる「アベノマスク」は、厚労省や経産省との十分な事前調整なしに首相周辺主導で決定された政策であった。背景にあったのは、使い捨てマスクの需給の逼迫。値崩れ効果を狙ったが、緊急経済対策や給付金に先立ち、政府の国民への最初の支援が布マスク2枚といった印象を国民に与え、政策コミュニケーションとしては問題の多い施策だった。配布の遅れもあり、官邸スタッフは「総理室の一部が突っ走った、あれは失敗だった」と振り返った。

第3部第2章、第3部第8章

PCR検査の「目詰まり」と戦略の曖昧さは「日本モデル」のアキレス腱

パンデミックへの備えを怠ったため、政府はPCR等検査を広範に実施することができなかった。そのことに対する国民の不安と不満、そして不信が募った。厚労省のこうした姿勢は世論の強い批判と世界の対日不信を懸念する官邸との間に緊張をもたらした。安倍首相は5月4日、その状態を「目詰まり」であると発言し、厚労省に圧力をかけた。それに対して、厚労省は「不安解消のために、希望者に広く検査を受けられるようにすべきとの主張について」と題された内部限りの資料を用いて、「広範な検査の実施には問題がある」との説明をひそかに官邸中枢と一部の有力国会議員に行った。厚労省の資料は広範なPCR等検査の導入を求める主張への反論に過ぎず、検査体制戦略を明確にしたものではない。結局、7月16日、分科会が「検査体制の基本的な考え・戦略」をまとめ、ここで初めて戦略が固まった。PCR等検査が開始されてから、すでに半年が経過していた。日本政府部内でのPCR等検査をめぐるくい違いとそれに対する曖昧な説明と姿勢は「日本モデル」のアキレス腱となった。

当時、厚労省が説明に用いた内部資料を、報告書巻末に収録した。

第3部第3章、第2部第7章

欧米型の医療崩壊はなぜ起こらなかったのか

日本は、東京都など特に感染者が多かった地域で医療崩壊寸前の厳しいところまで行ったが、何とか乗り越えることができた。2009年の新型インフルエンザパンデミックの経験から疑似症患者が直接医療機関に押しかけないようにしたことや、DP号の経験から生み出された「神奈川モデル」にならった患者・医療資源の適正配置、日本の優れた集中治療が最後の防波堤となり死亡者を減らした。日本のECMOの治療成績は、世界各国と比べて非常に優れていた。また、高齢者施設の常態的な感染症対策も死亡者数減少に寄与した。日常的に訓練ができていた医療機関・介護施設は速やかに対応ができた。一方で、医療現場は個人防護具(PPE)や消毒液が不足していたため相当の混乱と負担があった。人材、資材、資金のすべてが充足しないと医療、介護は容易に崩壊する。新興感染症対策に備えての高度な医療人材育成は喫緊の課題である。

第3部第4章

なぜ専門家会議は「前のめり」になったのか

専門家たちは「3密」の発見などを通じて感染拡大抑止の対策立案の際のリスク分析・評価などの科学的助言の面で大きな役割を果たした。しかし、対策・政策の発信までも専門家が担う状態が生まれた。ある意味、彼らは「官邸に利用された」(厚労省関係者)のだが、彼らの役割と影響力が高まると、今度は「ありがた迷惑」(官邸スタッフ)な存在とみられるようにもなった。6月24日、専門家会議の「廃止」(西村コロナ担当相)発表と同じタイミングで、自分達の反省と政府への苦言を「前のめり」という表現に込めて発表した「次なる波に備えた専門家助言組織のあり方について」(いわゆる「卒業論文」)の発表の内実を、尾身氏は明らかにした。政府は専門家会議との協同を効果的に行ったが、専門家会議とのより丁寧な対話を行い、また専門家会議の役割を国民にもっと明確に周知、理解させるべきだった。

第3部第5章、第3部第2章

加藤厚労相「デジタルトランスフォーメーション(DX)の遅れが最大の課題」

国民一人当たり10万円の特別定額給付金の支給において、日本ではマイナンバーと振込先の金融機関口座が紐づけられておらず、政策執行に時間を要した。感染症対策の出発点となる患者発生動向等の把握(サーベイランス)の脆弱性も政府対応の足を引っ張った。患者発生届の手書き、FAX、システムへの手入力などアナログな仕組みは、全国的な感染拡大状況のリアルタイムでの把握を困難にし、保健所職員を疲弊させた。厚労省は慌てて患者情報把握のためのHER-SYSと医療機関の人員・物資の備蓄状況を網羅するG-MISの開発に取りかかり、情報共有の効率化・迅速化を図ったが、その本格的な導入・展開は5月以降までずれこんだ。新型コロナウイルス危機は、日本の「デジタル敗戦」でもあった。加藤厚労相は「デジタルトランスフォーメーションの遅れが最大の課題だった」と「敗戦」の弁を語った。

第3部第8章、第4部

国境再開は、「検査能力の関数」

パンデミックが世界に拡がるとともに、各国は国境を閉鎖した。人の移動、モビリティの権利を強力に制限し、国境を次々と閉鎖することは、これまでの国境管理の考え方からすれば「禁じ手」であった。欧米にならって日本も入管法などの法制度を援用して「鎖国」に踏み切ったが、その後、茂木外相のイニシアティブもあり日本は国際的な人の往来再開を進めてきた。しかし、ここでも「国境をどこまで開けられるかは、検査能力の関数」(内閣官房幹部)であり、検疫のオペレーション強化がカギとなった。

第2部第9章

コロナ対応は「泥縄だったけど、結果オーライ」

8月28日、安倍首相はコロナ対応を振り返り、「今までの知見がない中において、その時々の知見を生かしながら、我々としては最善を尽くしてきたつもり」と述べた。官邸スタッフはその実態を次のように表現した。

「泥縄だったけど、結果オーライだった。」

第4部

 

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出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン
ISBN:978-4-7993-2680-0

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