日本の安全保障「現実に即した転換」が急がれる訳(尾上定正)


「地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/635168

「地経学ブリーフィング」No.132

(画像提供:Office of the North Korean government press service/UPI/Aflo)

2022年11月28日

日本の安全保障「現実に即した転換」が急がれる訳 - 新国家安全保障戦略に求められる3正面への対応

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)/地経学研究所 シニアフェロー
地経学研究所 国際安全保障秩序グループ・グループ長
第24代航空自衛隊補給本部長;空将(退役)尾上定正

 
 
 
 
 

【特集・新国家安全保障戦略のリアル(第1回)】
国家安全保障戦略、防衛計画の大綱および中期防衛力整備計画(戦略3文書)の見直しに向けた政府の検討がヤマ場を迎えている。わが国で初となる現国家安全保障戦略が策定されたのは、第2次安倍政権下の2013年12月のことであり、その後、日本の安全保障環境は激変した。

リベラル国際秩序は大きく後退し、世界は米中対立に象徴される自由主義民主体制と権威主義独裁体制の競争構造へと変貌した。今年2月に勃発したロシアによるウクライナ侵攻は、国家間の大規模な軍事紛争が現実の脅威であることを示している。日本は、巨大化した経済力と強大化した軍事力をもって台湾併合を狙う中国、核・ミサイル能力の強化に邁進する北朝鮮、そして核大国で交戦中のロシアという3正面への対応を迫られている。

一方、唯一の同盟国たるアメリカは相対的な国力の低下と国内の分断に悩まされ、日本を含む同盟国やパートナー国との共同に依存する意図を明らかにしている。また、情報通信技術等の著しい進歩によって、今後の「戦い方」は従来の陸海空から宇宙・サイバーへ、さらには認知領域へと広がり、軍事だけでなく外交・経済・情報・技術等のあらゆる手段を動員する総合戦となることが確実だ。

これらを踏まえると、新戦略文書は現存する脅威に対処し、抑止するリアルな戦略に転換する必要がある。わが国が直面する恐れのある事態と戦い方を具体的に想像し、保持すべき能力や体制を総合的に導き、所要の資源を投資して、脅威に備えなければならない。同時に、新戦略はインド太平洋の平和と安定を守るというわが国の意思と進路の国際社会に向けた宣言とする必要がある。
 

新国家安全保障戦略の脅威認識

新戦略の最も重要な課題は、現存する脅威に対しどのようにリアルな処方箋を描けるか、である。すなわち、わが国の死活的国益に対する最も深刻な脅威を特定し、脅威の顕在化を抑止すること、抑止が破れた場合でも有効な対処によって国益の棄損を局限することを目的に、最適な手段と方法を編み出す作業の回答だ。

現戦略策定時から最も深刻化したのは、強大化した軍事力を背景に、尖閣諸島や台湾海峡の現状変更を追求する姿勢を強める中国である。第20回共産党大会で異例の3期目就任を果たした習近平総書記は、自ら掲げる「中国の夢」の達成には台湾統一が不可欠であり、その手段として武力行使を否定しないと明言している。

側近で固めた常務委員会に後継者候補が見当たらないとする指摘を踏まえれば、事実上の独裁体制の習主席が4期目を睨む10年間に、中国の脅威を、尖閣や台湾への軍事侵攻という日本の死活的国益を脅かす現実の事態に顕在化させないことが新戦略の主題となろう。

各種ミサイル戦力や無人機等の圧倒的優位に自信を深める中国に対し、「台湾有事」を仕掛けても必ず日米を中心とする国際社会が強く対応し、失敗すると思わせるのは、現状のままでは至難の業だ。ウクライナの教訓も引き合いに、中国がいかなる作戦や戦術を凝らしても、台湾と日米の共同対処戦略が大きなコストとリスクを強いることを明記し、習近平を抑止する説得力のある記述が必要だ。現戦略策定時から最も深刻化したのは、強大化した軍事力を背景に、尖閣諸島や台湾海峡の現状変更を追求する姿勢を強める中国である。第20回共産党大会で異例の3期目就任を果たした習近平総書記は、自ら掲げる「中国の夢」の達成には台湾統一が不可欠であり、その手段として武力行使を否定しないと明言している。

側近で固めた常務委員会に後継者候補が見当たらないとする指摘を踏まえれば、事実上の独裁体制の習主席が4期目を睨む10年間に、中国の脅威を、尖閣や台湾への軍事侵攻という日本の死活的国益を脅かす現実の事態に顕在化させないことが新戦略の主題となろう。

各種ミサイル戦力や無人機等の圧倒的優位に自信を深める中国に対し、「台湾有事」を仕掛けても必ず日米を中心とする国際社会が強く対応し、失敗すると思わせるのは、現状のままでは至難の業だ。ウクライナの教訓も引き合いに、中国がいかなる作戦や戦術を凝らしても、台湾と日米の共同対処戦略が大きなコストとリスクを強いることを明記し、習近平を抑止する説得力のある記述が必要だ。
 

整合性のある非核化と抑止の理論が求められる

「核兵器の小型化および弾道ミサイルへの搭載の試み」を続ける北朝鮮を、現防衛計画の大綱は「わが国に対する重大かつ差し迫った脅威」と認定している。一方、アメリカの国家安全保障戦略(2022.10.12)は、「北朝鮮の大量破壊兵器とミサイル脅威に対する拡大抑止を強化しつつ、朝鮮半島の完全な非核化に向けた明確な進展を図るため、北朝鮮との外交関係の維持を追求する」とされており、日米の脅威認識にはギャップがある。

プーチン大統領が核兵器による恫喝を実行し、実際に使用される可能性が深刻に懸念される状況がある中、北朝鮮に対するアメリカの拡大抑止の信頼性をいかに確保するのか、またわが国独自の反撃力の保有によって日本および日米同盟の抑止力をどう強化するのか。新戦略には、日米に韓国も加えた、整合性のある非核化と抑止の理論が求められる。

さらにロシアはウクライナを支援するわが国を敵視し、中国との軍事的な連携を強めている。日本は、中国、北朝鮮、ロシアという質と量は異なるが、いずれもリアルな脅威に最前線で対峙している。日米共同を基本に、まずは日米共通の最大の「挑戦」である中国への対応戦略を固め、そして韓国とも共同する対北戦略、NATOと協調する対ロ戦略を練る必要がある。
 

戦略実行に必要な手段とコスト

国家安全保障戦略には、脅威に対処するための具体的な手段をどのように確保し、使用するかが明示されなければならない。同時に、手段を確保するための予算や人員、所要期間等の資源配分の裏付けが必要だ。

現戦略は、その戦略的アプローチとして、まずわが国自身の能力強化を掲げ、総合的な防衛体制の構築、サイバーセキュリティの強化、情報機能の強化等10項目を挙げている。策定当時は先見的なアプローチであったものの、これらの能力が十分に強化されてきたとは言いがたい。新戦略の策定に当たっては、なぜ国家安全保障の基本指針に明記されながら必要な強化が為されなかったのか、原因を把握し、その教訓を生かさなければならない。

例えば、総合的な防衛体制の構築には相応の予算や人員が必要だが、9年間の防衛費の伸びは微増にとどまった。そこには、「防衛計画の大綱」に由来する予算の制約や「専守防衛」という硬直した思考があるのではないか。APIの細谷雄一研究主幹は「野党と世論を懐柔するため、防衛力整備に次々縛りをかけ、気づいたらがんじがらめになってしまった」と指摘する。

現在、防衛費を5年以内にGDP比2%をメドに増額するため、防衛省以外の防衛関連予算を繰り入れた「総合防衛費」の導入や恒久財源の議論が行われている。重要な論点だが、いまだに予算主導の議論にとどまっていないか。より必要なのは、現存する脅威に対処する手段と方策についての、従来の縛りを解き放った戦略主導の議論である。

戦略主導の議論は新領域にも必要だ。ウクライナ戦争は、グレーゾーンのハイブリッド戦と本格的軍事侵攻の全領域作戦の両方に備える必要を示した。その両方に共通するのがサイバー戦である。サイバー能力は、現戦略策定以降、外交・経済・軍事・情報に匹敵する国力の一要素とされるほど重要性が高まった。にもかかわらず、日本の対応は最も遅れている。

従来の時間・空間の概念を超えた領域に、不正アクセス防止法等の従来の法の縛りをかけるのは無理がある。中国の17万人超のサイバー専門部隊に対し、540人の自衛隊サイバー防衛隊と官民・省庁の縦割り体制では対処不能と言わざるをえない。政府の一元的な指揮統制の下、サイバー領域において国全体を防衛するサイバー防衛体制を、コストをかけてでも早急に実現する必要がある。
 

国家安全保障の戦略体系

現戦略が2013年に策定されるまで、わが国は「国防の基本方針」(1957年5月20日 閣議決定)に基づき、国の安全保障を担保してきた。文字数にしてわずか300字に満たない「国防の基本方針」で済ませられたのは、東西冷戦という安定した国際構造の下、圧倒的に強力なアメリカとの同盟がわが国の安全を保障できたからだ。実際には、防衛政策の指針として1976年に初めて「防衛計画の大綱」が閣議決定され、「基盤的防衛力」構想が採られたことで、戦略的思考や議論が封じられてきた。

島田和久前防衛事務次官は、この「大綱」は防衛力を抑制しようとする発想で、人員、戦闘機、艦船などの保有上限を決め量的制限を課すものであり、同時期に経費で制限を課す防衛費GDP比1%枠が決まったと指摘する。さらに1986年に中曽根政権で1%枠が撤廃された際には、代わりに新たな歯止めとして「中期防衛力整備計画」が導入され、5年間の防衛費の総額や防衛装備品の調達数量の上限をあらかじめ定め、各年度の予算で防衛費の伸びを抑えてきた。

この背景にはアメリカが作りだした平和に依存し、自助努力は極小化するという発想があったとし、この発想は変えるべきだと主張する(Themis、2022.11)。今回の戦略見直しにおいては、島田前次官の主張を傾聴し、日本が主体的に自国を守る戦略と抜本的防衛力強化を図るための戦略体系を構築する必要がある。

自民党は「新たな国家保障戦略等の策定に向けた提言」(2022年4月26日)の中で、現行の戦略3文書を見直し、新たな国家安全保障戦略、国家防衛戦略、アメリカの国家軍事戦略を参考とする戦略文書(防衛省で検討)および中長期の防衛力整備計画の策定を求めている。戦い方を示す戦略と防衛力整備の計画を分離し、体系化を目指す適切な提案だ。

新たな戦略・計画の射程は、本稿で指摘した論点のほかにも経済安全保障など幅広いが、いちばん重要なことは、戦後日本の国内事情に縛られた安保政策をリアルな国家安全保障の戦略へと転換させることである。
 

(おことわり)地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、公益財団法人国際文化会館及び地経学研究所(IOG)等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。
 

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