中国の市場化改革「最終段階」における重要な課題(梶谷懐)


「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一 研究主幹、慶應義塾大学法学部教授、ケンブリッジ大学ダウニング・カレッジ訪問研究員)。

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/583264

特集 日中国交正常化50周年「中国を知る。日中を考える」(2022年2月~)
API地経学ブリーフィングでは、2022年の日中国交正常化50周年を記念して、「中国を知る。日中を考える」シリーズの連載を開始しました。論考一覧はこちらをご覧ください。

「API地経学ブリーフィング」No.102

(画像提供:Shutterstock)

2022年4月25日

中国の市場化改革「最終段階」における重要な課題 - カギを握る要素市場改革とこれからの中国経済

神戸大学大学院経済学研究科教授
梶谷懐

 

 

 

 

成長戦略のカギとなる要素市場改革

米中対立の先鋭化以来、先行きに不透明感がぬぐえない中国経済は、今後どのような戦略の下で、持続的な成長を目指していくのだろうか。筆者は、(生産)要素市場改革がその趨勢を見るうえで重要なカギを握るのではないかとみている。

中国共産党はすでに2020年3月の段階で、「生産要素市場のより完全な配置体制とメカニズムの構築に関する意見」という文書を発表している。同意見書は、土地・労働・資本に技術・データを加えた5大生産要素について、

①市場メカニズムに従い、効率性の高い配置を実現する

②生産要素のスムーズな移動を阻害する制度的要因を撤廃し、要素市場の構築と発展を促進する

という方向性を強調した。

これを引き継ぐ形で、今年の1月に国務院は「要素市場化総合改革試点総体法案」を発表し、5大生産要素の市場化に向けた具体的なプランを明らかにした。その注目すべき内容としては、市場を通じた土地資源の効率的な利用、労働者の技術・技能を評価できるシステムを通じた労働市場の流動化、新技術の知的財産権保護やデータの流通に関するルール・制度の整備、などがある。

同文書は2025年までに、これらの一連の改革において「画期的な成果」を収めることを目的に掲げている。これらの取り組みに関しては、2022年3月に行われた全国人民代表大会でも詳しい報告が行われた。

 

これまでの制度改革との連続性

このような要素市場改革は、1980年代より進められてきた中国の市場化改革のいわば「最終段階」に位置づけられる。要素市場改革はこれまで実行が困難だった制度改革とも深く絡んでおり、また生産要素の移動によって特定地域の経済がダメージを受けかねないことから、これまで「後回しにされていた」という側面があるからだ。

これまで行われてきた制度改革との連続性としては、まず土地改革に注目したい。中国農村では近年、これまでの土地制度改革の1つの到達点として、農地の「三権分置改革(所有権・請負権・経営権を分離する改革)」が実施された。

これは、土地に対する農民の権利を、譲渡不可能な「請負権」と譲渡可能な「請負経営権」とに分離し、後者の流通と開発を進めようとするものである。ただ、従来の土地改革は地方政府の圧倒的な権限の下で進められており、このために非効率な分配や政府と開発業者との癒着を招きやすかった。要素市場改革ではそれを打破し、全国的に統一された市場メカニズムを作る方針が示されている。

また、労働力移動の改革は、これまでの戸籍改革の取り組みとも深いつながりを持つ。中国政府は10年ほど前から都市―農村における二元的な戸籍制度を廃止し、都市居住証により住民を管理する制度を導入してきたが、人口500万以上の特大都市の居住権を得るためにはいまだに厳しいハードルが課せられている。

今回の要素市場改革では、戸籍転入と戸籍関連手続きを簡素化し、ポータビリティーを高めるため、個人の社会保険関係の情報を一元化し、データとして管理していくことがうたわれている。ただ、これが大都市への労働移動の自由化につながるのかどうかはまだ不確定だ。

 

技術とデータの市場の整備

一連の要素市場改革に関してもう1つ興味深い点は、土地・労働・資本といった従来の市場改革に加え、新たに「技術」と「データ」が付け加えられている点である。まず、技術に関しては、人工知能やモノのインターネット(IoT)、クラウドコンピューティングなどの新技術を利用する職業に関して、国家がその技術・技能基準を定めること、技術開発のための資本市場を整備することなどがうたわれている。

データに関しては、2021年に「データセキュリティー法」「個人情報保護法」が相次いで成立し、2016年に成立した「サイバーセキュリティー法」と合わせデジタル化に対応したネットワーク法の体系が整備された。これまで見たような土地の流動化や、戸籍のポータビリティーにしても、そのためのデータを一元的に管理するシステムの構築が要請されており、データ関連の法制度を整備することは、生産要素の効率的配分に関わる課題でもある。

すなわち、中国政府がデータを5大生産要素の1つに位置づけていることは、今後の中国の政治・経済・社会における「デジタル化」の推進を最重要視していることの表れでもある。

実際、「デジタル化」という言葉は、2021年3月に公表された第14次5カ年計画の綱要では70回以上も使われている。また、同年に工業情報化部が発表した「ビッグデータ産業の発展に関する第14次5カ年計画」では、「データの流れが技術、財、資本、人材の流れにつながり、生産、流通、消費を結びつけて資源の最適配分を促進するという、新たな生産要素としての乗数効果」をデータが持つことを指摘している。

そのうえで、データの流通に関する制度の整備が、国内と海外、企業と生活者、そして各産業の包括的な統合を加速させ、大きな変革の推進と新しい発展パターンの構築をもたらす、という認識が示された。

 

共同富裕は改革の足かせになるか

2021年夏に、「共同富裕」の名のもとに急進的な再分配重視の政策が打ち出されたことは記憶に新しい。8月に開催された中国共産党中央財経委員会では「共同富裕」を社会主義の本質的な要求だと位置づけ、その実現のための手段として個人や団体が自発的に寄付する「第3次分配」が提起された。

これは、土地や資本などの生産手段の再分配を第1次分配、財政支出を通じた再分配を第2次分配とし、それ以外の再分配の手段として位置づけられたものだ。この方針を受け、アリババ、およびテンセントは相次いで2025年までに1000億元(約2兆円)という多額の資金を拠出することを約束した。

すでに述べたように第14次5カ年計画など中長期の経済政策の重点は、明らかに、イノベーションやデジタル社会の推進といった、供給サイドの改革を推進する目標に置かれていた。このため「共同富裕」の名の下に行われた一連の政策は、習近平国家主席の鶴の一声で決まった、伝統的な社会主義政策への回帰ではないかと懸念された。

しかし、その後の経緯を見れば、習政権の政策的な力点が、依然として供給サイドの効率化を通じた経済成長の推進に置かれていることは間違いない。そのことを裏付けるように、2022年3月の全人代で行われた李克強首相の政府活動報告では、「共同富裕」という言葉は1回登場しただけだった。

むしろ、現政権は一連の要素市場改革が、格差の一層の拡大を伴うことを不可避と見たうえで、その批判が政権に向けられることを防ぐために、いわばワクチンのような予防的措置として「共同富裕」を前面に打ち出したように思われる。「共同富裕」の強調をワクチンとしてとらえるなら、それは2回3回と打たれなければならないし、それに伴う副反応──教育産業が壊滅的な打撃を受けたことなど──のようなことも当然起きてくるだろう。

さて、このような不確実性を抱える中国経済に対し、日本のビジネス界はどのような姿勢で対峙すればよいのだろうか。まず、中国における企業と政府の関係は一筋縄ではいかないものだということを改めて認識する必要があるだろう。

例えばアリババ集団はもともと、貧困問題に取り組むための公益財団基金を傘下に抱えている。1000億元という多額の「寄付」は、実はこの基金を通じて貧困層に還元することを約束されたものであり、その実施はアリババに任せられている。このこと1つを見ても、「共同富裕」を伝統的社会主義への回帰ととらえるのは実態に即しているとはいいがたい。

 

中国の政府や企業もいまだ手探り状態

一方で、中国でのビジネスが、つねに国内政治の動向に大きく影響を受けるリスクを抱えていることも忘れてはならない。とくに中国の経済成長が下降局面に入っており、さらにゼロコロナ政策の限界が経済に予測困難な下振れ効果をもたらしている現況では、本稿で取り上げた要素市場改革の実施に対する逆風も強くなろう。

ただ、押さえておきたいのは、とくに急速に進む社会や経済のデジタル化への対応について、中国の政府や企業もいまだ手探り状態だということだ。今後、国境をまたぐデータの共有やそのためのルール作りなどの面で中国とどこまで協力していけるのか、という議論は官民を問わず欠かせない。だからこそ、議論の前提となる実態の把握がこれまで以上に必要になることを、改めて強調しておきたい。

 

(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

 

最新の論考や研究活動について配信しています