グローバル化する尖閣問題にどう対処するか(益尾知佐子)


「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一 研究主幹、慶應義塾大学法学部教授、ケンブリッジ大学ダウニング・カレッジ訪問研究員)。

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/582118

特集 日中国交正常化50周年「中国を知る。日中を考える」(2022年2月~)
API地経学ブリーフィングでは、2022年の日中国交正常化50周年を記念して、「中国を知る。日中を考える」シリーズの連載を開始しました。論考一覧はこちらをご覧ください。

「API地経学ブリーフィング」No.101

(画像提供:第11管区海上保安本部/AP/アフロ)

2022年4月18日

グローバル化する尖閣問題にどう対処するか-中国は海洋監視能力の飛躍的な向上を図っている

九州大学大学院比較社会文化研究院准教授
益尾知佐子

 

 

 

 

流動化する国際政治

新型コロナの襲来に続くロシアのウクライナ侵攻、そしてより長期的な中国の台頭。近年、国際政治は流動化し、構造的な組み替えが発生している。こうした中で、日本はどのように安全保障を確保していけばよいのだろうか。

中国が尖閣諸島の領有を唱え、その実効支配化を試みていることは、日本にとって最も差し迫った安全保障問題だ。日中両国は2022年9月に国交樹立50周年を迎える。だが中国による香港の民主派弾圧や海警法の制定、そして台湾への威嚇を目の当たりにしてきた日本側に祝賀ムードは皆無だ。ただし過去半世紀、この問題で中国が常に日本の脅威であったわけではない。中国にとって尖閣諸島の重要性は、時代とともに大きく変化した。

本稿はその様相を振り返ることで、いま発生している変化の意味を考察し、今後の中国の動向を予測したい。中国にとって、尖閣諸島はもはやグローバルな対米競争の一部になった。中国はこれから新たな「韜光養晦」フェーズに突入し、自国の海洋監視能力の長期的な飛躍を目指す。力の逆転を防ぐため、日本は諸外国とともに海洋状況把握(Maritime Domain Awareness: MDA)に努め、中国に対する抑止力を総合的に強化する必要がある。

 

尖閣問題の発端:海洋権益

中国政府が尖閣諸島(中国名:釣魚島)を初めて自国の領土と主張したのは1971年12月である。中国は今日、歴史資料を断片的かつ恣意的に用い、釣魚島は古来中国領だったと主張するが、学術的に見れば政治的創作である。1960年代末、国連の委員会(ECAFE)が東シナ海で資源調査を行い、尖閣諸島周辺に中東以上の石油の埋蔵があると指摘した。のちに誤りだったとわかるその「事実」は台湾系知識人の関心を惹きつけ、1971年に中華民国(台湾)、そして中国が次々とその領有を主張した。

その時点で尖閣諸島を施政下に置いていたのはアメリカだった。アメリカは太平洋戦争後、サンフランシスコ条約で日本の新たな国境線を引き、日本の主権を前提に尖閣を含む沖縄県で施政権を行使し、尖閣2島を軍の射爆撃場として貸借した。だがニクソン政権はベトナム戦争からの脱却を目指して1971年7月に対中和解に乗り出しており、中国の突然の主張に対し日本を擁護せず、見知らぬ第三者の立場をとった。この「当事者」の裏切りは日本を深く苦しめていく。1972年5月、アメリカは沖縄県を日本に返還した。

中国の主張にはもう1つ重要な伏線があった。米中和解を受け、1971年10月には中国の国連加盟が実現した。当時、国連ではのちの国連海洋法条約に連なる新たな海洋法体系が議論されており、中国は1972年1月に初めて関連会議に出席した。その準備の過程でおそらく、中国は新たな秩序における島の重要性に気づいたのである。のちに中国は東シナ海で、沖縄トラフまでの「大陸棚」全体が自国の管轄海域だと主張するが、中国はこの時期、その概念を尖閣への主張とセットで自国に導入した。

自国の海洋権益に対する考慮は、1980年代末まで中国の尖閣主張の最重要部分だった。だが中国の発展にとって日本からの経済協力は不可欠だった。中国は主張を一時「棚上げ」し沈黙を続けた。

 

対米安全保障と反日ナショナリズム

次なる変化の始まりは1989年である。中国は天安門事件後に西側諸国から制裁されたのをきっかけにアメリカを脅威と認識し、対米バッファーとして海域を重視し始めた。1992年には釣魚島を中国領の一部と規定した領海法を制定する。1995~1996年の第三次台湾危機で中国の脅威認識はさらに強まった。台湾有事に備え、このころ中国は台湾海峡に接続する尖閣諸島周辺の海域でもしきりに科学調査を実施した。ただし、アメリカの関与政策や米中間の圧倒的な力の格差などにより、中国も挑戦的姿勢は自制した。

結果的に、中国を新たな行動へと突き動かしたのは反日ナショナリズムである。冷戦後、中国は日本の歴史認識への批判を始めた。1996年、中国政府が国内で「釣魚島」問題に関する議論を解禁すると、島は一気に反日ナショナリズムのシンボルへと浮上した。

2001年以降、 小泉純一郎首相の靖国神社参拝で中国人の反日感情が激化すると、国家海洋局と傘下の中国海監は尖閣周辺での行動を格上げした。中国海監は2008年12月、定期パトロールの名目で尖閣諸島の領海に初侵入している。2010年9月には中国漁船が領海からの逃走中、海上保安庁の巡視船2隻に体当たりする事件が発生した。2012年には日本政府の尖閣3島購入を口実に、中国は官民あげて大規模な日本叩きを実施した。

中国がこのような行動を取れたのは、尖閣問題が日中間の「閉じた」問題だったからである。アメリカは国家間の主権問題に関与しない姿勢を維持し、2010年の日中関係の緊張後も尖閣諸島は日米安全保障条約第5条の適用対象になると述べるに留まった。アジアから遠いアメリカでは、台頭した中国が力に任せて勢力圏を拡大しているという見方はなかなか浸透しなかった。そのため中国も中国海警(2013年に名称変更)の一方的増強に励めた。

 

ロシアのウクライナ侵攻:新たな「韜光養晦」

だが、中国の台頭の影響がグローバル化し、アメリカの対中認識が変化したことで、尖閣問題をめぐる構図も組み替わった。トランプ政権以降のアメリカは、東シナ海、台湾海峡、南シナ海を結びつけ、中国が秩序転覆を図っているという視点でこれらの問題を理解している。ゆえに中国も、対米安全保障の全体像の中で尖閣問題に対処せざるをえなくなった。

2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻は、この状況に拍車をかけた。侵攻後、西側先進国では中国が台湾に同様の行動を取るのではという見方が強まった。だが実際には、ウクライナ人の激しい抵抗は中国に海を隔てた台湾攻略の難しさを見せつけ、西側先進国による対露経済制裁は人民生活への影響の大きさを知らしめた。中国が近い将来、類似の行動に出る可能性は大幅に低下した。

中国が自国の主権問題を完全に諦めることはないだろう。だが、大国ロシアという盟友を失い、もはや独力でアメリカとの長期的な睨み合いを続けねばならぬ中国は、尖閣を含むすべての海洋問題で慎重にならざるをえない。そのため当面はいわゆる「韜光養晦」政策をとり、自国の能力増強に励んで機会をうかがうことになる。

 

飛躍的に向上する中国の海洋監視能力

今回の「韜光養晦」で特に注意が必要なのが、中国による海洋監視能力の急激な向上とグローバルな影響力の拡大だ。中国は2016年からの第13次五カ年計画で、宇宙・空・海・陸を結ぶ「空間インフラ」の構築に乗り出した。人工衛星や海中装置で幅広く情報を収集し、集めたビッグデータを一体運用して、中国の監視管理網をグローバルに広げるのだ。この試みは2021年からの第14次五カ年計画で強化され、自然資源部の2022年度の支出予算のうち、海洋気象情報関連は全体の83%を占める。同部は中国全体の国土空間規画の策定に責任を持つが、実際には海洋への関心が極めて高く、アンバランスだ。これらのデータは気候変動対策などにも活用しうるが、中国はそれを囲い込むのみで意図と活動の透明性が低い。

中国の動きは、西側先進国におけるMDAへの関心の高まりに対する反作用でもある。その出足は遅れたが、社会主義国には国家の経済的・人的資源を特定分野に集中投下できる利点がある。今後中国は、軍民融合でデータ応用技術の革新を進め、軍事力や経済力の躍進をはかり、一帯一路で影響圏の拡大を狙うだろう。アジアの海をめぐっても、中国とそれ以外の勢力との睨み合いは水面下で激化する見込みだ。

もし中国に優位を許した場合、突発事態をきっかけに、中国が蓄積した能力を一斉に行使する日が到来しうる。それを防ぐために日本は、国際社会における協力者を増やし、台湾を含むより多くの目を繋ぎ合わせてMDAを高め、中国の海上動向を見張っていくのが望ましい。ただし、力を信奉する大国・中国を抑止するには、軍事力の要素が不可欠。そのため日本にはアメリカが必要で、アメリカを中心とする関係国との各分野での連携は今後もいっそう強化すべきだ。

だが実際にはアメリカもルールや規範からしばしば逸脱し、国際秩序を混乱させてきた。日本にとっては、アメリカを説得してその信頼回復に励み、各国が納得しうる公平な秩序形成を進めることも、インド太平洋地域の責任主体として重要な責務であろう。
 

(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

 

最新の論考や研究活動について配信しています