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日本がこの先に陥ってはならない「日米中の罠」(船橋洋一)

「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API研究主幹 兼 慶應義塾大学法学部教授)。

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/374310

   

「API地経学ブリーフィング」No.19

2020年09月15日

日本がこの先に陥ってはならない「日米中の罠」 ― 新冷戦に近い状態の中で求められる外交力

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
理事長 船橋洋一

 

 

 

日本列島の戦略的レバレッジ

菅新政権の最大の外交課題は、対米関係と対中関係を良好な関係に安定させることである。この点は、まさに安倍外交の最大の成果だったともいえる。しかし、新型コロナウイルス危機で米中関係は一段と険しくなっており、その中での日本の外交のかじ取りはさらに難しくなっている。

米中関係は、地経学的にはすでに新冷戦に近い状態にある。5Gや半導体のグローバル・サプライチェーンをめぐるデカップリング、中国の「軍民融合」による技術の地政学化、そしてデジタル人民元による通貨覇権への蛙飛び(リープフロッグ)戦略など、日米ともにその経済技術の土台を根底から脅かされない地経学的挑戦にさらされている。

そこへコロナ危機が襲ってきた。トランプ政権の「アメリカ・ファースト」通商戦略の司令塔であるピーター・ナヴァロは「今回のコロナウイルスや2009年のH1N1からの教訓ということで言えば、それはマスクからワクチンまでこと供給に関しては他国に頼るわけにはいかないということだ。相手が同盟国といえどもそれは同じだ」と述べている。日本も今回、欧米諸国と同じように医療資機材を中国に依存する脆弱性を思い知らされた。同時に、国も医療資材を買いあさり、囲い込みに忙しかった。同盟もそれほど頼りにならない。

米中と関係の深い国々はどこもきわめて難しい立場に立たされている。どの国も双方との関係を維持するための綱渡りを強いられる。

なかでも日本にとっては、アメリカは唯一の同盟国であり、日米同盟は、日本の外交・安全保障政策の要である。一方、中国は最大の貿易相手国であり、対中貿易は日本の全貿易の21パーセントを占め、対米貿易の15パーセントを上回っている。米中日は、世界1、2、3位の経済大国である。この3カ国の貿易関係と通貨体制は世界経済秩序に大きな影響を及ぼす。

軍事的には中国はなお正面からアメリカを試すことには慎重である。しかし、サイバー空間、グレーゾーン、影響力工作、政治戦などではアメリカに挑んでいる。そして、南シナ海ではここを中国の「閉ざされた勢力圏」とする動きを繰り広げている。いずれ西太平洋をめぐる本格的な米中覇権闘争へと向かう危険がある。日本列島から南西諸島(沖縄、宮古、石垣)、台湾、フィリピン、ボルネオと続く列島群を中国は「第一列島線」と名付け、そこより大陸側の海洋への米海軍力に対するA2AD(接近阻止・領域拒否)戦略を追求している。太平洋国家を目指す中国にとって日本列島は目障りこのうえないバリケードと映る。しかし、アメリカにとっては西太平洋パワーとしてユーラシアへの戦力投射を維持し続けるには日本との同盟は欠かせない。日本は太平洋とユーラシアを両にらみにするところに位置する。日本列島は単なる中立的アセットにとどまる存在ではない。それは恐ろしいほどの戦略的レバレッジを持つ位置にあるのである。

 

「自然は3者を嫌う」

人間社会同様、国際政治においても3者の関係は落とし穴の多いやっかいなものである。アリストテレスは「自然は真空を嫌う(Nature abhors a vacuum.)と言った。国際政治では力の真空はバランス・オブ・パワーを突き崩し、不安定要因となりやすい。しかし、地政学的にはもうひとつ「自然は3者を嫌う(Nature abhors a threesome.)」という不安定要因があると私は思う。三角関係は国際秩序を不均衡にさせかねない。日米中関係についてもそれは例外ではない。

しかし、この3者関係は1980年代から20年近く、天安門事件の後の対中制裁の一時期を除き、基本的に安定していた。シンガポールの建国の父といわれたリー・クアンユーは日米中関係が「二等辺三角形」の状態にあるのが安定の秘訣であるとの洞察を披露したことがある。日米関係の辺が、米中、日中のそれぞれの辺より短い、すなわち強く、太く、他の2辺が同じ長さでそれより長く、すなわち弱く、細い関係がもっともよく安定する関係であり、黄金律であるというのである。実際、この「二等辺三角形」が維持できた時代は日米中安定の黄金時代だったといえる。今世紀に入ってからそれは急速に変形していった。いまでは、米中貿易額(2019年実績5252億ドル)が日米(同2150億ドル)と日中(同2779億ドル)いずれの貿易額をも上回る。しかも、日中関係が尖閣諸島をめぐって緊張し、日中の辺がひび割れを起こし、習近平・トランプ時代になって米中の辺が亀裂し始めた。

実は、日本の近現代は、日米中関係をいかに御していくかをめぐって苦しみ抜いた歴史だった。日露戦争後、満州事変と日中戦争を経て、太平洋戦争に至る戦争への道は、まさにその課題に失敗した歴史だった。戦後もその3者関係の危うさとこわさを何度も垣間見せた。そこには「日米中の罠」とでもいうべき落とし穴が潜んでいる。

 

「真空論」と「瓶のふた論」

米中関係でいうと、ニクソン・アメリカ大統領の日本の頭越しの対中接近がある。1972年のニクソン訪中の際の周恩来首相との会談で、ニクソンは「アメリカの軍隊が日本から去れば、日本は独自の防衛力増強に向かうか、日本が中国に、いやあるいはソ連に寄って行くか」という2つの可能性に触れ、アメリカが日本などの同盟国と防衛関係を保つ限り「彼らが中国に有害な政策をとらないように影響力を行使するだろう」と述べている。アメリカは米中接近を中国に売り込む際、「真空論」(ソ連脅威論)とともに「瓶のふた論」(日本リスク論)を使ったのである。時代が下がってオバマ政権時代、中国は「新式の大国関係」をともにつくろうとアメリカに誘いかけ、アメリカを一時、その気にさせた。習近平はオバマに「巨大な太平洋は中米両国という大国にとって十分すぎるほどの広さがある」と畳みかけた。中国はそこに「太平洋分割論」をからませようとしたのである。

日米関係でいうと、尖閣諸島問題をめぐる日中紛争へのアメリカの忌避感がある。アメリカは日本の施政下にある尖閣諸島に関しては日米安全保障条約第5条に基づく防衛義務を順守するとのコミットメントを明確にしているが、領有権については立場を明らかにしない方針を採っている。2012年の日本政府の尖閣諸島のいわゆる「国有化」決定に当たってオバマ政権は、アメリカが日中軍事対立に「巻き込まれる」リスクを恐れ、国有化を思いとどまらせようと試みた。それは、日本に「見捨てられる」リスクを感じさせた。

日中関係でいうと、民主党の鳩山由紀夫政権誕生に当たって鳩山首相が提案した日中主導・アメリカ抜きの「東アジア共同体」がアメリカの激しい反感を買ったことがある。オバマ政権は、鳩山首相の沖縄の普天間基地の「県外移設」発言よりむしろこの「東アジア共同体」構想のほうに不信感を募らせた。

その一方で、中国は米中関係が緊張すると、日本に秋波を送ることが多い。そして、あわよくば日米間にくさびを打ち込もうとする。現在、中国は日本の金融や証券をはじめ大手ビジネスに対して「戦略的秋波」(外務省幹部)を送ってきている。中国証券監督管理委員会が昨年3月、野村証券の中国の合弁証券子会社に51%の出資比率を認めたのがその典型である。

 

もっとも恐ろしい「日米中の罠」

日本の選択肢は限られている。そもそも、中国との経済相互依存を全面的にデカップリングすることは不可能であり、望ましくない。それは日本の選択肢ではない。さらに、米中対立が軍事対決へと激化すると、日本は実存的に危うい状況に追い込まれる。それが日本の選択肢であってはならない。「日米中の罠」はこれまで以上にさまざまな顔をして立ち現れてくるだろう。けれどもこれからの時代、もっとも恐ろしい「日米中の罠」は、日米が中国を全面的な敵性国(adversary)と決めつけ、それが中国の排他的民族主義を煽り、双方とも後戻りができなくなる状況である。日米中とも相手の意図を正確に把握すること、そしてパーセプション・ギャップを埋めるため、不断の対話をすることが必要である。日本にとっては何よりも外交力と外交センスが求められる。

 

(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

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