ウクライナ支援はアジアに悪影響をおよぼすのか(鶴岡路人・地経学ブリーフィング)


「地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/686737

「地経学ブリーフィング」No.164

(出典:Reuters / Aflo)

2023年7月17日

ウクライナ支援はアジアに悪影響をおよぼすのか - 「欧州重視」対「インド太平洋重視」の誤った前提

慶應義塾大学総合政策学部准教授 鶴岡路人

 
 
 
 
 

【連載第4回:ウクライナ反転攻勢の行方】

ウクライナが反転攻勢を本格化させるなか、7月11-12日にリトアニアの首都ヴィリニュスでNATO(北大西洋条約機構)首脳会議が開かれた。焦点となっていたウクライナのNATO加盟問題では大きな進展がなかったものの、武器供与を柱とする長期的な支援へのコミットメントが示された。

他方で、アメリカによるウクライナへの関与強化に対しては、中国への対処に悪影響が生じるとの批判も提起されている。端的にいえば、対処すべき脅威・挑戦として、ロシアと中国のどちらを優先するのかという問題である。アメリカのリソースが有限である限り、トレードオフが存在することは否定できない。

これは、ウクライナに深入りせずに、中国への対処を優先すべきだとの議論につながる。しかし現実の世界はより複雑で、こうした議論の前提にはさまざまな誤解や不明確な点が存在する。順にみていきたい。

なお、当然のことながら、欧州とアジア、ないしロシアと中国への対処のトレードオフは、有事が同時に発生する場合により深刻になる。ただし、有事の発生に関してすでに時差が生じている。台湾への武力侵攻が明日にでも行われそうな状況でもない。

そうした現実を踏まえ、以下では、2つの地域での有事が完全に同時には進行せず、一定の時差が存在する想定で議論を進める。もっとも、ウクライナにおける戦争が長期化する場合には、2つの地域の有事の発生時期が重なる危険性が上昇することになり、そのことが、アメリカにとって今回の戦争の長期化を回避する動機になっているのも事実である。
 

過剰なのはウクライナ支援かNATO防衛か

アメリカの欧州への関与が過剰になり、それが中国への対処に悪影響をおよぼしていると主張される場合にしばしば不明確なのは、やりすぎているものが何かである。

最も注目されるのはウクライナ支援だが、アメリカの同盟であるNATOにとってより重要な任務は加盟国の防衛であり、2022年初頭以降、アメリカは2万人から4万人もの増派を欧州に対して実施している。

バイデン大統領も、アメリカ軍をウクライナに派遣することはないと強調する一方で、NATO諸国の領土については1インチたりとも譲らないとの姿勢を明示してきた。

ウクライナ支援をしすぎだという議論と、NATO加盟国防衛のためのコミットメントをしすぎだという議論はまったく別物だ。

前者の議論はアメリカ国内でよく聞かれるが、後者の議論はほとんど聞かれない。しかし、アメリカによるコミットメントの地域バランスを欧州偏重だと批判し、変えたいのだとすれば、ウクライナ支援のみを削ったところで効果は限定的である。NATOへのコミットメントのレベルを再考する必要が生じる。

しかしそれができない、ないし、する意思がないのだとすれば、ウクライナ支援はスケープゴートにされているということになるだろう。

ピュー・リサーチ・センターによる2023年6月の調査では、ウクライナへの支援が過大だと考えるアメリカ人は28%にのぼる。これは2022年3月時点の7%と比較すれば大きな上昇だといえる。

民主党支持者の間では14%であるのに対して、共和党支持者の間では44%であり、党派間の相違も顕著である。そのため、2024年のアメリカ大統領選挙の行方が懸念されるのである。政治において世論のパーセプションの問題は重要である。
 

アメリカによるウクライナ支援規模の実像

アメリカのウクライナに対する支援額は他国を大きく引き離す首位であり、軍事支援のみで、2022年2月から2023年6月までの合計は約466億ドル(約6兆5000億円)になる。これはたしかに巨大な金額だ。

しかし、アメリカの2023会計年度の国防予算は8167億ドルであり、ウクライナへの軍事支援額はその5.7%に過ぎない。また、2001年以降の20年間でアメリカは、国防総省予算のみで2兆ドル以上をイラクとアフガニスタンでの作戦に費やしており、年平均にすれば1000億ドル以上になる。ウクライナ支援はその半分以下である。

アメリカはオバマ政権下の2012年に、2つの大規模紛争に同時に備えることを断念したが、イラクやアフガニスタンへの関与よりも予算規模で小さく、しかもアメリカ軍を直接関与させないウクライナ支援によって、中国への対処が本当に困難になるのであれば、それはウクライナ支援を縮小すればすむというレベルの問題ではない。

それでも、分野によっては欧州かインド太平洋かという単純なトレードオフが存在する。欧州が主として陸のドメインであるものの、F-35などの最新鋭戦闘機や無人偵察機に加え、空母や潜水艦なども地中海を含む欧州方面に展開している。

これらは、ウクライナ支援というよりは、NATO加盟国の防衛強化のためだが、アメリカ本土から展開している空軍・海軍のアセットは欧州とインド太平洋でいわば「取り合い」の構図にある。

さらに深刻なのは、武器・弾薬の供給問題である。ウクライナでの効果が実証されたHIMARS(高機動ロケット砲システム)はインド太平洋においても需要が高いし、パトリオットをはじめとする各種の防空システムについても、アメリカ軍における在庫水準の低下には警戒せざるをえない。

ただし、これについても別の側面をあわせて考える必要がある。
 

インド太平洋へのプラス効果も

第1に、1年あまりのウクライナ支援によって武器弾薬の在庫水準が危機的になり、補充が困難になるとすれば、それ自体が重大な問題である。

この問題が可視化されたために、米欧は武器弾薬の製造能力拡大に本腰を入れることになった。これはインド太平洋の同盟国にとってもプラスだといえる。中国の関わる有事が発生した際に、それが短期間で終わることに賭けるわけにはいかない。この点では日本の役割も問われることになる。

第2に、ウクライナの前線で各種の武器弾薬が前例のない規模と速度で使用されたり、NATO加盟国防衛のための部隊展開の結果として、貴重な情報と経験が蓄積されている点も無視できない。

たとえば、ロシアによる電子戦への対応によって、HIMARSなどのソフトが更新されているといった事例も報じられている。また、NATO加盟国の防衛支援で展開したF-35の部隊も、初めての長期にわたる遠距離展開によって新たな知見を得たといわれている。

これらはインド太平洋での対処能力強化につながる。装備面のトレードオフも、固定的なものとして捉えてはならない。

そのうえでなお、ロシアによるウクライナ侵攻への対処にあたり、ウクライナへの武器供与を含めて、欧州諸国がより大きな役割を果たすべきだとの議論は完全にそのとおりである。この点に関するアメリカの不満は当然であろう。

しかし問われるべきはその先の政策論である。たとえばウクライナ支援とロシアへの対処は欧州の責任であるとして、アメリカが関与の度合いを引き下げるとする。その結果、欧州のみでは十分な対処ができずにロシアの影響力が増大し、欧州の国際関係が不安定化すれば、アメリカもその影響を受けることが不可避になる。

「欧州のことは欧州で」や「中国に集中すべき」という議論に欠けているのはこの視点である。それゆえに、そうした主張に基づく政策の大転換は起こりにくいのである。
 

今日のウクライナは明日の東アジア

バイデン政権の政策に批判的な共和党のなかには、ウクライナへの武器供与を強化することで戦争を早く終結に導くべきとの声も根強い。そもそも共和党は伝統的には反中よりも反露である。そして、いずれにしても悪影響から逃れられないのであれば、その前に関与しておくほうがコストを抑えられる。それが、第2次世界大戦以降のアメリカが学んだ教訓であった。

さらに、欧州とインド太平洋の間の安全保障上のリンクが深まるなかで、これらを2つの別個の戦域として捉えるのではなく、1つの戦域として捉える必要も生じている。これが、欧州とインド太平洋の安全保障は不可分であるとの認識につながる。

欧州で法の支配やルールに基づく国際秩序どころか、国家主権や領土の一体性が踏みにじられる状況が続いても、インド太平洋地域はその悪影響から逃れられると考えるべきではない。

岸田文雄首相が繰り返し述べるように、「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」のである。同時に、日本にとってこの不可分性の認識は、米欧諸国に対する中国を中心とするインド太平洋の安全保障問題への関心と関与の呼びかけという側面を有する。

このようにみてくると、欧州かインド太平洋か、あるいはロシアか中国かという問題は、単純なトレードオフで論じられるものではないことが明らかだろう。多面的な現実を踏まえたうえで、現実的な政策論を展開していくことが求められる。
 

(おことわり)地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、公益財団法人国際文化会館及び地経学研究所(IOG)等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。
 

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