中国の民主主義と人権の「認知戦」に要警戒なワケ(江藤名保子)


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特集 日中国交正常化50周年「中国を知る。日中を考える」(2022年2月~)
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「API地経学ブリーフィング」No.98

(画像提供:Shutterstock)

2022年3月28日

中国の民主主義と人権の「認知戦」に要警戒なワケ-習近平政権による「話語権」と価値の相克

学習院大学法学部政治学科教授
江藤名保子

 

 

 

 

中国による民主主義と人権の再定義

異質な経済大国である中国が台頭することで国際秩序はどう変容するのか。議論が尽きないこの問題に、習近平政権は新しい視座からのアンチテーゼを提起している。それは「そもそも中国を異質だとする『西側』の見方が誤りなのである」という、中国に対する評価基準そのものへの疑義である。

このわれわれの根本的な価値認識に相対する主張は、世界における民主主義の後退、新自由主義とグローバル化を両輪とした経済活動の減退、アメリカ社会の分断が明らかにした民主主義の機能不全などを背景に、国際社会が価値規範に対する自信を失う状況において巧妙に浸透が図られている。

習近平政権が注力するのが、民主主義と人権の再定義である。例えば民主主義について習政権は「全過程の人民民主」という中国式の民主制度があり、「1つの国家が民主であるかは、その国家の人民が評価する」ものだと主張する。世界にさまざまな民主化の過程やレベルがあることを想起するならば、「民主主義は多様であるべきだ」「そこに暮らす人々の評価が大切だ」という耳あたりの良い言説に、つい頷きそうになる。

だが、そもそも評価に主観は介在してはならないはずだ。客観的に評して、中国には確かに一定の政治参加を可能にする制度があるものの、政治権力に対するチェックアンドバランスが機能せず言論の自由もなく、やはり民主主義体制だとは認められない。

さらに習政権が規定する「民主」概念は、市民が政治的な権力を行使できる幅広い政治状況を示しているにすぎず、従来の政治学が検討を重ねてきた、公的な異議申し立てや政治参加の水準あるいは社会の自由度などを指標とする、政治制度としての民主主義とは異なる。

つまり「民主=政治参加」とあえて単純に解釈することで、中国の政治メカニズムを「多様な民主主義」の一端と容認させようとする論法である。習政権はおそらく意図的に価値としての民主主義を広義に規定し、それを実施する制度を主観的に評価しようとしている。

 

海外の政治思想を変える逆転の発想

なぜこうした「概念のすり替え」を試みるのか。中国では1970年代に鄧小平主導で開放政策を採用して以来、海外から民主主義や自由主義などの政治イデオロギーが流入するようになった。

これを共産党政権は、中国の弱体化を目論む「西側」が中国を「西洋化、分裂化」する「和平演変(平和的手段による政権転覆)」の陰謀だと警戒してきた。そしてグローバル化により経済領域の国境が薄らぐに伴い、経済力の高まりが共産党政権のパワーの源泉となるとともに、コントロール不能なさまざまな思想が一層流入するというジレンマに陥った。そこで習政権が打ち出したのが、海外の政治思想を変えることによりこのジレンマを解消するという、逆転の発想である。

習政権は現状を「100年に一度の大変動期」であり、中国がディスコースパワーを拡大するチャンスだと捉えている。「ディスコースパワー(話語権)」とは、発言する権利とその発言を相手に受け入れさせるパワー(権力)を含む言葉で、もともと1971年にフランスの哲学者ミシェル・フーコーが刊行した『言説表現の秩序』にある「言説(=話語)によって権力を得る」論を援用したものである。現在では他国に対する影響工作や安全保障における「認知戦」の議論と広範に重複している。

政策論としてのディスコースパワーは、2010年頃までは中国の伝統文化に依拠して対外的なソフトパワーを強化することを意味した。だが習政権下の2013年に国内のイデオロギー統制の一環として「世論をリードする力」の議論が打ち出されると、中国脅威論や人権批判といった「西側」からの――中国の主観からすれば不当な――批判的言説への不満と結びつき、中国の増大する国力に見合った国際的なディスコースパワー(国際話語権)を獲得しなければならないとの認識につながっていった。

2016年に採択された第13次五カ年計画には、「グローバル・ガバナンスと国際公共財の供給に積極的に関与し、グローバル経済ガバナンスでの制度的ディスコースパワー(制度性話語権)を高め、幅広い利益共同体を構築する」との記載がある。

制度的ディスコースパワーとは、経済領域におけるルール形成などの国際的ガバナンスに関与し、制度を通じて恒常的にディスコースパワーを発揮する状態を意味する。これは中国が有する経済的パワーを政治的パワーに転換するシステムの構築を目指していると考えられる。

 

中国独自の人権ディスコース

練度を増してきたディスコースパワー戦略を語るうえでの、もう1つの焦点が人権である。習近平政権は「生存権と発展権が第1の基本的人権」(「中国共産党の人権尊重・保障の偉大な実践」白書より)と規定する中国独自の人権ディスコースを、巧妙に国際社会に埋め込もうとしている。

例えば中国が2017年、2019年、2021年の三度にわたって国連人権理事会に提起した「あらゆる人権の享有に対する発展の貢献」決議は、「すべての人権に対する発展の貢献」がいかに重要かを強調するものであった。

いずれも賛成多数で決議されたが、三度とも反対票を投じた日本代表が「個人の人権ではなく、発展、貧困の根絶と国際的な発展協力に重きを置きすぎている」(2021年)と指摘したように、いわば「自然権(すべての人間が生まれながら有する自由、平等と幸福を追求する権利)」を希釈する内容であった。

なお習政権による「発展(development)」の重視は人権概念のみならず、国際秩序の再構築の動きともリンクしている。例えば習政権は国連の「持続可能な開発(sustainable development)のための2030アジェンダ」(以下、2030アジェンダ)においても「発展」を強調する。同様に2021年9月の国連総会で習近平国家主席は「グローバル発展イニシアティブ」を提起し、2030アジェンダと「人類運命共同体」の促進を軸に世界の経済発展を主導するリーダーを自ら演出した。

中国の人権ディスコースは、経済協力を鎹(かすがい)とする賛同国の「数の力」を得て実質的な影響力を発揮している。例えば近年、中国は新疆ウィグル族問題や香港での民主化運動弾圧を事由にアメリカやEUから制裁を受けた。だが2021年6月の人権理事会では、44カ国の署名による「新疆における人権状況に関する共同声明」をカナダが提出したのに対し、同日にベラルーシが提出した中国の内政に干渉すべきではないとする共同声明には69カ国の署名があった。

このベラルーシ提案は「各国人民がそれぞれの国情に応じて人権発展の道を自己選択する権利を尊重する」として、人権は制度に基づいて発展する、選択可能な権利との認識を示した。

こうした事例に看取されるように、習政権の人権ディスコースは発展途上国や権威主義国の賛同を得やすく、これに共鳴する国家が少なからず存在する。最も懸念すべきはロシアによる共鳴である。
 

中ロの共通認識

2月4日の中ロ首脳会談後に発表した「新時代の国際関係とグローバルで持続可能な発展に関する共同声明」で両国は、まず民主主義と人権に対する共通認識を確認した。

「個々の国がイデオロギー的な線引きで他国に自分たちの『民主の標準』を押し付け、(中略)民主主義の定義を独占することは、実は民主主義を踏みつけ、民主主義の精神と真の価値を裏切ることである」として従来の民主主義の定義や基準への挑戦を示し、「各国の国情は異なり、歴史文化、社会制度、経済社会の発展の水準には差があるため、人権の普遍性堅持と各国の実情を組み合わせ、その国情や国民のニーズに応じて人権を保護するべきである」と主張した。

この認識は普遍的価値に対するアンチテーゼであると同時に、欧米との認知領域における争いにおいての立脚点でもあるだろう。これまで中国は「人類運命共同体」を提起するなど、「反米」や経済協力だけではないパートナー国との紐帯、すなわち戦略的なビジョンの共有を模索してきた。そのためロシアとの共闘は、ディスコースパワー形成の観点からも極めて重要なのである。

中国のディスコースにはプロパガンダと欧米型政治システムの歪(ひずみ)に対する妥当な批判が混在しており、各国の潜在的な反米意識や対立的イデオロギーに共鳴する可能性がある。これを放置し自由民主主義の価値が劣勢に陥るならば、日本の国益とはならない。日本が成熟した民主主義と人権の概念を確立し、関係の深いアジア諸国を重視した包摂性のある戦略的ナラティブを形成する必要性が、これまで以上に高まっている。
 

(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

 

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