ドイツの対中戦略を読む(地経学ブリーフィング・板橋拓己)


地経学ブリーフィング No.177 2023年10月24日
経済安全保障グループ 連載「EUの経済安全保障」

ドイツの対中戦略を読む
- 画期的だが曖昧な文書-

東京大学大学院法学政治学研究科教授 板橋拓己

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フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長は2023年3月30日の演説で、「デリスキング」の概念を用いてEUの対中戦略を語った。「デリスキング」とは、「デカップリング」とは区別され、枢要な分野での中国への過度な依存を低下させる一方で、気候変動などの課題については中国と協力していくという路線だと言える。

とはいえ、EUの対中戦略がどのように進むか、具体的なことが確定したわけではない。そうしたなか、おそらくヨーロッパの対中戦略を左右することとなるドイツが、2023年7月13日に対中戦略文書を発表した。本文書は64頁からなり、独英中の3か国語で刊行されている(中国語版は56頁。以下、括弧内の数字は本文書の英語版の頁数を指す)。

すでに鈴木一人氏の論考で分析されているように、本特集のねらいのひとつは、経済安全保障分野におけるEUと日本の協力可能性の検討であった。本論考はそれに直接答えるものではないが、EUの今後の動きを見定めるためにも、ドイツの対中戦略を知ることは重要であろう。

ドイツ外交の画期としての対中戦略

ドイツの対中戦略は、実は予定より半年遅れて発表された。この間、やはり予定より4か月以上遅れて2023年6月に発表されたドイツ初の国家安全保障戦略が、中国を「パートナーにして競争相手にして体制上のライバル」と――すっかりお馴染みとなった表現で――位置付けたものの、台湾についての言及を避けたこともあり、対中戦略への注目も高まった。

現在のドイツの政権は社会民主党(SPD)と緑の党と自由民主党(FDP)の3党連立だが、すでに筆者が別で論じたように、伝統的に社会民主党が中国への関与政策を重視してきた一方で、緑の党はとりわけ人権問題や台湾問題をめぐって中国に対して厳しい態度をとってきた。そのため、対中戦略の発表が遅れたのは――国家安全保障戦略でも同じ構図が見られたが――、社会民主党所属のオラフ・ショルツ首相が率いる首相府と、緑の党所属のアンナレーナ・ベアボック外相が司る外務省との綱引きの結果だと言われている。また、23年3月に首相に就任した李強が初の外遊として第7回独中政府間協議のために6月にベルリンを訪問したため、それに配慮して発表を延期したという話もある。さらに、その間に中国との経済関係を損ねまいとする経済界からの介入もあったという。

このように、すでに発表前から対中配慮が滲み出ていたドイツの対中戦略だが、それでもこうした戦略の発表自体が画期的だし、内容面でもドイツの対中政策の歴史のなかで重要なものとなった。

というのも、ドイツが中国について、自らの安全保障や経済利益を脅かす存在として公式に位置付けるようになったからである。すでに国家安全保障戦略でも、「中国は既存のルールに基づいた国際秩序をさまざまな方法で作り変えようと試みており、われわれの利益と価値に反する振舞いを繰り返している」と位置付けていた。対中戦略でも、「中国はこれまでよりもはるかに強硬に自国の利益を追求し、既存のルールに基づく国際秩序をさまざまな方法で作り変えようと試みている」(8)と、ほぼ同じ表現を用いている。

また、中国は「パートナーにして競争相手にして体制上のライバル」であり続けているのだが、「競争相手」と「体制上のライバル」という二つの側面がいまや前面に出てきているとされる(10-11)。そのように「中国が変わってしまったために」(9)、ドイツも変わらねばならないのだというのが対中戦略の論理である。

さらに本戦略は、国家安全保障戦略では言及のなかった台湾について、貿易や投資のパートナーとして重視すると言及している(51)。加えて、ドイツは台湾の国際機関への参加を支持し、台湾海峡の現状変更は「平和的な手段と相互の合意」によってのみ行われると主張している(13)。

 

ドイツ経済にとっての中国の重要性

それでも、やはり本戦略でドイツが唱えるのは、「デカップリング」ではなく、あくまで「デリスキング」である(10)。「パートナー」としての中国との貿易関係は維持しつつも、一方的に依存することはせず、「アジア諸国およびそれ以外の国々との経済関係を拡大する」ことが提唱される。

ここで改めてドイツ経済にとっての中国の大きさを確認したい。ドイツにとって中国は、2016年から7年連続で最大の貿易相手国である。2022年の両国間の貿易額は約3,000億ユーロで過去最大となった。ドイツは、自動車、機械、化学といった重要産業のサプライチェーンを中国に頼り、またレアアースの輸入の約3分の2が中国からである。近年の傾向として指摘できるのは、ドイツ側の貿易赤字の増大である。2022年のドイツの対中輸出は3.1%増(約1,070億ユーロ)にとどまる一方、輸入は33.6%増(約1,910億ユーロ)と伸び、中国との貿易赤字額は前年比120%増で、1990年以降で最大の840億ユーロに達した。

ドイツ企業は中国国内への投資を増やし続けている。2021年の新規投資額は100億ユーロ、2022年が115億ユーロと2年連続で最多を更新した。ヨーロッパの中国への直接投資のうち3分の1がドイツによるものであり、とくにフォルクスワーゲン、ダイムラー、BMW、BASFの四大企業が際立つ。フォルクスワーゲンは年間純利益のおよそ半分を中国市場から得ているし、またBASFは2022年にこれまでで最高額の100億ユーロを中国に投資している。

かかる状況を背景に、ドイツの対中戦略は、レアアースや医療技術・医薬品など重要な分野での中国への依存を下げることを目標としている(25)。また、あらゆる貿易や投資について安全保障や人権に配慮するよう、そのための法改正を予告し、さらに輸出規制の対象リストを作成することも予定している(42)。

 

政府による義務化や支援の欠如

とはいえ、ドイツの対中戦略は、欧州委員会が求めたような対外投資の審査を義務付けるものとはならなかった。また、サプライチェーンを分散するための公的な支援などを具体的に示したわけでもない。中国への依存度が高い企業の報告義務なども明記されなかった。ショルツ首相は、ドイツ企業はすでに分散化を進めているために、政府による義務化は必要ないとの考えだ。

それゆえ、本戦略は、ドイツ企業にとって積極的にサプライチェーンを分散させるインセンティブを与えているとは言えない。実際、ドイツ企業による中国への投資も収まる気配はない。2023年6月、総合電機大手ジーメンス(Siemens)のローラント・ブッシュ最高経営責任者(CEO)は、年内に20億ユーロを投じるグローバル投資の一環として、中国に約1億4,000万ユーロを投資すると発表した。

また、BASFは100億ユーロを投じ、中国の湛江に統合生産拠点を建設中(2025年稼働予定)である。2023年2月に同社の次期CEO(最高経営責任者)と目されていたサオリ・デュブール取締役は、こうした中国戦略に反対し、現CEOのマルティン・ブルーダーミュラー(24年退任予定)らと対立して退社することになったという。デュブールの後任には上記の計画を推進してきた中国事業担当のトップが就き、株主総会では中国偏重を懸念する声が相次いだ。

一方、ドイツの自動車産業は、中国内の自社工場を自国から隔離し、現地生産の優先とサプライチェーンの現地化を進めている。ドイツ自動車メーカーの2022年の対中輸出台数は25万4607台で、各社の中国での生産台数に比べるとごくわずかにとどまった。フォルクスワーゲン単独でも中国での生産台数は320万台に上り、同社の欧州生産台数と肩を並べた。

こうしたなか、今次のドイツの対中戦略への評価は分かれている。アメリカの論者たちの例を挙げよう。米シンクタンクの戦略国際問題研究所(CSIS)の著者たちは、本戦略が「ベルリンにおける新たな地経学的マインドセットの登場」を告げるものだとし、「ワシントンやブリュッセルで長く待望されていたことの多く」を反映していると評価する。他方で『フォーリン・アフェアーズ』誌は、「従来のアプローチからの大きな逸脱はない。むしろ、地政学的リスクを注意深くヘッジする一方で、中国との貿易を通じてドイツの繁栄を維持することをねらっている」と厳しめの評価を下している。

独アデナウアー財団の著者たちが言うように、今回のドイツの対中戦略は、戦略というよりも、大まかな方向性を指し示す「羅針盤(Kompass)」のようなものだと言えるだろう。「デリスキング」という目的地は示しているものの、そこに至るまでに何をすればいいのか、政府が何をするのか、さほど具体的なことが書かれているわけではない。その意味では、ドイツの対中戦略のゆくえはまだ見極めが難しいと言える。

とはいえ、ドイツ政府も、たとえば海外企業によるドイツ企業への投資審査を強化するなど、積極的な動きを見せるようになった。そもそも重要インフラの保護を目的とした新たな規制にも関わらず、2023年5月にドイツ政府は、港湾物流大手HHLAがハンブルク港に保有するコンテナターミナルの権益24.9%を中国海運大手の中国遠洋運輸(COSCO)が取得することを承認した。

このハンブルク港をめぐるショルツ政権の態度が批判を浴びたこともあり、政府も態度を変えつつある。たとえばドイツ政府は、ベルリンを拠点とするスタートアップ企業で、衛星通信プロバイダーのクレオ・コネクト(KLEO Connect)について、すでに53%の株を所有している中国の上海垣信衛星科技がさらに他の株主から買い増そうとする動きを阻止した。また、フォルクスワーゲン傘下の船舶用エンジンメーカーであるMANエナジー・ソリューションズが6月にガスタービン事業を中国の国有企業に売却すると発表したが、現在ドイツ政府の審査を受けている

ドイツの対中戦略文書の表紙には囲碁の写真が用いられている。その解説には「チェスとは異なり、囲碁の目標は相手をチェックメイトすることではなく、有利なポジションを得て、いわゆる「自由」を守ることにある」と記されている。だとするならば、ドイツが中国との囲碁で一手一手をしっかり考えているとは、まだ思えない。碁には一対一だけでなく、相談碁というものもある。ドイツは、EUとの協調はもちろんのこと――それは今回の戦略文書でも再三強調されている――、日本とも相談しながら次の一手を考えることができるだろう。もちろん日本の側も、積極的にドイツの囲碁の相談相手となるべきである。

 

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地経学ブリーフィングとは

「地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。

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