デジタル庁の成否「民間人登用」が重大な鍵握る訳(向山淳)


「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API研究主幹 兼 慶應義塾大学法学部教授)。

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/444116

「API地経学ブリーフィング」No.64

2021年08月02日

デジタル庁の成否「民間人登用」が重大な鍵握る訳 ― 長年の課題のIT改革に本当のメスを入れるために

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)主任研究員 向山淳

 

 

 

9.11後のアメリカFBIも情報システム構築に苦戦

2001年のアメリカ同時多発テロの後、FBIでは電子的に情報を共有する革新的な情報共有システムの開発が計画された。9.11の独立調査委員会による検証でFBIの情報共有の不備が指摘されたことを背景としたものだ。要注意人物の動きや不審な飛行訓練……テロ攻撃を阻止できたかもしれない断片的な情報は、FBIの貧弱な情報システムと紙のケース・ファイルに阻まれ、組織として把握、共有し有効な手を打つということができなかった。

その反省を踏まえ開発されたのがケース情報を電子的に共有する「センティネル」である。しかし、ロッキード・マーチンをはじめとする委託先に約500億円を投下しながら、開発は2度頓挫。センティネルは、10年以上を浪費した後、最終的に委託開発から内製化に切り替え、アジャイル開発やスクラムの方法論を導入し、やっと2012年にリリースに漕ぎ着けることになる。

コロナで「デジタル敗戦」が露呈した日本のみならず、古今東西、政府によるシステム開発が困難に直面したケースは事欠かない。アメリカではセンティネル以外でもオバマ大統領の肝煎りだったHealthcare.gov、イギリスにしてもオーストラリアにしても調達の失敗がその後の政府のデジタル部門の改革に繋がった。

日本でも、2004年から8年と55億円をかけて完成しなかった特許庁のシステムはその代表例であり、また、今回のコロナでは稼動後すぐに停止に追い込まれた雇用調整助成金システム等は記憶に新しい。単年度の予算サイクル、ウォーターフォールを前提とした調達プロセス、競争環境の無さ、省庁間の縦割り、発注側の専門性の欠如とベンダーへの丸投げ、そして絶対に間違えてはならないという無謬性。さまざまな官僚機構の悪弊が、往々にして効率的なシステム開発の壁になってきた。

今回こそはと日本政府がe-Japan戦略からIT改革に取り組んで早20年。政府は今まで丸投げを防止するための分割発注、調達を一括管理する司令塔となる政府CIO(内閣情報通信政策監)の設置、専門的見地から要件定義書を精査するCIO補佐官の採用等、漸次的に改善を試みてきた。

しかし、政策の優先順位が高かったとは言えず、絵に描いた構想や計画を裏付ける権限や人材等のリソースは十分に確保されてこなかった。そして、根本的な解決がされてこなかった結果が今回のコロナ禍で白日の下に晒されることとなった。

今回設立されるデジタル庁は、危機意識を持ってそのような過去を打破できるのであろうか。少なくとも設置に際して省庁の予算をまとめる権限や人材の確保は順調な滑り出しのようだ。

 

デジタル庁は民間専門人材を活用できるか

ただ、それらに魂を吹き込むためには、デジタル庁が霞が関の負の慣習を本当の意味で破ること――即ち、専門性を活かしてデータに基づいた目標管理や意思決定を行い、最新ツールを使いこなして顧客である国民のために結果を出し、絶えず変化する組織になる――が必要だ。そんな「イノベーション体質」への転換が可能なのか。その鍵となるのは、民間からきた専門人材が、重要な意思決定のラインに入れるかどうかではないだろうか。

デジタル庁では約500人中120人の民間人を受け入れ、またそれらの民間人がフルタイムではない・テレワーク可能等の新しい働き方を許容するなど野心的な設計となっている。官庁の採用としては珍しく明確な職務内容や細かい応募条件を課し、これまでにプロジェクト・マネージャー、エンジニアなどの技術職、幹部、デジタルヘルスや教育の専門人材など4回の公募が行われた。最初の公募では33人の枠に43倍、1432人の応募があるなど、関心は高い。

霞が関では金融庁で最新の知見を持つ専門人材を受け入れるなど民間登用が徐々に広がりつつある。しかし、総じて高いレベルの職位は解放せず、終身雇用を前提に、新卒採用・内部育成のキャリア公務員に配慮した構造だ。同じ議院内閣制のイギリスではIT、不動産資産管理、財務、医療等、官民共通の専門性がある職種で中途採用比率が高い。上級公務員でも2割を占め、職位のレベルは局長級や課長級のポストも含まれる。専門職・スタッフ部門の職位だけでなく、ライン部門の政策形成の職位でも15%ほどを中途採用が占める格好だ。

また、日本と近しい労働慣行を持ちながらも、国連経済社会局発表の世界電子政府ランキングで2位の韓国では、過去20年で官僚組織の専門人材の活用に力を入れてきた。電子政府の中心的な役割を担う情報化振興院(NIA)の職員670名のうち、半数は民間人で、9割が博士号保有者である。IT分野の専門家のみならず、電子政府の構築に必要な法律、医療、教育、金融などの専門家も採用している。

韓国では、1997~1998年のIMF通貨危機の際に、経済危機の最大の原因は政府の非能率であり、その象徴が公務員とされ、公務員改革を強いられた。特に、専門性の観点は中心的な課題となっており、1年など短いサイクルで頻繁に行われる内部異動が、専門知識の蓄積の妨げになっていると批判を受けた。2014年には政府内のすべての職員を「長期間在籍の必要性」と「専門知識・情報の水準」に応じて分類し、戦後のジェネラリスト中心の人事システムからスペシャリストによる二元化システムに大きく転換した。

 

半数が法文系で異動が多い日本の官僚機構

日本の官僚機構は、終身雇用と年功賃金を中核とする日本型雇用システムの中でキャリアが傷つくような失敗は許されず、構造上、前例踏襲バイアスがかかり非連続な変化を生み出しにくい。また、所謂キャリア官僚の約半数は法文系出身であり2年毎に異動し、着任した新しい分野で一から勉強するという典型的なジェネラリスト型だ。

一方、デジタル庁のミッション実現には、最新の知見を持った専門人材の活用と育成が不可欠である。もっと言えば、本来は全ての政策においてデータやコンピューターサイエンスの視点が不可欠な時代であり、全ての省庁で高い専門性を持った人材の配置が求められる。霞が関で単一のキャリアパス以外の専門性の高いキャリアをどう実現するか、また民間人材をどのように処遇して位置付けるか。CXOレベルを民間採用するデジタル庁での壮大な実験は、今後の「霞が関の人事のあり方」そのものに影響を与える可能性が期待される。

デジタル庁をモデルケースとして見たとき、期待されるさらなるインパクトは、霞が関を越えて民間の産業に与える影響である。IT人材が不足する日本で、日本最大のデータ集積地であり、プラットフォーマーとなるデジタル庁が優秀なエンジニア等に開発経験を提供して育てる意義は大きい。そのような直接的な人材供給源となることはもちろん、年間7000億円程度のIT予算を擁する政府のシステム調達方法の変化は、産業全体の変化に繋がる可能性も秘めている。

日本のIT人材は、7割がサービスや商品を提供する主体のユーザー企業ではなくいわゆるベンダー側に集まっているのが特徴だ。企業がIT投資する際、アメリカでは自社開発、受託開発、パッケージソフト活用に分散しているのに対し、日本では受託開発が8割を占める。柔軟な人員調整ができない日本型雇用慣行を前提に、プロジェクトベースで需給を調整する必要があったIT人材を、企業が内製化せず外部のベンダーに発注してきた歴史があるからだ。

従い、民間でも官公庁の「丸投げ」とあまり変わらない状況の企業は多い。日本でデジタル技術が新たなビジネスを創出する主役ではなく、業務の効率化や自動化といったパッシブな目的でしか使われない一因がここにある。

 

日本はコロナ危機を変化の契機にできるか

デジタル技術がビジネスやサービスそのものの付加価値を生み出す時代を迎え、今後、専門家を内包する企業は増えていくだろう。新型コロナ対策で政府が、「政策課題をどうデジタルツールを使って解決できるか」という視点に乏しかったという指摘がある。デジタル庁が戦略的目的のための専門人材を活用していくことは、パッシブにしかデジタル化を捉えていなかった民間企業でもモデルケースになりうるのである。

センティネルで採用された方法論スクラムの提唱者で2001年にアジャイル開発宣言を発表した17人のエンジニアの1人であるジェフ・サザーランドは説く。「時代に合わなくなった仕事の進め方や指揮統制のやり方、あるいは厳密な予測にしがみついていれば、待っているのは失敗しかない。その間に進んで変わろうとしたライバルは、あなたを置いていく」。

アメリカは同時多発テロ、韓国は経済危機によるIMFの統制に端を発して大きな変化が起きた。日本はコロナ危機を変化の契機にできるのだろうか。

 

(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

 

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