デジタル庁が失敗しないために必要な3つの視点(馬田隆明)


「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API研究主幹 兼 慶應義塾大学法学部教授)。

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/442124

 

「API地経学ブリーフィング」No.63

2021年07月26日

デジタル庁が失敗しないために必要な3つの視点 ― 理想と道筋を示して「デジタル敗戦」の先を行け

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
上席客員研究員・東京大学FoundXディレクター 馬田 隆明

 

 

来るべきデジタル庁の社会実装

何かの技術を社会に普及させようとしたとき、多くの人は技術を提供する側の観点、つまりサプライサイド(供給側)の視点に立って物事を考える傾向にある。しかし本来行わなければならないのは、デマンドサイド(需要側)を中心に考えた社会実装ではないだろうか。これから創設されるデジタル庁にも同様のことが言えるだろう。

アジア・パシフィック・イニシアティブの社会実装WGの成果物である『未来を実装する』で提案したフレームワークを基に、来るべきデジタル庁の社会実装について提案したい。

人々が新たな技術を受け入れるのは、それが何かのニーズやデマンドを満たすからである。デマンドがなければ、どんなに優れた技術であろうと、人々は受け入れられない。

発展途上国が急速にデジタル技術を受け入れているのは、それがその国のデマンドに合致しているからである。たとえば銀行が機能していない国で、モバイルマネーによる送金は数多くの問題を解決する。FAXが普及していない国で、電子メールは利便性を向上させるだろう。

かつては日本もそうだった。第2次世界大戦の敗戦後、日本には多くのデマンドがあり、それを満たすために数多くの技術が社会に受け入れられていった。

それから数十年後の今、日本は成熟した。成熟した社会においては、既存の技術の潜在力が十分に引き出されているため、新しい技術に置き換えても大幅な便益が得られるわけではない。銀行網が張り巡らされATMがコンビニでアクセスできる状況では、モバイルマネーはさほど便益を増すものではない。FAXで十分に業務が回っているのであれば、コストをかけてデジタル技術を導入する必要もない。むしろ新たな設備投資や学習コストがかかる。その業務を担当している人たちの雇用もなくなるかもしれないため、反発も生まれる。

デジタル庁が乗り越えなければならない最大の障害は、長年の改善により最大限の性能を引き出された旧来の技術や、それを支える制度だともいえる。

こうした状況で新しい技術を導入しようとするならば、選択肢はほぼ2つしかない。新しい技術でしか解決できない課題に対して新しい技術を導入するか、もしくは技術が洗練していくか、である。

前者は課題をきちんと見つけていくこと、デジタル庁の場合は行政サービスの利用者である国民や、システムの利用者である公務員のデマンドをきちんと把握することで対応できる。デジタル庁がサービスではなくプラットフォームを作る場合は、そのプラットフォームを活用するソフトウェア開発者に話を聞く必要があるだろう。

 

ユーザーのニーズを発見し、俊敏に対応するために

これらを実現するためにはデザイン思考やアジャイル開発の方法論など、ユーザーのニーズを発見し、俊敏に対応するための手法を学ぶ必要があるだろう。単に開発手法を学ぶだけではなく、柔軟なソフトウェア開発方法が採用できるような発注や予算の仕組み、人材登用の制度や発注者の評価システムの見直しも必要だ。

デジタルならではのデマンドもある。たとえばデータプラットフォームを行政が整備し、新たな公共財としてのオープンデータを提供することで、新たなデマンドを生み出すことも可能かもしれない。そのときにはデータガバナンスをどうして整備していくかの議論も必要になる。さらにはデジタルがさまざまなインフラに組み込まれることにより、サイバーセキュリティの重要度が増し、安全保障という観点でのデマンドや制度変更の要望も新たに出てくるだろう。

汎用的技術は、仕組みや制度などのガバナンスのイノベーションがあって初めてその性能が活かされるという指摘もある。デジタル庁にはデジタル技術を十全に活かすためのガバナンスイノベーションを牽引する役目も期待したい。

一方、後者の道、技術を洗練させるためには、実際にユーザーに利用してもらうことが必要である。つまり少しでも導入されなければ洗練もされない。しかし十分に洗練されていなければ導入もされない。このような膠着状態において、新たな技術を採用してもらうにはどのようにすればよいのだろうか。

その1つの答えは、その技術の社会実装による最終的なインパクトや理想をきちんと示すことである。

なぜインパクトや理想が大事なのか。それは課題が「理想と現状のギャップ」だからである。理想がなければ課題もなく、そこにはデマンドも生まれない。

逆に言えば、明白な課題がないのであれば、理想を示して課題を提起し、そこからデマンドを生起させるというやり方があるのではないだろうか。これまで社会を変えてきた社会起業家やスタートアップは、まさにこうしたやり方で新たなデマンドを掘り起こしてきた。

 

なぜ日本社会にデジタル技術が必要なのか

デジタル庁でいえば、なぜ日本社会にデジタル技術が必要なのか、社会実装されることによって達成される理想は何なのか。それを語ることで、理想と現実のギャップが明るみに出て、新たなデマンドが生まれ、新しい技術を受け入れてくれる人たちが出てくるのではないだろうか。

ただし理想を提示するときには注意点が3つある。

1つ目は、その理想がどのような理論や思想のもとに成り立っているかを説明することである。思想的な基盤がなければ、理想は単なる思いつきでしかない。理論がなければ、共感だけでしか理想は共有されない。共感は人を巻き込める手法だが、一方で「その思いに共感できる人にしか届かない」という限界がある。多くの人を巻き込む理想には、共感以外の手法、つまり理論が必要だ。

2つ目に、理想に至るまでの道筋を示すことである。実現性のある道筋がなければ、掲げた理想はただの妄想でしかない。この道筋でなぜ理想が達成できるのかを論理立てて説明することが求められる。また道筋を歩んでいくための資源の拠出も必要だ。

3つ目に、理想を答えとして出すだけではなく、その答えを生きることである(この言葉は湯浅誠『つながり続ける こども食堂』から用いた)。理想と道筋を示すだけでは説得力が足りない。前に進むためには、語る人こそが率先して模範を見せる必要がある。

東京オリンピックはこの反面教師として使えるかもしれない。本来であれば、オリンピックが目指すべき理想を示し、その理想を支える理論や思想を語る必要があった。その骨格があれば『震災復興』から『新型コロナウイルスに打ち勝った証』『子供たちに夢と希望を与える大会』と、理想が二転三転するのも避けられ、スポーツへの共感を持たない人たちも巻き込むことができたのではないだろうか。

また理想を達成するための道筋を描く必要もあった。もし「安心安全」が道筋の中で重要であれば、その達成要件をある程度定量的に示し、十分に説明して実行していれば人々の納得感は高まっただろう。そして関係者がオリンピック憲章に書かれていることの現代的な意味を深く考え、体現できていれば、異なる受け入れられ方がされたかもしれない。

これから始まるデジタル庁にこの3つの指摘を当てはめてみよう。理想を理論と思想によって支えられるだろうか。理想に至るための道筋を描けるだろうか。そしてデジタル庁は答えに生きることができるだろうか。

 

デジタル庁の理想とは?

デジタル庁の理想は「1人ひとりのニーズに合ったサービスを選ぶことができ、多様な幸せが実現できる社会」である。この理想の社会像を鮮やかに語り、その理想を支える理論的・思想的な基盤を説明すること、そしてそれを達成するための道筋を説得的に語る必要があるだろう。さらにデジタル庁は答えを生きることが求められる。つまりデジタル技術を活かして生産性を高め、プロセスの透明化を行い、データを用いた政策を立案するといった理想的な行政を庁内で体現しなければならない。

そのためには、旧態依然としたガバナンスの刷新も必要かもしれない。周りから「なぜデジタル庁だけが優遇されるのか」という圧力も生まれるだろう。とても難しいことに違いないが、それを「難しい」と諦め、周りのやり方に合わせるのではなく、一歩でも先を行く姿を見せてほしい。デジタル庁が理想を体現することで、その優れたやり方が民間企業や他省庁にも伝わり、新たなデマンドも生まれてくるはずだ。

かつて第2次世界大戦後に日本は欧米という理想を夢見て、長足の進歩を遂げた。「デジタル敗戦」の後、デジタル庁の設立を前に、私たちの目の前には多数の反省材料が用意されている。この機会を「理想を掲げ、新たなデマンドを作り出す」力へとつなげる好機として捉えたい。

 

(おことわり) API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

 

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