日本の自衛隊「最悪の事態」の備えが不可欠な訳(尾上定正)


「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API研究主幹 兼 慶應義塾大学法学部教授)。

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/416209

「API地経学ブリーフィング」No.44

2021年03月15日

日本の自衛隊「最悪の事態」の備えが不可欠な訳 ― 軍事危機にどう使うか、コンセンサスが必要だ

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
シニアフェロー、第24代航空自衛隊補給本部長;空将(退役) 尾上定正

 

 

今できないことは最悪の状況では確実にできない

東日本大震災・福島原発事故から10年が経ち、日本はパンデミックの最中にある。多くの貴重な教訓は活かされているのだろうか。

APIの前身の日本再建イニシアティブは、2013年に「日本最悪のシナリオ 9つの死角」で、尖閣衝突、サイバーテロ、北朝鮮崩壊、核テロなど9つの国家危機を想定し、最悪の事態をシミュレーションした。自衛隊は過去の災害派遣活動が評価され、国民から最も信頼される組織となり、これら最悪の事態でも最後の砦となることを期待されている。

だが、自衛隊は危機対処の手段の1つであり、外交・経済・情報などほかの手段を統合する政治指導が、最悪の事態では最も重要となる。最悪のシナリオに沿って危機管理体制を検証し、そのとき自衛隊をどう使うのか。国としてのコンセンサス作りが必要だ。

地震や台風など自然災害が多発する日本は、過酷な実体験に基づき、国の危機管理体制から国民一人ひとりの防災意識に至るまで、逐次強化してきた。一方、未経験の危機については、最悪の事態を想像することを忌避するあまり、危機そのものを否定する罠に陥っているように見える。

最悪の事態に向き合うことは大きなストレスを伴うため、実際に起きるかどうかわからない事態に備え、今ある通常の規範や制度を変えるには大きな抵抗がある。だが、今できないことは、最悪の状況では確実にできない。例えば、「危機に法は沈黙する」と言われる。東日本大震災・福島原発事故で、自衛隊は自衛隊法の任務規定にないご遺体の捜索・収容、ヘリ・地上からの放水などを実施した。

現場では警察・消防などの「指揮」を命じられる場面もあったが、行政法の「運用の幅」で自衛隊に付与できる任務には、限界がある。原発事故が止められなくなったとき、命を懸けて原子炉をコンクリート詰めにする組織はいまだ定められていないが、それを自衛隊に命じることは「運用の幅」でできることではない。また、自衛隊の能力を過信し、いざとなれば自衛隊に命じれば何とかなるという誤った認識が生まれかねない。

職業軍人でない文民が、軍隊に対して最高の指揮権を持つ「シビリアンコントロール」(Civilian Control)の確保のためにも、最悪事態を想像する作業を通じ、憲法の国家緊急事態条項の欠落を含め、有事の視点からすべての法制のあり方を再検討する必要がある。

 

サイバーテロ、北朝鮮崩壊、核テロの複合事態さえ想定

日本が備えておかなければならないシナリオは深刻化かつ複雑化している。北朝鮮の核弾頭搭載ミサイルは日本を射程に入れ、サイバー攻撃能力も侮れない。場合によっては、サイバーテロ、北朝鮮崩壊、核テロの3つが複合する事態すら想定される。

中国は海軍力や法執行機関の能力を著しく強化し、尖閣諸島に対する侵害を常態化させた。2月1日から施行された海警法は、中国の定義する管轄海域において外国の軍艦や公船に対する武器使用を認めている。明らかな国際法違反だが、尖閣諸島周辺海域における中国の施政権を主張する布石であろう。

尖閣衝突危機は、緩慢だが、確実に進行している。尖閣事態と連動する恐れの強い中国の台湾侵攻の事態にも備えは必要だが、実は、最悪の事態をリアルに想定すること自体、困難な作業なのだ。これらの危機は自然災害やパンデミックと異なり、関係国の意図と行動が相互に影響するため、対応次第で事態を収められることもあれば拡大することもある。

関係国の国益が複雑に交錯する状況において、日本の主権と国民を守るため自衛隊にどのような任務を付与するのか、さらにはその結果としての犠牲をどこまで受容するのか、高度の政治判断と政府全体の対応、そして国としての覚悟が要求される問題である。

従ってこれらの最悪事態の考証は、対応に当たる主要関係者全員が参加し、公式に実施することが重要となる。その理由は、緩慢に進行する危機の痛みや最悪の状況の怖さを実感し、危機感を共有すると同時に、関係者全体で想像することで、組織間の齟齬や隙間などの具体的な問題点を確認できるからだ。

また、要職者個人の危機管理能力を向上させることで、政府全体の対応の質が高められる。例えば、刻々と変化する状況に対し事態をどう認定するのか、究極の決断を限られた時間内に求められるため、有事や危機は普段とまったく違う法則が支配することを肌で経験できる。

千差万別の、あるいは複合的な危機に際し、確保すべき国益や目標の何を優先するのか、どの手段をどう使うのか、首相はどこに位置して指揮するのか。首相に事故があった場合の自衛隊の指揮権は誰が継承するのか、内閣の危機管理関係局室と防衛省・統合幕僚監部はどのように役割分担・連携するのか、通信連絡・情報共有の手段・手続きは機能するのかなど、確認する必要があることは多い。

 

必要なら新たな法制やインフラ整備、国民への説明を

まず、現行体制を検証し、その運用に習熟しなければならない。そして、必要があれば新たな法制やインフラを整備するとともに、考証の結果を適切に国民に説明し、定期的な訓練などにつなげることが必要だ。

東日本大震災で自衛隊とアメリカ軍は初めて日米共同作戦を実施した。災害救助のトモダチ作戦では従来の共同訓練の成果が遺憾なく発揮されたが、原発事故対応では日米の国益の違いに根差す同盟の限界や放射線に関する行動基準の相違を認識させられた。

その後、日米ガイドラインが更新され、平和安全法制も制定されたが、北朝鮮や中国に関わる最悪の事態を想定した日米政府間の検討は未了である。自衛隊とアメリカ軍は、日米共同統合演習(実動または指揮所)を毎年実施し、有事における軍事面での共同対処能力の向上を図っている。だが、原発事故対応で問題となった日米政府間の協議については、「同盟調整グループ」が組織されたものの、全省庁の恒常的な参加と政治家の関与の仕方は決まっていない。

武力攻撃事態に至る可能性のある危機は、状況に即した事態認定と自衛隊への任務付与という政治と軍事の接際部、また、戦略的メッセージの発信や地経学的な対応など政府全体のアプローチが重要となる。同時に、日米間の利害調整と共通目標の設定が不可欠であり、それによって自衛隊とアメリカ軍の共同作戦は方向づけられなければならない。

アメリカは、核戦争を筆頭にあらゆる最悪の事態が起きるという前提で体制を整えているが、パンデミックによって加速した相対的な国力の低下のため、同盟国に対する役割分担の増加を求めざるをえなくなっている。外交問題評議会の最新報告書「アメリカ・中国・台湾:戦争抑止の戦略」は、アメリカの台湾防衛戦略には日本の参加と同意が不可欠だと明記している。

台湾有事は、日米同盟にとって最も重要かつ困難な試練となろう。実戦で試される前に、そのとき何が起きるかを合理的に問い詰めていくアメリカ式の想像と思考によって、日本の戦略を考えなければならない。バイデン政権は国防省に中国タスク・フォースを設置し、対中戦略を練り直している。日本は今からでもその作業に関与し、最悪シナリオに基づく同盟戦略をすり合わせる必要がある。

 

いざというときの実力を高めなければならない

自衛隊は究極の危機である戦争に備える組織である。災害派遣の実績が評価され、自衛隊に期待する役割の1位は「災害派遣」(79.2%)であり、「国の安全の確保」は2位の60.9%にとどまる。実際、自衛隊はさまざまな災害などに駆り出されており、最後の砦が普段から前線で活動する状況になっている。だが、自衛隊が最後の砦となるべき防衛事態は、自衛隊を含め政府も国民もまだ誰も経験していない。

北朝鮮の核ミサイルや中国の圧倒的な軍事力を相手に、自衛隊が必ず国と国民を守れるという保証はないのだ。政府は、武力攻撃事態の危機管理体制の再点検と修正を急がなければならない。自衛隊に必要な資源と時間を与え、いざというときのための実力を高めなければならない。

そして、最悪の事態を想定したリアリティのある訓練によって、政府全体の危機対処能力を向上させるとともに、国民の理解を深めなければならない。未経験の危機で自衛隊をどう使うか、そのコンセンサスが最悪の事態の備えには不可欠である。

 

(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

 

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