イスラエル・ハマス紛争の背景と国際安全保障秩序への影響(地経学ブリーフィング・溝渕正季)


地経学ブリーフィング No.193 2024年2月28日

イスラエル・ハマス紛争の背景と国際安全保障秩序への影響

広島大学大学院人間社会科学研究科 准教授 溝渕 正季

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2023年10月7日早朝、ガザ(Gaza)を実効支配するイスラム主義組織ハマス(Hamas)はイスラエル南部に大規模な奇襲攻撃を仕掛け、民間人を含めて1,100人以上が死亡し、およそ250人が人質として拉致された(「アクサーの大洪水」作戦; Operation Al-Aqsa Flood)。1年以上前から入念に計画された作戦の下、ハマス戦闘員は民間人に対する性暴力、略奪、焼き討ち、斬首など、暴虐の限りを尽くした[1]。不意を突かれたイスラエル側の被害は甚大で、死者数はイスラエル史上最大となり、イスラエル政府は即座にハマスに対して宣戦布告を行った。

イスラエルはまず大規模な空爆・砲撃を行い、次いでインターネットや携帯電話サービスをほぼ完全に遮断した上で、10月27日、「人質奪還」と「ハマス解体」を目標に掲げ、ガザに対する大規模な地上侵攻を開始した。地上侵攻開始から4ヶ月が過ぎ、女性・子供や民間施設問わず無差別に行われる激しい攻撃の結果、戦争前から既に深刻な人道危機下にあったガザの状況はより一層悪化している。2024年2月20日時点で、ガザでは3万人近くのパレスチナ人が殺害され、7万人近くが負傷したとされている[2]。他方で、『ウォールストリート・ジャーナル』(1月21日付)は米政府高官の情報として、イスラエル軍はこれまでにガザにおいてハマス戦闘員の20〜30%を排除したと報じているが[3]、これは「ハマス解体」という目標には依然として程遠い状況である。

 

イスラエル・ハマス紛争の背景

ハマスがこのタイミングでこうした大規模攻撃を仕掛けた理由は依然として明らかとなっていない。だが、戦前にハマスおよびガザの人々が置かれていた状況に鑑みると、以下のような点が推測される。

第一に、入植活動の活発化と暴力行為の増加である。2023年は新たに建設された入植地の家屋数がこの10年ほどで最多となり、また入植者による占領地住民に対する攻撃事案も大幅に増加していた[4]。攻撃の直前にも、ユダヤ教の祝祭日にあわせて数十人の入植者がアクサー・モスク(Al-Aqsa Mosque)への強行侵入を試みていた[5]。占領地の人々はこうした状況にフラストレーションを溜め込んでおり、状況は緊迫の度合いを増していた。

第二に、イスラエル側の油断である。ハマスがガザの実効支配を開始した2007年以来、イスラエル当局は15年以上にわたって同地区を封鎖し、その生活基盤を徹底的に破壊してきた。ハマスについても、とりわけ2014年の「防衛の刃」作戦(Operation Protective Edge)以降、イスラエルは「草刈り(Mowing the grass)」と称される――イスラエルにとってハマスは「雑草」のような存在であり、一定の長さを超えないよう定期的に「刈り取れ」ば良いとする――戦略を通じて、その無力化に成功したとの認識でいた[6]。近年では、イスラエルや国際社会の注目はもっぱら西岸地区に集中しており、ガザ情勢は話題に上ることすら稀であった。ハマスはこうした「ゲームのルール」を力ずくででも書き換えたいと考えた。

第三に、「アブラハム合意(Abraham Accords)」[7]以降のイスラエルと周辺アラブ諸国との国交正常化の動きに歯止めをかけることである。イスラエルと周辺アラブ諸国のあいだでの国交正常化の動きは、占領地に住む人々の目から見れば「裏切り」に他ならない行為であった。ハマスとしては、イスラエルとのあいだで流血の紛争を再燃させ、イスラエルの非人道性をアラブ世界に見せつけることで、アラブ諸国とイスラエルのあいだに、そしてアラブ諸国政府とその国民のあいだに楔を打ち込む狙いがあった。

第四に、ガザにおけるハマスの支持率の低さ、そして「抵抗の枢軸(Axis of Resistance)」[8]内部での立場の弱さである。直近の世論調査によると、ハマス主導の統治機構について、ガザ住民の7割近くが不信感を抱いていた[9]。他方で、2011年に始まったシリア内戦において、ハマスは反体制勢力を支持し、その戦闘員はシリアでの戦闘に直接参加したが、これによって(アサド[Bashar al-Assad]政権と同盟関係にある)イランおよびヒズボラ(Hezbollah)とハマスとの関係は急速に冷え込んだ。2017年以降、ハマスの指導部が入れ替わったこともあり、イランおよびヒズボラとの関係性は徐々に改善しつつあったが、それでも彼らのあいだに生じた不信感が完全に払拭されることはなかった。これまでの傾向から、ハマスはイスラエルとのあいだで武力紛争を引き起こせば自分たちに対する支持や支援が(一時的にとはいえ)拡大することを理解しており、今次の攻撃は劣勢に立たされたハマスによる反転攻勢の試みとも理解することができる。

第五に、ネタニヤフ(Benjamin Netanyahu)政権に対する国民の反発である。2023年7月、ネタニヤフ政権によって推進された司法改革法案が議会で可決されたことで、批判者たちは大規模な反政府デモを組織し、特にテルアビブでは数千人から数万人規模のデモが繰り返し発生した。これにより、政府への反発が広い範囲で高まり、社会の分断が急速に進んでいた[10]。さらに軍内部でも抗議の輪は広がり、予備役兵の訓練参加拒否なども相次ぎ、軍高官たちはこうした状況が軍事的有効性と抑止力の低下を招くと危機感を募らせていた。これはハマスの目には好機と映った。

ただし、結果としてハマスは、イスラエルと周辺アラブ諸国の国交正常化(そして最終的な目標であるサウジアラビアとの国交正常化)を妨害することには成功したものの、その代償はあまりにも大きく、なぜハマスがこのタイミングでこのような大規模な攻撃を仕掛けたのか、真の動機は依然として判然としない。同様に、イスラエル側に慢心・油断があったことは間違いないとしても、その情報機関がなぜ今回の攻撃を事前に予測・阻止できなかったのかという点についても、今後、慎重に検証される必要があるだろう。

 

国際安全保障秩序への影響と日本のなすべきこと

ハマスによる大規模攻撃の翌日、『ウォール・ストリート・ジャーナル』(10月8日付)はイランの革命防衛隊がハマスに作戦の指示を下したとの一報を伝えている[11]。だが、そのような事実を示す明白な証拠は現在でも見つかっていない。米国やイランの公式見解、およびこれまでのイランとハマスの関係性に鑑みると、イランの指示を受けてハマスが攻撃を実行したという可能性は低いだろう。イランにとって、今イスラエルと正面から戦火を交えることのメリットはほとんどない。「抵抗の枢軸」はあくまで利害の一致に基づく共同戦線であり、イランの指揮下にあったり、あるいは有機的に結び付いた一枚岩的な組織などではない。

とはいえ、戦線はガザを越えて広がりつつある。2023年末から2024年初頭にかけて、「抵抗の枢軸」間のパイプ役を務めてきたイランやハマスの重要人物がガザ外で相次いで殺害された。イスラエルとしてはガザ以外の場所も攻撃対象であることを示威すると共に、イランにとっての「レッド・ライン」を探り、さらに「抵抗の枢軸」諸勢力間に楔を打ち込む狙いもあったものと思われる。その後、シリアやイラクにおいて、イランの支援を受けた「イランの民兵」諸派と米軍のあいだで攻撃と反撃の応酬が生じ、双方が多数の死者を出す事態となっている。現時点では米国とイラン、あるいはイスラエルとイランのあいだで直接的な軍事衝突は生じておらず、両陣営ともに(双方の領土内への直接攻撃という)「レッド・ライン」を越えないようエスカレーションは慎重に制御されている。だが、現在、両陣営の意図にも反して偶発的な事態や誤算による軍事衝突が生じるリスクはかつてないほど高まっている。

また、イスラエルが今後の戦略や紛争後のガザ統治に関して曖昧な構想しか持ち合わせていない点も気がかりである。現状、ハマス側としては、人質解放・囚人釈放合意にリンクさせるかたちで、恒久的停戦、イスラエル軍のガザ撤退、ハマスによるガザ統治の継続保証などを要求しているが、イスラエル側がそれを拒否し続けている。だが、広大な地下トンネル網の奥深くに潜んでいるハマス戦闘員(そしてその多くは民間人と区別がつかない)を殲滅することなど本当に可能なのか、人質をどのように奪還するつもりなのか、そしてハマス後のガザを誰が統治するのか―――これらの点について、ネタニヤフ政権に具体的な戦略的見通しがあるようには思えない。このまま被害が拡大すれば、これまで全面的支持を貫いてきた米国もイスラエルを庇いきれなくなるだろう。人質解放(停戦)とハマス解体(戦争継続)のどちらを優先すべきか、イスラエル世論も割れている[12]。

中東地域は膨大な量の石油・天然ガスを擁するとともに、アジア・アフリカ・ヨーロッパを結ぶ戦略的結節点に位置し、ユダヤ教・キリスト教・イスラームの聖地を抱え、かつ世界で最も不安定な地域の一つである。このことから、同地域の紛争は常に大国を巻き込むものとなり、それは地域秩序に留まらず国際安全保障秩序全体に大きな影響力を持つ。今次の紛争についても、このまま攻撃が継続されればガザの人道状況が最悪の事態を迎えることは確実であるが、同時に、紛争を巡って国際社会の分断も一層深刻化しよう。これに対し、中東情勢の趨勢に影響力を行使し得るような外交的レバレッジを持たない日本が国家としてできることは限られている。それでも日本政府は、「ルールに基づく国際秩序」を支える民主国家の一員として、国際機関を通じた支援を継続するとともに、関係各国に対して暴力の即時停止を求め続けることが重要である。米国は「リベラルな覇権国」として、そしてイスラエルに圧力をかけ得る唯一の国家として、人権や国際規範の遵守を強く呼びかけるべきであるし、たとえ米国がイスラエルを執拗に擁護したとしても日本は米国と意見を異にすることを恐れるべきではない。

 

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[1]https://www.nytimes.com/2023/12/28/world/middleeast/oct-7-attacks-hamas-israel-sexual-violence.html

[2]https://www.ochaopt.org/content/hostilities-gaza-strip-and-israel-flash-update-120

[3]https://www.wsj.com/world/middle-east/hamas-toll-thus-far-falls-short-of-israels-war-aims-u-s-says-d1c43164

[4]https://www.timesofisrael.com/un-agency-reports-nearly-600-settler-attacks-over-past-six-months/; https://peacenow.org.il/en/a-record-number-of-housing-units-were-promoted-in-the-west-bank-in-only-six-months

[5]https://www.aljazeera.com/news/2023/10/4/israeli-settlers-storm-al-aqsa-mosque-complex-on-fifth-day-of-sukkot

[6]https://www.washingtonpost.com/world/2021/05/14/israel-gaza-history/

[7]https://www.meij.or.jp/research/2023/4.html

[8]https://synodos.jp/opinion/international/29044/

[9]https://www.foreignaffairs.com/israel/what-palestinians-really-think-hamas

[10]https://www.nytimes.com/live/2023/07/25/world/israel-judicial-vote-protests

[11]https://www.wsj.com/world/middle-east/iran-israel-hamas-strike-planning-bbe07b25

[12]https://www.timesofisrael.com/hostages-relatives-gain-political-clout-as-war-reshapes-electoral-landscape/

著者


地経学ブリーフィングとは

「地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人 地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。

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