2020年8月5日 国際政治論壇レビュー(2020年8月) アジア・パシフィック・イニシアティブ(API) 上席研究員・慶應義塾大学法学部教授 細谷雄一 アジア・パシフィック・イニシアティブ(API) リサーチ・アシスタント 松田拓也 【概観】 米中関係は現在悪化の一途を辿り、改善のための道筋が見えない。コロナ危機は公衆衛生や医療上の危機であるとともに、国家間関係の対立を深める効果ももたらしている。中国の強硬な姿勢がよりいっそう顕著となり、それは多くの諸国との摩擦を増大させる結果となった。 2020年6月30日、香港では国家安全維持法が施行された。これにより、北京による香港における統制がいっそう強化され、自由が大幅に制限されることになる。国際社会はそれに失望し、さまざまな批判が見られた。アメリカのみならず、イギリスでも中国に対する警戒感が高まり、対中政策が大きく転換している。香港問題はまた、台湾に対しても暗い影を落とす。そして、台湾をめぐる問題は西太平洋の海洋安全保障の問題にも直結し、日本の安全保障にも大きな影響を与えうる。そのようななかで7月13日に、ポンペオ国務長官が南シナ海における中国の膨張主義的な行動を強く非難したことが、大きく注目された(2-①)。 このように米中対立が激化する一方で、その構図にアメリカ大統領選という新たな変数も加わりつつある。とりわけアメリカの論壇では、11月の大統領選挙を強く意識するものが目立った。他方、このような米中対立を、アメリカの視点のみではなく、中国やヨーロッパ、オーストラリアなどからの視点を理解することも重要だ。ヨーロッパやオーストラリアでも、これまでの対中関与政策を大きく転換するような動向が見られた。 以下、香港、台湾、海洋安全保障という、米中対立における三つの主要な舞台に注目して、この一ヵ月で見られた重要な論考を紹介していきたい。 1.ポンペオ国務長官演説の衝撃 最近の米中対立を考える上でのもっとも重要な動きは、マイク・ポンペオ国務長官がカリフォルニアのニクソン大統領図書館で行った、対中政策に関する演説である(1-①)。これは、ニクソン大統領による米中和解の帰結した実現した対中関与路線が、大きな転換点に来たことを意味する。すなわち、ここでポンペイ長官は中国の政策ではなくて、中国共産党体制そのものを問題の根元と位置付けて、否定しているのである。いわば、レジーム・チェンジ(体制転換)の発想といえる。 それに対して、中国政府は厳しい批判を展開した。王毅外相はアメリカが関係悪化の原因を創っていると激しく非難した(1-⑥)。中国政府内では、トランプ大統領やポンペオ国務長官の中国批判が、大統領選挙を意識した国内政局的な理由と認識している。 アメリカ国内では、世論も全般的に対中強硬論に傾斜している傾向が見られながらも、ポンペオ長官の演説に対しては批判的な見解が主流だ(1-⑦、1-⑧)。ブルッキングス研究所のトマス・ライトが論じるように、そのようなポンペオ長官の主張は、たとえそれが一部の支持を集めたとしても、それを実行するための十分な手段があるわけではない。確かに、中国共産党体制を打倒することも、そのための国際的な連携を求めることも、あまり現実的とはいえない。 ただし、このようなポンペイ長官の演説のまえに、ロバート・オブライエン大統領補佐官、クリストファー・レイFBI長官、そしてウィリアム・バー司法長官と、中国批判の演説が続いていることにも留意しなければならない(1-②、1-③、1-④)。これらが意味することは、アメリカ国内で中国人政府関係者や、彼らが指示を出す学生たちが、違法な手段でワクチン開発の情報などの知的財産侵害というスパイ活動を行っていることへの反発である。そのような行動への非難を繰り返しアメリカ政府は発しており、それでもそれを慎まなかった結果が、ヒューストン総領事館の閉鎖の決定である。 2. 香港・台湾・海洋安全保障 今月は従来よりもいっそう、アメリカ大統領選を強く意識し、トランプ政権の中国政策を批評する論考が目立った。そのようななかでも、香港、台湾、海洋安全保障という三つの領域が、もっとも注目される動向であった。 アジアの安全保障が専門のザック・クーパーは、トランプ政権が5月に発表した「中華人民共和国への戦略的アプローチ」と題する文書を丁寧に分析している(2ー⑧)。さらに、米民主党系の新アメリカ安全保障センター(CNAS)所長リチャード・フォンテインと副所長でバイデン副大統領の国家安全保障担当次席補佐官を務めたエリー・ラトナーは、米中対立の経済関係の緊密性などを含めた米ソ冷戦との違いを明示し、米中関係を「新たな戦争」と描写している(1-⑬)。トランプ政権で国家安全保障担当補佐官を務めたジョン・ボルトンの回顧録も大統領選を意識したものとして、日本でも大きく報道された。この回顧録の分析の決定版とも言えるのが、米国の国際政治学の大家の一人であるコロンビア大学教授ロバート・ジャービスの論考である(4-①)。 他方で、米民主党バイデン候補の外交姿勢を批判する論考も出ている。共和党系の外交安全保障政策専門家のコリー・シャーキーは、トランプ政権とは一線を画しつつも、バイデンが湾岸戦争に反対したことなどを引き合いに出し、彼が軍事力行使に関して、一貫性のある哲学を持っていない点を批判した(1-⑮)。さらに『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙の保守系コラムニストのウォルター・ラッセル・ミードは、バイデンが現在の中国やロシアとの競合などの問題の要因をトランプ政権下での米国の指導力の欠如に見出している楽観的な見方に対して警鐘を鳴らした(1-⑯)。現在の国際政治を取り巻く問題のすべての問題の根元をトランプ大統領だと捉えると、本質を見誤ると指摘する。 香港をめぐる問題などと関連して、中国の膨張主義的な行動に対してアメリカが厳しい姿勢で臨む必要性を強調する見解が多く見られた。例えば、ポンペオ国務長官が南シナ海における中国の拡張主義的行動に対して発表した7月13日の声明は、大きな注目を浴びた(2-①)。この声明の中で、中国の南シナ海での現状変更は違法だと断定し、南シナ海を中国の支配下に置かせない強いアメリカの意志を明らかにした。さらに、インド太平洋安全保障問題担当国防次官補代理のデイビッド・ヘルビー氏は香港の英字紙に寄稿し、香港における国家安全維持法の施行を、法の支配を土台とする国際秩序への挑戦と捉えて強く非難し、改めて同盟国や友好国との協力関係の強化の重要性を強調している(2-②)。 アメリカのアジア専門家の多くが、香港などにおける中国の強硬姿勢に警戒感を抱いている。現在はともにジョージタウン大学で教え、アメリカ政府の対アジア政策担当者として要職を歴任したマイケル・グリーンとエヴァン・メデイロスは、香港の次に、台湾に対しても中国政府が同じような強硬姿勢を取る可能性を指摘する(2-⑤)。台湾有事への備えの必要性を強調しながら、香港そして台湾の問題がアジアにおけるアメリカの安全保障上の利益に与える深刻な影響への危機感を滲ませている。さらに、このような中国の強硬な姿勢は各国の中国への経済的依存を問い直すだけでなく、インド太平洋諸国の間で相互協力を促進する契機となり得るとの指摘もある(2-③)。 中国のこのような現在の強硬路線が、コロナ危機で突然浮上したものではなく、むしろそれ以前から続いてきた政策の延長だと位置付ける論考もある。中国の領土紛争などに詳しいテイラー・フラベル、マサチューセッツ工科大学(MIT)教授は、南シナ海などでの中国の強硬姿勢は、コロナ禍に乗じた行動ではなく、従来の戦略のあくまで延長にあると説明する(2-⑨、2-⑩)。さらに、インドとの国境での衝突も、中国の内政上の配慮から強硬姿勢をとった。中国がすでにコロナ禍以前より経済的に疲弊しており、コロナ危機でその傾向は加速していると主張する論考(2-⑥)もある。 【主な論文・記事】 1.ポンペオ国務長官演説の衝撃 ① Michael R. Pompeo, “Communist China and the Free World’s Future”, Speech by Secretary of States at Richard Nixon Presidential Library …
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