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国際政治論壇レビュー(2020年11月)

2020年11月4日   国際政治論壇レビュー(2020年10月) API 研究主幹・慶應義塾大学法学部教授 細谷雄一   【概観】 アメリカ大統領選挙も終盤に入ったこの1ヵ月は、ジョー・バイデン民主党候補への支持の拡大と、新型コロナウイルスに感染したドナルド・トランプ共和党現大統領への攻撃とが顕著であった。全国レベルでの世論支持率では7%ポイントほどのリードを保ったまま11月3日の投票日を迎えたが、この大統領選挙は歴史的で画期的なものになるだろうという論評が多く見られた。その結果次第で、アメリカのデモクラシー、さらにはアメリカが擁護してきたリベラルな国際秩序が音を立てて崩れ落ちる可能性が指摘されているのだ。 アメリカ大統領選挙の結果は、アメリカ国民に影響を及ぼすのみならず、国際社会の将来や、米中関係の趨勢にも巨大な衝撃を与える。それゆえ、中国やヨーロッパなどでも、アメリカ大統領選挙の趨勢に多大な関心が寄せられている。とりわけ対米関係を急速に悪化させている中国では、さまざまな角度からアメリカの政治や外交に関する論評がなされている。それらを概観することで、米中関係の今後についての理解を深めることができるはずだ。 以下、10月以降のアメリカ国内での論壇の動向を中心に見ていくことにしたい。   1. 支持を拡大するバイデン候補 バイデン候補は、着実に支持を拡大し、とりわけ6つの接戦州でも優位に選挙戦を進めている。また、共和党の牙城であったテキサス州でも、のきなみ世論調査での支持率で共和党のトランプ大統領を民主党のバイデン候補が上回る数字を見せている。しかしながら、4年前の大統領選挙では、世論調査で優位にあったヒラリー・クリントン民主党候補が、得票数で勝利しながらも、選挙人の数で大差をつけられてトランプ共和党候補に敗れる波瀾があったために、民主党陣営は手を緩めることなく接戦州での選挙活動を展開している。 接戦州の中でもとりわけ注目されているのが、フロリダ州とペンシルバニア州である。バイデン候補はフロリダの地元紙に寄稿して、自らが「フロリダ州民だ」と宣伝し、有権者の心を掴もうとしている(1-①)。フロリダの選挙人の数は29人であり、カリフォルニア州、テキサス州に次いで、ニューヨークと並び3番目に大きな数となっている。もしもバイデン候補が、テキサス州とフロリダ州で勝利を収めれば、選挙人の数が過半数を超えるのは確実となり、バイデン氏の勝利となるであろう。最後までフロリダ州での両者の支持率が接戦となっており、手が抜けない戦いとなっている。 あわせて、バイデン氏はキリスト教右派の票獲得のために、キリスト教福音派系の新聞にも寄稿している(1-②)。民主党に比べて、共和党の方が宗教保守派の幅広い支持を得ており、とりわけマイク・ペンス副大統領は自らが福音派であり、宗教色が強い。中道穏健派のバイデンとしては、大統領選挙の勝利のためには宗教保守派の票も幅広く獲得する必要がある。 他方で、「アメリカ第一主義」を掲げて、アメリカの国際的関与の縮小を欲するトランプ大統領に対しては、軍関係者などの安全保障コミュニティから厳しい批判の声が上がっている。それゆえ、4年前にもまして、そのような安全保障コミュニティからは、共和党候補であるトランプ氏を批判する声明が民主・共和の両党の支持者の双方から数多く見られる(1-⑤、⑥)。 バイデン候補は、元来の共和党支持の国際主義者や軍関係者の支持を得ると同時に、バーニー・サンダーズ氏やエリザベス・ウォーレン氏のような民主党左派の支持も得る必要があるために、選挙戦では明確な主張を避けて、むしろ曖昧で包摂的な立場を示す傾向が強い。それは、言い換えれば自らの主張が明瞭ではないために、勝利した場合でも政権運営はさまざまな困難に直面するであろう。それゆえ、トランプ批判に集中する姿勢や、民主党内左派に引きずられる傾向などに対する懸念も見られる(1-⑧、⑨)。   2. トランプ政権4年間の総決算 2020年の大統領選挙は、特異な性格や、非伝統的な対外政策を示してきたトランプ政権の4年間の政権運営に対する「信任投票」としての性質が強い。1年前には、アメリカ経済の好景気が手伝って、トランプ大統領の再選の可能性が高いという予想が多かった。ところが、2020年1月以降の、新型コロナウルスの感染拡大に際して、トランプ大統領がその脅威を過小評価していたことが批判され、また都市封鎖などの理由からアメリカ経済も急速に悪化して、それと平行してトランプ候補とバイデン候補の世論調査での支持率が逆転した。それゆえ、バイデン候補が有利に選挙戦を進めているというよりも、むしろトランプ大統領の政策のパフォーマンスへの不満がうっ積して、岩盤支持層を超えた中間層の支持が離れていった様子がうかがえる。たとえば、4年前の大統領選挙では、早い段階で大統領選挙予備選から撤退して、その後トランプ候補への支持を表明して、政権移行準備チームの責任者まで務めたクリス・クリスティ前ニュージャージー州知事も、今回の選挙戦では次第にトランプ大統領から距離を置くようになった様子が見られる(2-④)。 他方で、共和党系のコラムニストのヒュー・ヒューイットのように、むしろ4年間のトランプ政権の政策を高く評価して、引き続きトランプ政権が政権運営をできるように投票を求める声もある(2-①)。外交政策に関しては、対中強硬路線へと転換したトランプ政権の実績を大きな成果とみなす見解も見られる。とはいえ、4年前の大統領選挙のときに比較しても、トランプ政権四年間の実績を高く評価する声は多くはない。コロナ禍での景気の後退がその直接的な影響であろう。トランプ大統領の姪であり、2020年に『世界で最も危険な男』と題するトランプ批判の書籍を刊行した心理学者であるメアリー・トランプ氏は、トランプ氏が精神的に大きな問題を抱えており大統領職には相応しくない旨、批判的に論じている(2-③)。とはいえ、そのような批判もトランプ大統領を支持する岩盤支持層への影響は小さいであろう。   3. アメリカン・デモクラシーの崩壊? 2020年の大統領選挙において、従来とは異なる新しい要因が大きな争点となっている。それは、トランプ大統領が権威主義的な体制を好むような発言をしばしば示しており、他方でリベラル・デモクラシーに対する否定的な態度を見せることで、アメリカのデモクラシーが深刻な危機に直面する懸念があることだ。 具体的には、アメリカ政治において二極化があまりにも進行してしまったことで、トランプ支持層とバイデン支持層の間で、大統領選挙後の和解がほとんど不可能とみられていることだ。郵便投票の開票については、各州により選挙法が異なっており、結果が判明するまで大きな時間の差が生じることになる。2000年の大統領選挙では、フロリダ州の票の集計作業をめぐり大きな混乱が見られたが、それが今回の大統領選挙では大半の州で見られることになるかもしれない。 そのことは、アメリカのデモクラシーに関して、世界中でのそのイメージ悪化に繋がるであろう。そうなれば、世界中で民主主義への信頼が低下して、権威主義体制を志向する動きが見られるかもしれない。ジョージ・W・ブッシュ大統領のスピーチ・ライターであったデイヴィッド・フラムは、共和党の支持者の間で、法の支配を軽視して、選挙結果について受け入れられないとするような怒りが浮上することを懸念する(3-①)。今回の大統領選挙は、それゆえ、投票日前よりもむしろそのあとの動向に注目が集まり、懸念が示されるという珍しい傾向が見られるのだ。 また、たとえトランプ氏が大統領選挙で敗北しても、「トランプ主義」の影響はその後も長く残ることを指摘する論考も見られる(3-②)。若者の間で民主主義への信頼は低下して(3-③)、アメリカ国内における民主主義的な規範の後退が加速するかもしれない。それだけではない。4年前の大統領選挙では、ロシアからのサイバー攻撃による外国からの世論操作と選挙介入が指摘されており、今回もロシアやイランからのそのような影響力工作(influence operation)が予期されている(3-⑥)。アメリカのデモクラシーは国内外からの深刻な脅威に直面し、大きく動揺している。大統領選挙後に、その結果に不満を持つ勢力による暴動や掠奪が発生すれば、そのことは世界に報じられて、民主主義体制への信頼も大きく崩壊するであろう。   4. アメリカ外交と緊張が高まる米中関係 アメリカ大統領選挙は、新型コロナウイルスの感染拡大による経済的および社会的混乱の中で行われている。それだけではなく、米中間の摩擦と対立が深刻な危機をもたらしており、さらには中台関係も緊張を高めている。 イギリスの『フィナンシャル・タイムズ』紙のコラムニスト、マーティン・ウルフは、今回の選挙の結果によって、アメリカの世界における地位が危機に瀕すると予期している(4-①)。アメリカは現在、世界最大の新型コロナウイルスの感染者と死者を計上しており、国内社会は混乱と不安で覆われている。そのような社会的および経済的困難が、大統領選挙の結果による政治的混乱と結合することで、アメリカは深刻な危機に直面するかも知れない。そうなれば、よりいっそう中国は、台湾問題などをめぐり攻勢に出てくるだろう。 バイデン候補が勝利すれば、再び同盟国との関係を強化して、日米同盟も安定的に発展することが期待されている(4-⑤)。日米同盟は、アメリカの同盟網の中で、トランプ政権下でも安定的に堅持され、発展してきた例外的な同盟といえる。しかしながら、アメリカの東アジアへの関与が低下したり、兵力を削減したりする結果となれば、そのことは地域の不安定化に繋がるはずである。とりわけ、最近になって緊張が高まってきた台湾をめぐる米中対立は、どちらの候補が勝利しても大きく改善される見通しはない。アメリカの外交専門家の間では、民主化が進む台湾に対してより積極的に関与する必要性が指摘されており、米台関係は次の政権の対外政策の一つの試金石となるであろう(4-④)。   5. 反米姿勢を強める中国 米中関係の悪化が止まることがない理由は、米中の双方にある。トランプ政権ではポンペオ国務長官が今年7月23日の演説で、激しく中国の指導者と政治体制を批判したことを一つの頂点として、対中批判の演説や声明が続いている。他方で中国は、そのようなアメリカが現在衰退しつつあり、さらにはコロナ禍と政治の二極化でよりいっそう混乱を極めていると考えている。 ラッシュ・ドシの論考によれば、中国政府は2016年を転換点としてアメリカが衰退軌道に入ったとみており、コロナ禍の下での感染拡大はさらにその傾向を加速しているとみなしている(5-①)。そのような認識は、中国の共産党に近い新聞で繰り返し論じられている。また、中国国内では、アメリカがトランプ政権のもとでの攻撃的な対外政策によって、国際社会のなかで孤立を深めて多くの主要国との関係を悪化させていると視ている(5-②、③)。コロナ禍で対外情報があまり入ってこなくなったことや、中国共産党のメディアに対する締め付けが厳しくなったことから、メディアの論調はアメリカ批判と、中国共産党の政治指導への賛美の色合いが強くなっている(5-⑥)。 とりわけ、この期間の中国における対米関係関連の報道で目立っているのは、ポンペオ国務長官への過剰に厳しい批判である。トランプ大統領が再選される可能性も考慮して、トランプ氏個人への批判はほとんど見られない。中国としては、トランプ大統領が再選された後には、より親中的な国務長官が就任することを求めている様子がうかがえる。依然として米中関係を安定化させたいという強い意向は、国際派で親米派の朱峰南京大学教授の米中関係の将来に関する悲観的な論考の中にも見ることができる(5-⑦)。 他方で、尖閣諸島周辺での公船の活動を活発化させている一方で、菅義偉総理の外遊に関する記事では批判的な論調は見られず、習近平主席訪日を引き続き視野に入れて対日関係を安定させたい意向がうかがえる(5-⑧)。領土問題をめぐる強硬路線と、外交関係改善へ向けた協調路線と、同時並行で今後も進んで行くことであろう。   【主な論文・記事】 1.アメリカ大統領選挙の動向 ―民主党陣営 ① Joe Biden, “There’s a smarter way to …

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国際政治論壇レビュー(2020年8月)

2020年8月5日   国際政治論壇レビュー(2020年8月) アジア・パシフィック・イニシアティブ(API) 上席研究員・慶應義塾大学法学部教授 細谷雄一 アジア・パシフィック・イニシアティブ(API) リサーチ・アシスタント   松田拓也   【概観】 米中関係は現在悪化の一途を辿り、改善のための道筋が見えない。コロナ危機は公衆衛生や医療上の危機であるとともに、国家間関係の対立を深める効果ももたらしている。中国の強硬な姿勢がよりいっそう顕著となり、それは多くの諸国との摩擦を増大させる結果となった。 2020年6月30日、香港では国家安全維持法が施行された。これにより、北京による香港における統制がいっそう強化され、自由が大幅に制限されることになる。国際社会はそれに失望し、さまざまな批判が見られた。アメリカのみならず、イギリスでも中国に対する警戒感が高まり、対中政策が大きく転換している。香港問題はまた、台湾に対しても暗い影を落とす。そして、台湾をめぐる問題は西太平洋の海洋安全保障の問題にも直結し、日本の安全保障にも大きな影響を与えうる。そのようななかで7月13日に、ポンペオ国務長官が南シナ海における中国の膨張主義的な行動を強く非難したことが、大きく注目された(2-①)。 このように米中対立が激化する一方で、その構図にアメリカ大統領選という新たな変数も加わりつつある。とりわけアメリカの論壇では、11月の大統領選挙を強く意識するものが目立った。他方、このような米中対立を、アメリカの視点のみではなく、中国やヨーロッパ、オーストラリアなどからの視点を理解することも重要だ。ヨーロッパやオーストラリアでも、これまでの対中関与政策を大きく転換するような動向が見られた。 以下、香港、台湾、海洋安全保障という、米中対立における三つの主要な舞台に注目して、この一ヵ月で見られた重要な論考を紹介していきたい。   1.ポンペオ国務長官演説の衝撃 最近の米中対立を考える上でのもっとも重要な動きは、マイク・ポンペオ国務長官がカリフォルニアのニクソン大統領図書館で行った、対中政策に関する演説である(1-①)。これは、ニクソン大統領による米中和解の帰結した実現した対中関与路線が、大きな転換点に来たことを意味する。すなわち、ここでポンペイ長官は中国の政策ではなくて、中国共産党体制そのものを問題の根元と位置付けて、否定しているのである。いわば、レジーム・チェンジ(体制転換)の発想といえる。 それに対して、中国政府は厳しい批判を展開した。王毅外相はアメリカが関係悪化の原因を創っていると激しく非難した(1-⑥)。中国政府内では、トランプ大統領やポンペオ国務長官の中国批判が、大統領選挙を意識した国内政局的な理由と認識している。 アメリカ国内では、世論も全般的に対中強硬論に傾斜している傾向が見られながらも、ポンペオ長官の演説に対しては批判的な見解が主流だ(1-⑦、1-⑧)。ブルッキングス研究所のトマス・ライトが論じるように、そのようなポンペオ長官の主張は、たとえそれが一部の支持を集めたとしても、それを実行するための十分な手段があるわけではない。確かに、中国共産党体制を打倒することも、そのための国際的な連携を求めることも、あまり現実的とはいえない。 ただし、このようなポンペイ長官の演説のまえに、ロバート・オブライエン大統領補佐官、クリストファー・レイFBI長官、そしてウィリアム・バー司法長官と、中国批判の演説が続いていることにも留意しなければならない(1-②、1-③、1-④)。これらが意味することは、アメリカ国内で中国人政府関係者や、彼らが指示を出す学生たちが、違法な手段でワクチン開発の情報などの知的財産侵害というスパイ活動を行っていることへの反発である。そのような行動への非難を繰り返しアメリカ政府は発しており、それでもそれを慎まなかった結果が、ヒューストン総領事館の閉鎖の決定である。   2. 香港・台湾・海洋安全保障 今月は従来よりもいっそう、アメリカ大統領選を強く意識し、トランプ政権の中国政策を批評する論考が目立った。そのようななかでも、香港、台湾、海洋安全保障という三つの領域が、もっとも注目される動向であった。 アジアの安全保障が専門のザック・クーパーは、トランプ政権が5月に発表した「中華人民共和国への戦略的アプローチ」と題する文書を丁寧に分析している(2ー⑧)。さらに、米民主党系の新アメリカ安全保障センター(CNAS)所長リチャード・フォンテインと副所長でバイデン副大統領の国家安全保障担当次席補佐官を務めたエリー・ラトナーは、米中対立の経済関係の緊密性などを含めた米ソ冷戦との違いを明示し、米中関係を「新たな戦争」と描写している(1-⑬)。トランプ政権で国家安全保障担当補佐官を務めたジョン・ボルトンの回顧録も大統領選を意識したものとして、日本でも大きく報道された。この回顧録の分析の決定版とも言えるのが、米国の国際政治学の大家の一人であるコロンビア大学教授ロバート・ジャービスの論考である(4-①)。 他方で、米民主党バイデン候補の外交姿勢を批判する論考も出ている。共和党系の外交安全保障政策専門家のコリー・シャーキーは、トランプ政権とは一線を画しつつも、バイデンが湾岸戦争に反対したことなどを引き合いに出し、彼が軍事力行使に関して、一貫性のある哲学を持っていない点を批判した(1-⑮)。さらに『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙の保守系コラムニストのウォルター・ラッセル・ミードは、バイデンが現在の中国やロシアとの競合などの問題の要因をトランプ政権下での米国の指導力の欠如に見出している楽観的な見方に対して警鐘を鳴らした(1-⑯)。現在の国際政治を取り巻く問題のすべての問題の根元をトランプ大統領だと捉えると、本質を見誤ると指摘する。 香港をめぐる問題などと関連して、中国の膨張主義的な行動に対してアメリカが厳しい姿勢で臨む必要性を強調する見解が多く見られた。例えば、ポンペオ国務長官が南シナ海における中国の拡張主義的行動に対して発表した7月13日の声明は、大きな注目を浴びた(2-①)。この声明の中で、中国の南シナ海での現状変更は違法だと断定し、南シナ海を中国の支配下に置かせない強いアメリカの意志を明らかにした。さらに、インド太平洋安全保障問題担当国防次官補代理のデイビッド・ヘルビー氏は香港の英字紙に寄稿し、香港における国家安全維持法の施行を、法の支配を土台とする国際秩序への挑戦と捉えて強く非難し、改めて同盟国や友好国との協力関係の強化の重要性を強調している(2-②)。 アメリカのアジア専門家の多くが、香港などにおける中国の強硬姿勢に警戒感を抱いている。現在はともにジョージタウン大学で教え、アメリカ政府の対アジア政策担当者として要職を歴任したマイケル・グリーンとエヴァン・メデイロスは、香港の次に、台湾に対しても中国政府が同じような強硬姿勢を取る可能性を指摘する(2-⑤)。台湾有事への備えの必要性を強調しながら、香港そして台湾の問題がアジアにおけるアメリカの安全保障上の利益に与える深刻な影響への危機感を滲ませている。さらに、このような中国の強硬な姿勢は各国の中国への経済的依存を問い直すだけでなく、インド太平洋諸国の間で相互協力を促進する契機となり得るとの指摘もある(2-③)。 中国のこのような現在の強硬路線が、コロナ危機で突然浮上したものではなく、むしろそれ以前から続いてきた政策の延長だと位置付ける論考もある。中国の領土紛争などに詳しいテイラー・フラベル、マサチューセッツ工科大学(MIT)教授は、南シナ海などでの中国の強硬姿勢は、コロナ禍に乗じた行動ではなく、従来の戦略のあくまで延長にあると説明する(2-⑨、2-⑩)。さらに、インドとの国境での衝突も、中国の内政上の配慮から強硬姿勢をとった。中国がすでにコロナ禍以前より経済的に疲弊しており、コロナ危機でその傾向は加速していると主張する論考(2-⑥)もある。     【主な論文・記事】 1.ポンペオ国務長官演説の衝撃 ① Michael R. Pompeo, “Communist China and the Free World’s Future”, Speech by Secretary of States at Richard Nixon Presidential Library …

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国際政治論壇レビュー(2020年7月)

2020年7月8日   国際政治論壇レビュー(2020年7月) アジア・パシフィック・イニシアティブ(API) 上席研究員・慶應義塾大学法学部教授 細谷雄一 アジア・パシフィック・イニシアティブ(API) リサーチ・アシスタント   松田拓也   【概観】 米中対立が熾烈化する国際情勢 COVID-19の感染者数が急増し国際秩序が大きく動揺するなかで、米中対立がよりいっそう熾烈化している。それは、相当程度に深刻なレベルに達している。 グローバルなパンデミックには、グローバルな国際協調が不可欠である。2009年に新型インフルエンザの感染が拡大した際には、アメリカのバラク・オバマ大統領と中国の胡錦濤総書記は迅速に国際的な連携の必要を説き、国連やWHOを通じた国際協調により感染拡大を一定程度抑制することを成功させた。それとは対照的に、現在では米中関係で連携と結束を示す機運が見られない。とりわけトランプ米大統領は自国中心主義的な対外姿勢をむしろ強めており、WHOからの脱退も宣言し、そのことが主要な国際組織を通じた協調が大きく後退する要因ともなっている。 このようにして、コロナ危機はアメリカの世界でのリーダーシップとその役割を見直さねばならないような転機となりつつある。それゆえ、国際論壇でもそのような国際秩序の行方、アメリカの役割、そして中国の影響力拡大を問う論考が数多く見られた。 以下では、そのような論考の中から、とりわけ国際的に注目を集めているものに限定して紹介していきたい。   ポストコロナの世界秩序 はたして、ポストコロナの世界秩序はどのようなものになるのであろうか。とりわけ注目すべきは、米中関係の今後を検討した論考が数多く見られることである。 今後の世界秩序が、米中関係によって大きく左右される点についてはおおよそ共通の見解が見られる。まず、オバマ政権での国務次官補として東アジアを担当したカート・キャンベルは、ラッシュ・ドーシとの共著論文のなかで、英米の力の関係が逆転した1956年のスエズ危機の歴史的事例をアナロジーとして、コロナ危機の最中に中国が積極的に国際公共財を提供する姿勢を示すことでアメリカのリーダーシップに対抗し、場合によっては両国の力関係が大きく逆転するきっかけとなり得ると警鐘を鳴らす(1-①)。これは、民主党政権が成立した際には、アメリカの世界的な指導力を再建する必要があると説くマニフェストともいえる。 クーリーとネクソンの共著論文は、コロナ危機によってアメリカなどの自由民主主義体制の諸国がこれまで構築してきた国際秩序が崩れて、「国際公共財の管理」そのものが大国間競合の舞台となっている実態が露わになったことに注目する(1-③)。これはまた、アメリカの覇権に支えられた秩序が終焉を迎えていることを説く論考でもある。他方で、マコーミック、ルフティッグ、カニンガムによる共著論文は、国力の源泉が経済的強靭性であることを指摘して、アメリカの国家戦略における経済の重要性を改めて確認することで注目を集めた(1-⑤)。   アメリカの対外政策 このようにポストコロナの世界秩序が米中関係の動向に大きな影響を受けているなかで、アメリカの国際的な地位や、その対外政策が今後どのように変容していくかを論じた論考が数多く見られた。 冷戦後のアメリカの介入主義的な対外政策に批判的で、より抑制的な政策の必要を主張するのは、ハーバード大学教授のスティーブン・ウォルトである(2-⑤)。このような主張は、学術的な言論空間のみならず、一般論壇でも存在感を高まっており、現実の政治にも浸透していく可能性がある。換言すれば、アメリカの国力の限界からも、対外関与を無限に拡大することへの強い抵抗が幅広く見られる。 アメリカの対外政策に関する論考は、従来のような積極的なアメリカの対外関与を求める論考と、むしろより抑制的な対外政策、あるいは対外関与からの撤退を求める論考と、その主張が大きく分かれている。アメリカの軍事的優位性の減退を懸念する論考も注目を集めた(2-③)。 他方で、コロナ危機はこれまでにもまして、アメリカの対外関与において軍事力が果たす役割を見直すことを求める気運が高まっている。例えば、経済安全保障や地経学への関心が高まる中で、ゲーツ元国防長官は過度な軍事力への依存に警鐘を鳴らした(2-①)。これは、軍事力以外の手段を用いてアメリカが影響力を確保することを説くものでもある。   中国は次の世界のリーダーになり得るのか それでは、アメリカの優越的な国際的地位を脅かす中国は、今後アメリカに代わって世界のリーダーとなるのであろうか。 外交評論家のウォルター・ラッセル・ミードや、国際政治学者のマシュー・クローニングは、コロナ危機はむしろ中国の脆弱性を露呈させたと主張し、民主主義国家の優位性を強調した(3-①、3-⑩)。2月半ば頃までは、比較的中国のコロナ対策、さらには権威主義体制の迅速な対応に対して、比較的高い評価が見られた。しかしながら、それ以降はむしろ、中国の国内問題の深刻化や、景気の後退の長期的な影響に対して、悲観的な論調が多く見られるようになった。 他方、アメリカの戦略史が専門のハル・ブランズは、中国がこれを好機として、自由で開かれた国際秩序を弱体化させる方向へと動いていくことを予測する(3-②)。事実として、米民主党系の安全保障の専門家で元国防次官補のフローノイの論文が示すように、コロナ禍のなかでむしろ西太平洋における中国の海洋軍事行動は活発化し、膨張主義的な行動が顕著となった(3-⑧)。フローノイは、バイデン政権が成立した場合は、高い地位で政権入りすることが想定されている。さらに、中国の海洋戦略に詳しいトシ・ヨシハラは、現在、日中間での海軍力のパワー・バランスが崩れつつある厳しい現実を明らかにし、その論考は注目を集めた(3-⑤)。中国の海軍力が確実に増強されている現実を、直視せねばならない。それはまた、尖閣諸島の問題を内包する東シナ海において、今後より一層顕著となるであろう。 米中間の大国間競合はコロナ危機以前から注目されていたが、そのような動きが加速して、よりいっそう対立の側面が色濃くなったことで、世界秩序がよりいっそう不安定で不透明になりつつある。最近の国際論壇でもそのような現実を反映した論考が数多く見られたが、依然として米中間のパワー・バランスの今後の見通しについては、見解が大きく分かれた状況となっている。現段階では、アメリカの指導力の終焉を論じるのも、中国が世界秩序を管理する時代が到来すると論じるのも、時期尚早なのであろう。     【主な論文・記事】 1.ポストコロナの世界秩序 ① Kurt M. Campbell and Rush Doshi, “The Coronavirus Could Reshape Global Or-der: China Is Manoeuvering for International …

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