【福島原発事故11年】風評被害対策はどこまで有効だったのか? 「民間事故調」報告書より


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【福島原発事故11年】風評被害対策はどこまで有効だったのか? 「民間事故調」報告書より

2022年3月10日

理事長 船橋洋一2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれによる大津波は、東京電力福島第一原子力発電所(福島第一原発)事故を引き起こし、10年以上が経過した今なお、日本社会にさまざまな形で影を落としている。

この未曾有の大事故を受け、シンクタンク「日本再建イニシアティブ(RJIF)」は民間の立場から独自に福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)を設置し、2012年に調査・検証報告書を刊行。「アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)」に改組して以降も、事故から10年後のフクシマを総括すべく、福島原発事故10年検証委員会(第二次民間事故調)を立ち上げ、「民間事故調最終報告書」を昨年刊行した。

「THE PAGE」は、日本社会の「いま」と「これから」を考える上で、避けては通れない福島第一原発事故から得た課題や教訓を「学ぶ」ために、同報告書の一部を抜粋し、要点をまとめた形で紹介していく。

 

安全性が科学的に証明されても…広範囲に根付いた偏見

――東京都民の半数ほどが、科学的知見に反して、「福島の人は後々、がんなどの健康障害が出てくる」と考え、4割ほどが「これから生まれる子や孫に健康影響が出る」と懸念している。

――家族・子ども、友人・知人に福島県産の食品を食べることと福島に旅行することを勧めるかとの質問に、3割ほどの人が「放射線が気になりためらう」と回答した。

これは、三菱総合研究所が2017年と2019年の2回にわたって実施した世論調査で、福島県の復興状況や放射線の健康影響に対する東京都民の意識や関心・理解に関するデータである。福島への差別や偏見が広範囲に根付いてしまっている。

原発災害後の福島を考えるとき、住民にとってもっとも残酷な差別であり、もっとも過酷な試練はいわゆる風評被害だろう。安全性が科学的に証明できても、福島県産・福島の観光地だというだけで疑問符がつけられ、忌避される傾向は残り続ける。

行政は風評払拭に向けて様々な取り組みを行ってきた。福島県は県庁内部の一次産業、観光業、オリパラ、教育などを担当する各部局がそれぞれの分野で風評を払拭する取り組みを行っている。また、中央省庁では復興庁、経済産業省、農水省などが、パンフレットや動画を製作・配布したり、福島の農家などを招き、福島産作物や商品を紹介するようなイベントを福島県外で開催したりしてきた。2017年には政府が「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」方針を発表し、省庁横断的な情報発信をする事業も進めてきた。

このほか民間レベルでの風評払拭に向けた取り組みも数多くあり、例えば都内の大手企業が社員向けに福島産品を買い支えしようと直接販売の機会を作ったり、都市部の大学生が大学の食堂や学園祭で福島のコメや野菜を扱うようにボランティアで動いたり、といった草の根的な取り組みも行われてきた。

 

曖昧な風評被害の概念 有効性への視点足りず

このように風評被害対策は一定の広がりを持って、多様な主体により進められてきたが、逆に言えば、中心的にこの問題を担当し、その結果に責任を取ることを誰もしない受け身の構造に終始してきたともいえる。

原発事故からの10年を俯瞰した際、これまでの「風評被害対策」に欠けているのは、それがどこまで成果を上げたのか、そしてどれほど持続性があるのか、を客観的に分析する視点だ。

問題の根っこに「風評」という概念の曖昧さがある。

だいたいどんなものが「風評被害対策」なのか。人々はその言葉を聞いて何を思い浮かべるだろうか。

アイドルグループ、TOKIOによる福島の農産物・観光地のPRは、テレビでのCM放映はじめ、様々な形で継続されている。福島産品を扱った物産展も各地で開かれている。

ただ、それらが果たしてどれほど風評被害対策として有効なのか。例えば、原災の被害を受けていない地域も農作物や観光地のPRを行い、テレビCMを放映し、遠方に出張して物産展を開いている。福島のそれと他所のそれを明確に区別できないのであれば、それは販売促進であっても、風評被害対策ではない。そこで風評被害対策として行われていることが風評被害の払拭にどこまで有効なのかは別に評価する必要があるだろう。

このことは、これまでの風評被害対策としてされてきた諸々が無意味であるということを意味しない。風評によって落ち込んだ消費をまず回復するために、遮二無二やれることを試してみるのが重要なことであることは間違いない。

しかし、従来の風評被害対策では、それを進める際、風評という曖昧な概念を場当たり的に捉え対策を打ち出してきたきらいがある。そこにはリスクコミュニケーションという概念の多様性とも相通じる課題があるのではないか。

 

販促や説得が主眼に…変質したリスクコミュニケーション

10年間を通して福島復興に関わってきた環境省関係者は、原災直後と、その後時間が経過していった後とで、いわゆる“リスコミ(リスクコミュニケーション)“の概念が変質してきたと指摘する。

その概念は当初は、政策当局や東電が透明性や情報開示によって住民との距離を「詰め合う」意識でやっていた。リスコミの専門家が語る理想もそれであった。しかし、それがいつごろからか販売促進や説得を目的とするようになった。3.11前から理論的に構想されてきた理想のリスコミ、或いはそれを流布してきた専門家が、3.11の圧倒的現実の前に全く実効性がなく無力であることが露呈した故だ。

行政の予算範囲内で求められる“リスコミ“では、それを受託する広告代理店は「結果」を出すことを求められる。いきおい販売促進のためのナラティブ(物語)志向の“リスコミ“へと傾斜する。しかし、それでは知識伝達に一定の効果はあっても、一定以上には広がらない。結局、予算消化を前提に「おいしい・楽しい」イベントを開き、パンフレットやウェブ・動画などを作ること自体が目的化する。その本来の目的であるリスクコミュニケーションがいかに良い形で達成されたのかという核心が問われない構造になっているのだ。

 

風評被害対策の本質は「福島復興を描く大きな戦略テーマ」

先の世論調査の結果からも、これまでの“風評被害対策“の有効性に限界があったことをうかがわせる。

このような状況に対して、行政当局は一貫して「正確な情報を伝え続ける」との立場で臨んでいる。冷静かつ根気強く対応しようというまっとうな態度のように見えるが、実際には、風評と正面から向き合うこと、差別や偏見を持ちその解消を阻害しようとする過激な者たちに立ち向かうことを恐れるリスク回避といってよい。そうすることが過激な見解を持つ人々からの政治と行政への批判を呼び起こすのを回避したいとする“事なかれ主義“に他ならない。

風評被害対策は、単に販促イベントをすることでも、“リスコミ”の専門家に委ねて済ませられることでもない。福島の復興の本質に関わる大きな戦略テーマであり、それは廃炉、除染、健康調査、避難民の帰還、経済活性化、町づくり、そして原子力被災地の再生といった他領域にまたがる問題であり、2011年6月施行の東日本大震災復興基本法が目指している「普遍化と逆転への意思」そのものに関わるテーマなのである。

国内外の情勢・民意に目配りし、一貫した戦略を練るイニシアティブを誰かが取ることを棚上げしてきたツケが回っている。

3.11の記憶の風化は進み、国内外での風評は一層固定化し、福島県民を苦しめている。政治も行政もそれに対してこの間、一つとして効果的な手は打てなかった。このままでは福島の問題は福島の特殊な問題としてそこに止め置かれることになるだろう。

 

少子化や産業衰退…課題克服の先に見える新しい国のあり方

「原災復興フロンティア」と題した第7章ではこのほか、被災の固定化と孤立化が進んでいる福島の放射線モニタリングの現状、除染をめぐる課題、甲状腺がん検査をめぐる過剰診断への対応の問題点、ハコモノができたという以上の成果が見えないイノベーション・コースト構想などについて、言及する。

「ゾンビ化とエンドステート」という小単元には、以下のような内容の記述がある。

震災直後の「集中復興期間」から「復興・創生期間」を終え、今後様々な側面で「ポスト復興バブル期」として、復興事業やその波及効果に支えられてきた経済構造にほころびが見えてくることが想定される。

福島全体してはポスト復興バブル期に入る一方、避難指示を経験した地域の復興は忘れられてきた。これまで見てきた「福島の復興」の諸現象は、人工呼吸器であり人工心臓であり栄養補給であり輸血ではなかったのか。

元来は廃炉についての工学的な議論の中で用いられてきた概念であり、「最終的な状態」を指すエンドステートという言葉。本来、復興に必要なのはエンドステートを描く議論を広く行うことに他ならない。

しかし、福島第一原発の廃炉をめぐるエンドステートの議論は、10年を経てもまだ始まっていない。そして、中間貯蔵施設に関するエンドステート論についてもほとんど表立った議論はされていない。

エンドステートを定めずに走り続けることの限界はいずれ露呈するだろう。それは、100メートル走なのか、マラソンなのか。それも知らずにとにかく走れというに等しい。それでは途中で息絶えてしまう。

当初は何を克服し、どこを目指すのか明確だった「復興」が、時間の経過と一定の状況の改善が進む中で、逆説的にも、曖昧になってきている。

いまも残る、この10年で手つかずのままにされてきた種々の復興の難題は、単に予算があればどうにかなるわけでも、技術が完成すればよいわけでも、住民を巻き込んだ議論を進めれば丸く収まるわけでもなく、そういった複合的な課題を踏まえつつ時間をかけて努力をしなければ解決しないものばかりだ。

原災復興――。それは、これまで人類が経験してきた数多の戦争や災害からの復興からの「学び」の応用問題として考えてみようにも容易に答えが見いだせない問いを多分に含んでいる。

それでも「21世紀半ばの日本のあるべき姿」を見据え、少子高齢化や既成産業の衰退、巨大科学技術と政治権益と民主的合意形成の関係といった普遍的課題を福島の復興を通して克服していく先に、過去の戦争や大災害からの復興で生まれたような新たなこの国のあり方が見いだされるに違いない。

 

報告書

 2021年2月19日に『福島原発事故10年検証委員会 民間事故調最終報告書』を株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワンから刊行しました。

プロジェクト詳細

序章 第二次民間事故調の課題:「いつものパターン」は許さない

第1章 安全規制─不確かさへのアプローチ─

コラム1 消防車による原子炉注水

第2章 東京電力の政治学

コラム2 なぜ、米政府は4号機燃料プールに水はないと誤認したのか

第3章 放射線災害のリスク・コミュニケーション

コラム3 “過剰避難”は過剰だったのか

第4章 官邸の危機管理

コラム4 福島第二・女川・東海第二原発

コラム5 原子力安全・保安院とは何だったのか

第5章 原子力緊急事態に対応するロジスティクス体制

コラム6 日本版「FEMA」の是非

コラム7 求められるエネルギー政策の国民的議論

第6章 ファーストリスポンダーと米軍の支援リスポンダー

コラム8 2つの「最悪のシナリオ」

コラム9 「Fukushima50」─逆輸入された英雄たち

第7章 原災復興フロンティア

コラム10 行き場のない“汚染水”

コラム11 免震重要棟

終章 「この国の形」をつくる

発売日:2021年2月19日
出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン
ISBN:978-4-7993-2719-7

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