日本の経済安全保障「防衛産業」の議論が欠ける訳(尾上定正)


「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一 研究主幹、慶應義塾大学法学部教授、ケンブリッジ大学ダウニング・カレッジ訪問研究員)。

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/502732

特集 経済安全保障戦略(2021年11月~2022年1月)
APIでは、国家経済安全保障戦略プロジェクトの一環として、経済安全保障戦略に関する論考をAPI地経学ブリーフィングで公表しました。経済安全保障戦略に関する論考一覧はこちらをご覧ください。

「API地経学ブリーフィング」No.88

画像提供:Shutterstock

2022年1月17日

日本の経済安全保障「防衛産業」の議論が欠ける訳 ー 新興分野と一体で強い安全保障生産・技術基盤を

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)シニアフェロー
第24代航空自衛隊補給本部長;空将(退役) 尾上定正

 

 

 

産官学の共同が不可欠

国家安全保障と経済安全保障は並置されるものではなく大きく重なり合う。防衛産業はその重なりの中で最も重要だ。にもかかわらず、経済安全保障に関する取り組みから防衛産業は抜け落ちている。経済安全保障法制に関する有識者会議の産官学を代表する18名のメンバーにも防衛軍事の専門家は見当たらない。

産経新聞の報道(「防衛版」経済安保法検討 産業基盤を強化、2021年12月10日配信)によれば、防衛部局は「防衛版」経済安全保障法案の策定を検討中とのことだが、これではますます防衛産業が他産業から切り離され、ガラパゴス化してしまう。今後の安全保障・軍事のあり方を左右する革新的技術は軍民両用であり、その大半が防衛事業とは無関係の民間企業で研究開発されている。

中国の軍民融合に対抗するには、産官学の共同が不可欠だ。機微技術の管理にも軍事的な専門知識が必要である。高い秘密保全等の特殊性は防衛産業だけを特別扱いする理由にはならない。軍事と非軍事の境界が意味を失いつつある現実を踏まえ、安全保障生産・技術基盤を育成・保全・活用する経済安全保障を目指す必要がある。

防衛産業の衰退に関する危機意識は早くから防衛関係者には共有されてきた。防衛装備品の高性能化にともなう調達単価や維持・整備経費の増加と調達数量の減少、研究開発コストの上昇に追随できない防衛関係の研究開発予算、技能の維持・伝承の困難化や一部企業の防衛事業からの撤退などの逆風の中、新たな防衛装備移転三原則(以下、三原則)に期待し、2014年(平成26年)6月に「防衛生産・技術基盤戦略」が策定された。

前年に初めて策定された国家安全保障戦略と改定された防衛計画の大綱を受け、防衛省・装備庁が打ち出した起死回生の策だった。結果、安全保障技術研究推進制度の導入やフィリピンへの警戒管制レーダー輸出(2020年)などの成果が上がったものの、同戦略が意図した防衛産業の活性化には程遠いのが現状だ。

防衛省はこれまで、同戦略や累次の防衛大綱に基づき、企業間の競争環境の創出に向けた契約制度の見直しや三原則のもとでの装備品の海外移転の推進に取り組んできた。産業界との協力・連携を推進するため、防衛大臣と日本経済団体連合会幹部との間で意見交換するなど、企業との対話も実施した。しかし、防衛事業から撤退する企業は後を絶たず、海外移転の実績も乏しい。

 

防衛省だけの取り組みはすでに限界

防衛産業は「土俵際」に追い込まれていると指摘されており、防衛省だけの取り組みはすでに限界だと言わざるをえない。一例を挙げれば、防衛装備品の海外輸出手続きがある。国内の約1万の防衛関連企業は、自衛隊だけの極めて限定された需要から海外市場への進出を必要としている。

価格や品質・性能で競争力のある企業もある。A社の落下傘は安全性や操作性に優れ、数年前からB国軍への輸出に向けて企業努力したが、三原則の運用指針が海外移転を認める「救難、輸送、警戒、監視及び掃海に係る協力に関する防衛装備」に落下傘は該当しないとされた。装備移転の主管は安全保障貿易管理全般を所掌する経済産業省であり、A社担当者は経産省と防衛装備庁に何度も調整したあげく、国家安全保障会議での審議が必要と言われ、その負担の重さに断念したと聞く。

そもそも三原則は防衛装備品の海外移転を禁止することが目的であり、海外輸出促進が目的ではない。経済産業省は防衛装備の輸出規制と防衛産業の維持強化の両立を考える必要がある。工廠を持たない自衛隊は、防衛産業なしにはいかなる任務も遂行しえない。防衛産業の衰退は自衛隊の弱体化と同義である。

現在の日本の安全保障体制は、2013年の国家安全保障会議(NSC)設置、国家安全保障戦略の策定、2014年の国家安全保障局の発足で整った。しかし、安保会議の諮問事項で唯一、これまで一度も審議されていない事項がある。

宇都隆史参議院議員は、2014年3月の予算委員会で、「安全保障会議設置法の第2条3項に、防衛計画の大綱に関連する産業等の調整計画の大綱を定めると記載されているが、この産業等の調整計画の大綱は一度も国家として定められたことがない」との主旨で質問している。

これに対し、経済産業副大臣の答弁は、「産業等の調整計画の大綱について、これまで検討を行ったことはございません。作成する場合には、製造業やエネルギーを所管しております経済産業省といたしましても、他省庁と連携して取り組むことになると考えております」 と、まったく他人事であった。

当時の安倍晋三首相も、経産省だけで行える判断ではなく戦略的観点からNSCでも議論すべき問題だと述べたが、その後もまったく議論されず、放置されている。岸田文雄首相は国家安全保障戦略等の見直しを明言しているが、この放置された「産業等の調整計画の大綱」の扱いを考えなければならない。

 

企業の大半は防衛に無関心

防衛産業の市場規模は小さい。国の防衛予算の装備品調達費からFMS(アメリカの海外有償援助)経費を除いた約2兆円であり、防衛需要依存度(会社売り上げに占める防衛関連売り上げの比率)は平均で5%程度にすぎない。企業の大半は防衛に無関心であり、主要防衛企業においても防衛事業の扱いはせいぜい脇役か端役である。

それゆえ、政府は防衛産業に注意を払わずにきた。さらに、企業には防衛事業に対するさまざまな否定的感覚がある。その背景には国民の「軍事」に対する忌避感がある。この影響の強さは、日本学術会議による大学の防衛分野への研究協力の拒否や移転三原則の実状を見ても明らかだ。

その根源は、憲法9条2項による「その他の戦力(other war potential)」の不保持と占領軍による軍事産業の禁止政策まで遡るので、根は深い。しかしながら、安全保障のすそ野は大きく広がり、今後の軍事のあり方を変革するゲームチェンジャー(革新的技術)の大半はDual Use Technology(軍民両用技術)になり、三原則で厳しく規制される「防衛装備」、即ち「武器」および「武器技術」以上に適切な管理が必要とされている。

軍事と非軍事の境界が意味を失いつつある今、防衛装備移転と機微技術管理の制度は、重要生産・技術の国内供給源維持と移転管理という経済安全保障の目的に適した包括的な枠組みとして再設計する必要がある。

さらに、日本が持つ戦略的技術を活用する「攻め」の経済安全保障においては、この革新的両用技術を利用した日米同盟の技術協力が重要な柱の1つとなる。1月7日に行われた日米外務・防衛閣僚協議の共同声明には、「人工知能、機械学習、指向性エネルギー及び量子計算を含む重要な新興分野において、イノベーションを加速し、同盟が技術的優位性を確保するための共同の投資を追求する」と明記された。

 

企業がリスクやコストを負担しない枠組みが必要

これを実現する一案として、防衛装備庁に付属する次世代装備研究所をプラットフォームとし、日米共同の防衛装備・技術の研究開発組織(日本版DARPA=国防高等研究計画局)を政府として立ち上げてはどうか。いずれの分野も既存の防衛企業だけでは対応できないので、十分な予算をつけて民間企業等から広く技術者を募り、日米の官民共同を実現する。厳しい環境におかれ、中国に流出する恐れのある学者や技術者の受け皿にもなろう。企業は、先端技術の開発につきもののリスクやコストを負担せずに済む。自衛隊やアメリカ軍による試験を経て素早く実装化することも期待できる。

経済安全保障の概念は幅広く関係省庁も多いので、政府全体の協調が要る。企業や大学等の民間組織も主体的な役割を持ち、官民共同が不可欠だ。だが、軍事抜きの経済安全保障はありえない。防衛省と経産省は共同して、防衛産業を安全保障生産・技術基盤という国の基幹インフラへと発展させる必要がある。

同時に、深く染み付いた軍事アレルギーを払拭するためにも防衛産業の古い垣根を払い、優れた両用技術を有する企業へ広げ、国民の関心を高めることが重要だ。有事に国を守り、国民の命と暮らしを守る基盤の強化は、経済安全保障の要である。

 

 

 

(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

 

最新の論考や研究活動について配信しています