日本が国際的な敗者にならない為に必要なこと(船橋洋一・細谷雄一・神保謙)


「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API研究主幹 兼 慶應義塾大学法学部教授)。

「API地経学ブリーフィング」を開始して1年になりました。トランプ政権の登場で「世界の分断」は加速し、コロナの時代にその勢いは増しています。
分断される世界において日本に求められる役割とは何か──。API地経学ブリーフィング連載1周年として開催した、API理事長 船橋洋一、API研究主幹・API地経学ブリーフィング編集長 兼 慶應義塾大学法学部教授 細谷雄一、API-MSFエグゼクティブ・ディレクター 兼 慶應義塾大学総合政策学部教授 神保謙による鼎談を3回にわたり掲載します。本稿はその最終回です。

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/425707

   

「API地経学ブリーフィング」No.51

2021年05月03日

日本が国際的な敗者にならない為に必要なこと ― 対米、対中を軸にした経済安全保障戦略の要諦

 

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
理事長
船橋洋一

 

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
研究主幹
慶應義塾大学法学部教授
細谷雄一

 

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
MSFエグゼクティブ・ディレクター
慶應義塾大学総合政策学部教授
神保謙

 

 

米中に狭まれる日本の戦略的空間

細谷 雄一(以下、細谷):前回は、先の日米首脳会談で両首脳が関係強化を確認した日米同盟に関して、対中戦略における日米の思惑の齟齬や、尖閣諸島、台湾海峡問題などの安全保障といった、日本の課題について話し合いました。今回は前回の議論を踏まえ、日本のとるべき戦略、そして政策について話し合います。

特に重要な、軍事と経済の両面を含んだ安全保障戦略に関して、それをつくっていくうえで根幹となる理念や思想を含めてお話しください。

神保 謙(以下、神保):2018年以降、安倍晋三首相退陣までの約2年間は、ある意味で日本外交の黄金期でした。トランプ政権下で米中の戦略的対峙が激化するなかで、日本は日米同盟を強化する一方、日中関係を大幅に改善することができました。黄金期と言ったのは、日米、日中関係の双方で最適解を求めることができ、ワシントン、北京から楔を入れられない時期だったからです。

同時期に世界でも稀な形で米中双方と良好な関係を構築したことは、日本の国際的なリーダーシップの基盤となりました。例えば、2019年に日本がホストしたG20大阪会合は、トランプ政権の多国間主義への不信と米中対立の狭間で、存続さえ危ぶまれる状態でした。しかし日本は巧みな調整でサミットを成功に導き、インフラ投資、金融、保険、データ貿易に関する重要な成果文書をまとめることができました。当時の日本の外交調整力は、その後のフランス主催のG7ビアリッツ会合の乏しい成果と比べても圧倒的でした。

日本の対米・対中外交の総仕上げとなりえたのが、2020年春に予定されていた習近平国家主席の訪日だったと思います。ところが、新型コロナウイルスによって外交日程が延期され、その後、香港の民主化後退、新疆ウイグル人権問題、海警法の制定を含む海洋安全保障の緊張など、安全保障や人権問題に関する事態が次々と起こり、対中政策をめぐる状況は一変してしまいました。

こうした中、日本は対米政策と対中政策の両輪を並行的に転がすことは徐々に難しくなりました。すでに論じたとおり、バイデン政権はトランプ政権の対中競争路線を引き継ぎ、人権問題を加えて強化する路線をとり、気候変動などの領域を除き米中が共存する道筋を描くことが難しくなりました。

日本の黄金期の戦略空間が狭まっていく中で、オートパイロット(自動運転)の外交をする余地はありません。特により戦略性を高めて先端・新興技術を保護しサプライチェーンに厳しい視線を向けるアメリカと、中国経済の成長を果実にしたい日本との利害調整をする局面は今後も増えます。

 

経済安全保障戦略の策定を

これからの日本は、一方で自由、公正、無差別、開かれた市場といった自由貿易の原則を推進しながら、もう一方で戦略性の高い経済安全保障を推進する両輪が求められます。政府与党でも新国際秩序創造戦略本部で経済安全保障戦略をめぐる議論が交わされていますが、今後は産官学を含めて議論をさらに深めるべきだと思います。

経済安全保障は貿易管理や対内投資管理などを通じて「守る」政策と、産業政策や国際連携を通じて「攻める」政策を総合的に推進する必要があります。前者のみ進めてしまうと、安全が強化されたように見えても、実態としては国内産業保護や輸入代替の隠れ蓑になってしまう危険性もあります。結果として重要な産業分野で競争力を失っては、何のための経済安全保障かということになりかねません。

まず「守り」ですが、日本自身の重要産業分野のリスク管理を強化する方策が求められます。例えば、米中双方で利益を上げている企業は、米中でビジネスを展開する事業母体を切り離して分社化するような手法での危機管理が必要となる局面が増えてくると思います。産業基盤を強靭化し、特定国への過度な依存からの脱却を図るという発想も重要です。

同時に「攻め」では世界各国の産業にとって不可欠な、日本独自の技術を拡大していくことも重要です。例えば半導体製造装置のセグメントの中には、日本企業の技術が不可欠な工程があります。こうした技術を戦略的不可欠性として捉えることが重要です。「守り」では過度な外国への依存を避け、「攻め」では海外の日本への依存を管理するという発想です。

軍事、経済両面での安全保障戦略を考えるとき、第1回(「分断する世界で日本に求められる役割とは何か」4月20日配信)で議論した地経学が安全保障領域に重要な役割を果たすようになった時代に対応できる、しっかりとした組織の構築がもとめられると思います。具体的には、今の日本政府のガバナンスは不十分で、経済安全保障の司令塔の役割を果たす組織の構築が必要です。

換言すれば、国家安全保障戦略が不可欠なように、国家経済安全保障戦略も不可欠であるはずで、内閣官房の国家安全保障局内の経済班といった位置づけではなく、権限を強化し、地経学的戦略を統括する組織があってしかるべきだと思います。

加えて、経済通商問題に特化した情報機関を創設し、ワシントンや北京の動向をいち早く察知し、予測される事態に備えるという態勢を作ることが、今後は必要だと考えます。

 

繰り返されてきた日米の軋轢

船橋 洋一(以下、船橋):日本の採るべき戦略は、「自由で開かれたインド太平洋構想」を肉付けし、それを推進するクワッド(日米豪印の4カ国協調)という枠組みの構築となると思います。それを実現するために各国の政策協調のあり方とそれぞれの役割分担を明確にしていく必要があるでしょう。その際、そのすべての中核であり土台である日米同盟をどのように維持、発展させ、経営していくかという同盟の進化を目指すことになるでしょう。

日米同盟は何度も試練に直面してきました。1970年代のニクソン・ショックと石油危機、1980年代の東芝ココム事件(東芝の子会社が、ココム[対共産圏輸出統制委員会]が禁止する工作機械を輸出したことにより、ソ連の潜水艦技術を進歩させたとして、東芝がココム協定違反に問われ、日米の政治問題に発展した)、1990年代初頭の湾岸危機・戦争、2000年代の民主党鳩山政権下での東アジア共同体構想、2011年の福島原発事故など、日米関係が大きく揺らいだこともありました。

ニクソン大統領の中国訪問決定は、事前に日本に知らされなかった電撃的な“頭越し”外交でした。背景には繊維の対米輸出規制を巡ってニクソンが佐藤首相の“約束違反”に対して抱いた強い不信感がありました。ココム事件では同盟国の日本の企業が“抜け駆け”してソ連にこっそり技術を売ったことが厳しく批判されました。

湾岸戦争の際はブッシュ(父)政権から「ショウ・ザ・フラッグ」、つまり、日本も多国籍軍の一員としてイラクに兵隊を送れと迫られました。“安保ただ乗り論”批判ですね。東アジア共同体構想は、日中が裏で手を組んで“アメリカ抜き”のアジア主義を企んでいるとの疑念をオバマ政権に抱かせました。また、福島の原発事故では、国家的危機に直面した日本政府の“当事者能力欠如”を疑われる場面もありました。

今後はこれまで以上に、尖閣諸島にしても台湾にしても朝鮮半島にしても対中地経学競争にしても、不測の事態が起こった際、日米同盟を活用して危機を乗り切ることができるかどうか、それとも同盟を活用できずに危機を深めるか、同盟経営の出来不出来がカギとなるでしょう。“頭越し”“約束違反”“抜け駆け”“安保タダ乗り””アメリカ抜きのアジア” “当事者能力欠如”のリスクを日本は頭に入れておかなくてはなりません。これまで以上に日米同盟に対する逆風が各方面から吹いてくる可能性も心しておくべきです。

1つは、中国による日米分断圧力の強まりです。中国が日米同盟を“立ち枯れさせたい”と望んでいることは明白です。中国から見れば、NATOや日米同盟は「冷戦時代の残滓」であり、国際社会の不安定要因であり、西側の既得権益を守るための道具です。中国は日米欧を国連はじめ国際社会の「少数派」と位置づけ、中国や開発途上国などの「多数派」とことさらに対峙、対立させようとしています。一昔前の「第一世界」対「第三世界」、ひいては南北問題を再現させようとしているかに見えます。

 

根本的対立の認識が必要だ

それに対して、日米は日米同盟もNATOも戦後の「自由で開かれた国際秩序」を支えてきた防衛基盤であり、北だろうが南だろうが今後とも安定作用と抑止力を持ちうる国際的公共財であるとみなしています。これをめぐって根本的対立があることをわれわれはしっかりと認識しておかなくてはなりません。

かつては、例えばニクソン訪中の時代には、中ソ関係が険悪化していたこともあり、アメリカは中国に対して、ソ連に対する「共同戦線論」、あるいは、日本が再び、暴走するのを防ぐための「瓶のふた論」といった日米同盟の“効用”をささやくことができました。今は違います。中国はこのところ、日米同盟下の日本に対して「アメリカの走狗(そうく)」という言い方をするようになっています。その昔、日米安保条約を締結した岸政権以降、文革の時代まで、日本などのアメリカの同盟国に対して使われた言葉が復活しています。

日米同盟が盤石であることを日米は中国に示していくことが肝心です。日米が安定してこそ、日中も米中も安定するような日米中三角関係を目指すべきです。一言で言えば、対中抑止力を柔軟に維持し、中国にそれを理解させるということです。

もう1つの懸念はアメリカの内政です。トランプ時代に激化したアメリカの経済社会の大分断がアメリカの世界観と対外構想、そして対外関与のありように影響を及ぼすおそれがあります。バイデン大統領はアフガニスタンからの撤退を確約しています。この“永久戦争”がアメリカ国民の“対外関与疲れ”の背景にあることは間違いありません。

しかし、アフガニスタンから撤退し、中東への過剰関与を整理して、インド太平洋に関心も資源も集約するという“ピボット”がそう簡単に起こるとは考えにくい。「中間階層のための外交政策」はアメリカのそれこそ“自力更生”路線、つまりは保護主義的産業政策に裏打ちされた貿易・経済安全保障政策にほかならず、アメリカが近い将来、CPTPPに復帰することは考えにくい。

インド太平洋の多角的枠組みへの再参画と人権をはじめとする価値観外交を標榜する姿勢はアメリカのリーダーシップ復権のためには望ましい方向を指し示しているとは思いますが、人権や地球環境などでのいささか前のめりの姿勢には多分に内政面での支持母体層へのアピールという側面も感じられます。対中競争的共存の長期的戦略の中で、これらをどう位置づけるのか、そしてそれをアメリカの国民の支持を得る形で練り上げられるのか、そこになるとバイデン政権もまだ十分に構想を描き切れていないのではないかという気がします。

 

台湾と尖閣

さらには台湾問題も日米関係の不安定要因になりうる鬼門です。台湾海峡有事は尖閣諸島有事と連動、共振してしまう時代に入りつつあるように見えます。

台湾を失えば、それはドミノ倒しの最初の駒となるという切迫感をアメリカは持ちつつあります。それは日本も共有している切迫感です。そうなった場合、アメリカはもはや(西)太平洋パワーとしてとどまることは難しい。日米同盟をいまのような形で維持することも難しくなる。日本のシーレーン防衛は根本から挑戦を受ける。

台湾有事に関して、日米同盟は兵力分散配置、基地再編、コンティンジェンシー・プラニング作成などを行う必要が出てくるでしょう。台湾海峡に有事を起こさせないために、日米は協調して対中抑止力を高める必要がある。同時に、台湾防衛に関しては、日本のできることとできないことをアメリカに明確にしておくべきです。基本は、尖閣諸島の防衛・抑止は日本が主、台湾のそれはアメリカが主、という役割分担を共通理解にしておくべきでしょう。

細谷:国際秩序が構造的変化を起こしている現在、日本のとるべき戦略を私なりに考える前に、かつての国際秩序の構造的変化の時代に日本がこれまでどのように対応してきたのか、歴史的に振り返ってみたいと思います。

第1次世界大戦後、ファシズムが台頭し国際秩序が変動したとき、日本はファシズム勢力の側に与して、米英両国を敵国として戦争をしてしまいました。つまり、国際秩序が変動したときに、日本はその潮流を見誤って国を滅ぼし、国益を大きく損ねたのです。

冷戦終結後の国際秩序の変動にも、日本はうまく対応できませんでした。冷戦時代の思考から抜け出すことができず、日米同盟に安住し、意図的な不作為、つまりあえて何も行動しないことが平和であるというような思考回路にとどまっていました。

それを変えたのが、カンボジアのPKOへの自衛隊の派遣を端緒とする国際平和協力活動への参加の拡大で、最終的には安倍政権の安保法制改定に至りました。ここまで来るのに、冷戦終結から20年もの年月を費やしたのです。

つまり、戦前も戦後も、国際秩序の大きな変動に際して迅速かつ適切に対応できず、いわばその「敗者」であり続けたのが日本の歴史です。戦前の対応は迅速でしたが適切ではなく、戦後のそれはあまりにも遅い対応でした。

 

幻想からの脱却

その日本が、現在進行形で、さらにこれから加速していくことが予想される国際秩序の巨大な構造変化に、うまく対応するには次のような2つのことがぜひ必要だと考えます。

1つは、戦後の平和主義的幻想からの脱却であり、そしてもう1つは安全保障戦略と経済戦略、さらには気候変動問題やデジタル戦略など、喫緊の課題に対応する戦略を統合するレビューの策定です。

戦後の日本の平和主義は、平時と戦時を明確に区別し、憲法9条で戦争を放棄しているのだから「戦時」はありえないという、いわば「フィクション」の世界の中で生きてきました。

しかし実際には、言うまでもなく、戦時か平時かを明確に区別することはできません。国際関係においては、常にグレーゾーンのような事態が発生しています。また、平時を自らの意思だけで維持できるわけではありません。外国から攻撃を受けた場合、平時は瞬時にして吹き飛んでしまいます。

つまり、事実誤認による平和主義によって知的怠惰に陥り、明確に区別することのできない平時と戦時を区別し、日本には平時体制しかないという幻想を作ってしまったのが戦後の日本でした。

これに対して、歪んだ平和主義から脱却し、前回(「日本の対米・対中戦略に一体何が求められるか」4月26日配信)、神保さんからご指摘のあったような、米中が経済的な戦時体制ともいえるような状況を適切に認識する。また、平時と戦時が混ざり合ったグレーゾーンの時代に、統治のレベルで迅速かつ適切に対応する。これらのことが、いまの日本に求められていると思います。

 

国家戦略統合レビュー

そのためには、国家安全保障戦略に加え、神保さんがご指摘されたような国家経済戦略、さらには気候変動問題に対応する戦略や、デジタル戦略、喫緊の課題としては新型コロナウイルスに対応するワクチン獲得戦略など、さまざまな戦略を立てなければなりません。

その場合に、それぞれの戦略を別個に考えるのではなく、どこかの段階でその上位となる国家戦略、すなわち「統合レビュー」のようなものを策定することが必要だと思います。先日、イギリス政府は、そのような「統合レビュー」を発表していますが、その日本版ともいうべきレビューを作成すべきです。

もちろん、簡単なことではないと思いますが、うまく適応できなければ、国際秩序の急激な構造変動の時代に、日本は再び敗者となって国際的な地位を低下させ、蓄積してきた巨大な国益や富を失うことになりかねないということに、危機感を抱くべきです。

 

(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所、その他著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

 

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