より良い提言を日本と世界のために発信する、独立系シンクタンク
MENU

コロナワクチンで遅れる日本に求められる知恵(鈴木康裕)

「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API研究主幹 兼 慶應義塾大学法学部教授)。

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/402337

   

「API地経学ブリーフィング」No.35

2021年1月11日

コロナワクチンで遅れる日本に求められる知恵 ― 公的「投資案件」としてとらえる必要あり

厚生労働省顧問(前・医務技監)
鈴木康裕

 

 

 

日本のワクチン研究・製造は後れを取っている

2020年1月に始まったわが国の新型コロナウイルス感染症の流行は、春の第1波、夏の第2波に続き、11月以降、第3波がその勢いを増しており、政府が「勝負の3週間」として感染予防を呼びかけたにもかかわらず、全国における1日の発生数が8000名に迫り,緊急事態が再度宣言された。

こうした中、本年にオリンピックを控えるわが国にとって、感染を抑制していくためにワクチン接種によって集団免疫を獲得することが必須だが、英米に比較して接種開始も遅れているほか、国内の研究開発が大きく後れを取っていることなど、ワクチンの研究開発や製造をめぐる産業政策に疑問が呈されている。

とくに、「タイムリーに自国でワクチンを研究開発し、製造する能力の不足」が指摘される。今回は、たまたま欧米の製造国における生産量に余裕があったために、真摯な交渉の結果、緊急で日本に輸入することができる見込みだ。ただ、そうでなければ、いずれの国もまずは自国民接種優先のはずで、数が足りなければ輸出ができず、ワクチンが日本には回ってこない可能性もあった。今回の新型コロナ感染症の経験をよい契機として、わが国のワクチン産業政策の「これまで」を見直し、「これから」に向けて大きく舵を切る時期に来ているのではないか。

実は、昭和40年代まで日本はワクチンの研究開発や製造について先進国だった。しかし、主として接種対象である乳幼児の数が大幅に減ってしまい市場が縮小したこと、予防接種事業自体の成功と食料品から摂取できる栄養の改善により、対象とする感染症が減少。副反応だけが目立ち、できるだけリスクを回避するという世間の風潮の中で、訴訟の連発に政府もメーカーも萎縮してしまっていた。また、国内市場のみで完結していたため、審査承認を司る厚生労働省の下、「護送船団方式」といわれる、規制下の限定競争を支えてきた産業政策が取られてきたことも業界を弱体化へと導いた可能性がある。

日本は10年ほど前に、肺炎球菌ワクチンやHibワクチン、子宮頸がん(HPV)ワクチンなどを定期接種に導入(すべて輸入品であるが)してほぼ欧米並みの接種スケジュールとなったが、HPVワクチンによる「副反応」問題で、再度、ワクチン懐疑派の声が大きくなった。

こうしたことを背景に、現在はワクチンの研究開発力も大幅に減退しており、最後の研究開発支援を行う機会である今を逃すと、もはや国内にワクチンの研究開発の基盤がほぼ消滅してしまう危機にある。実際に、引退しつつある日本のワクチン技術者が海外へリクルートされているという現状もあると聞く。

2000年前後からの感染症の世界的流行を振り返ると、1997年の高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)、2003年のSARS(コロナウイルス)、2009年の新型インフルエンザ(H1N1)、2012年のMERS(コロナウイルス)、そして2020年のCOVID-19と、4~5年に1回は世界をパンデミックが襲っており、もはや社会経済や医療の体制はこうした頻回の感染症パンデミックの来襲を前提に組み立てるべき時代を迎えている。

 

日本国内に研究開発や製造の基盤が必要

このように頻繁に起こるパンデミックに対して、短期間のうちにワクチンを用意するためには、国内にワクチン研究開発や製造の基盤を持っておかないと、毎年、相当量のワクチンを輸入せざるをえなくなり、財政的、安全保障的なリスクが大きい。したがって、国内ですべてを完結させられるワクチンの研究開発および製造のエコシステムが必要だ。

そこで、今後、わが国のワクチン産業政策について求められる考え方や具体的な戦略などについて考えたい。

まずは、人口も増えて豊かになっていくアジアに目を向けることだ。研究開発や製造の基盤を維持・向上させるためには、それなりの大きな市場が必要となるので、出生数が減り続けている日本だけに限定しない考え方が必要だ。市場としての販路だけではなく、研究開発コストを共同負担して引き下げることも可能だし、基礎科学は強いが臨床開発に弱点がある日本を補い、国際共同治験を実施することで開発スピードを上げることもできる。

日本の支援が計画されている「アジア版CDCの設立」やアジア各国のワクチン審査当局への技術支援、日本のワクチンメーカーのアジアへの展開支援などを組み合わせることによって、こうした戦略は一層実現性が高まることとなる。

次に、ワクチンの有する「外交的ツール」としての価値の認識だ。今回の新型コロナ肺炎用のワクチンについては、欧米だけではなく、中国やロシアも研究開発に力を入れており、自国では開発できない途上国に対して、安価で供給することによって外交関係を強化しようとしている。わが国は、WHOなどが主導しているCOVAX(先進国の共同の出資によって途上国にワクチンを安価で供給する国際的な事業)に先頭を切って協力するなど、一定の存在感は見せているが、やはり直接のワクチン供与国という位置づけは重い。

現状では軍事的な支援という選択肢が制限されているシビリアン・パワーであるわが国にとって、こうした国内外での反対が少ない外交手段は貴重な財産となるはずだ。

 

ベンチャー発の種を育てるモデルに

ワクチンをはじめとした医薬品の開発のビジネスモデルは、最近、低分子化合物製造モデルからバイオ製品上市モデルへと転換している。つまり、膨大な化合品ライブラリーを持ち、そのなかからトライ・アンド・エラーで時間をかけて会社の内部で開発していく大規模製薬会社モデルから、より臨床に近いアカデミアやベンチャーの生んだ種を投資顧問会社のような目利き力で引き上げ、上市していくモデルへの移行である(今回、英米でいち早く緊急に使用許可されたファイザー社やモデルナ社のワクチンは、いずれもベンチャー発の製品である)。

また、一般的に規模が小さく研究開発費の余裕もないわが国の製薬企業であるが、例えば塩野義製薬のように、戦略的に標的分野を感染症に特化していくというのも競争優位を確保するひとつの方法であろう。

さらに、医学や薬学だけではなく、分子生物学、統計学、遺伝子工学、機械工学など、多様性を持つ幅広い裾野で学際的に総合していくことになり、他分野への波及効果の可能性もある。

産業界の業態変換、学界の学際的研究連携に加え、政府にも求められる役割がある。ワクチンを含む医薬品の研究開発はリスクとコストと切り離せない。だが、今回の場合は、政府が全量買い上げをすることを前提に、通常は開発された後に行われる製造施設の建設・改修を、研究開発開始と同時に大幅な補助を行った。副反応に対しても、メーカー側に明らかな瑕疵(かし)のない場合は国が接種に伴う健康被害に関する損害補償を行うこととなっている。

「市場の見えざる手」だけには任せられない公益性と緊急性を持った今回のようなワクチンの研究開発・製造には、このような通常以上の公的「介入」が求められるだろう。さらに言えば、国による承認を前提とするワクチンを含む医薬品について、パンデミックのような事態下においては、効果とリスクを比較考量し、通常は求められる審査過程の一部を省略・簡略化して、欧米に劣後しない時期に国民への提供を可能とするような法的な仕組みや迅速な審査を可能とする体制づくりも必須である。

今回の新型コロナ肺炎ワクチンは、通常の製造方法(ウイルスなどを不活化して接種するもの)ではできにくく、遺伝子技術を応用したワクチンが主流である。例えば、前述した2社のワクチンは、mRNAワクチンといわれ、体内で抗原タンパクを作って、それに対する抗体生成を誘導している。

 

話は感染症対策だけにとどまらない

この原理は、今回の新型コロナ肺炎に限らず、どのような感染症が発症しても、比較的短期間にワクチン製造が可能となる方程式であり(したがってウイルスの変異にも対応できる)、さらには、感染症に対する予防だけではなく、がんや認知症に対する効果もあるワクチンの製造も可能なのではないかとも指摘されており(実際に開発中である)、ワクチンに対する研究開発投資は、感染症対策のみならず、広く社会の課題となっている疾患対策ともなりうる。

国家の最も重要な責務は、国民の健康と安全の確保のはずだ。頻発するパンデミックから国民を守るためには、国際情勢に左右されない、国内におけるワクチンの研究開発や製造に対する投資が不可欠だし、それは、他産業への波及効果や外交手段として有用性を踏まえるとき、大きなリターンが約束されている公的「投資案件」といえるのではないか。

 

(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

 

最新の論考や研究活動について配信しています

印刷
よく見られている記事