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ポストコロナ「世界経済は根本的に変質する」(船橋洋一・細谷雄一)

「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです。

立上げにあたり、「ポスト・コロナの世界はどのように変容してしまうのか。コロナウイルスが私たちに突き付ける歴史的意味とは何か」について、APIの理事長を務める船橋洋一と、国際政治学者でAPI上席研究員でもある細谷雄一・慶應義塾大学教授の緊急対談を4回にわたりお届けします。本稿はその第3回目です。(本対談はオンライン会議で行われました)

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/350391

   

「API地経学ブリーフィング」No.3

2020年05月18日

ポストコロナ「世界経済は根本的に変質する」-超監視社会の登場は民主主義にどう影響するか

 

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
理事長 船橋洋一

 

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
上席研究員・慶應義塾大学法学部教授 細谷雄一

 

変質を余儀なくされる経済

船橋 洋一(以下、船橋):前回はポストコロナの世界秩序を展望しましたが、今回は経済と社会に目を向けたいと思います。

アメリカでは新型コロナウイルスによる死者数は8万人以上になりました。すさまじい惨状です。そして3300万人が失業保険を申請しました。4月の失業率は14.7%です。介護施設の高齢者が狙い撃ちされているかのように犠牲になっています。痛ましい限りです。コロナの感染死者はどこも高齢者が多いですが、しかし、真の犠牲者は教育の機会を奪われた子供と収入を絶たれた若者ではないかとも思います。それも非正規の労働者たちです。

日本の「失われた時代」のときの「日本化」現象が今度は世界で起こる。そして、雇用が失われれば消費は冷える、企業の売り上げと収益が激減すれば、株価も信用も落ちる、金融不安と貸し渋り、貸し剥がしが起きる、それがバランス・シート不況をもたらすことは必至です。

コロナ危機が世界経済に及ぼす影響は、20世紀前半の世界大恐慌レベル以上のマグニチュードとなると予想されます。しかも、リーマンショックのような金融ノックアウト危機にとどまらず、まず、実体経済が需要蒸発で陥没し、それが金融システムを直撃し、信用を収縮させ、それがまた実体経済を凍結させるという共振連鎖型の危機です。

なかでも今回、恐ろしいのは自動車産業です。フォードの社債金利はすでに9%に跳ね上がっています。債務が雪だるま式に膨らむでしょう。自動車の場合、部品メーカーが倒産する危険も大きい。この基幹産業が持ちこたえられなくなると、その影響は計り知れません。

各国首脳はどこも祈るかのようにV字回復に言及しますが、今後1~2年の間に、第2、第3波の感染が広がる可能性も否定できません。開いて、閉めて、また開いて、また閉めてといったノックダウンを起こしてしまう。コロナ危機がワクチンの登場で完全に終わらない限り、V字回復だと言って金をばらまいても、一方で「家にいろ」「店は開くな」の状態で経済を刺激できるはずはない。

それに、どこに世界経済を引っ張るエンジンがあるのか不明です。アメリカの企業は少し前まで借金して自己株買いをしていたのが実態ですから、キャッシュがない。バタバタと倒れるのではないでしょうか。アメリカにそんな力はない。頼みの綱の中国もリーマンショック後のような巨額なインフラ投資は期待できません。そもそも中国は「一帯一路」(BRI)沿線国への融資残高が1350億ドルとみられていますが、ここでの焦げ付きが今後、どっと出てくるでしょう。

対中債務はジブチでGDP比80%、キルギス40%、エチオピア20%、パキスタン7%、南ア4%などとなっています。G20は2020年末まで貧しい国々に対し、債務返済の猶予をプレッジしましたが、中国は「一帯一路」関連の債務返済はここから除外しようと抵抗しました。

もちろん、日本や欧州にはエンジンとなる力はない。トルコやブラジルやインドネシアなどはドル建ての民間債務の利払いが滞る。コロナ危機は世界経済、さらには資本主義のあり方を決定的に変質させるのではないかという気がします。

 

社会主義的思想への抵抗感は大幅に後退

細谷 雄一(以下、細谷):私も、資本主義は質的に大きく転換すると予想します。変化には、その方向性や質といった根本的な変化と、速度の変化の2種類がありますが、ポストコロナの世界でより重要となるのは、前者です。

2008年のリーマンショック以降にすでに経験したことですが、中国は大規模な財政出動でインフラ投資をし、アメリカやヨーロッパも財政出動で大企業を救済し、金融機関を再生させました。これは半ばニューディールのような政府介入主義型の経済であり、1980年代に始まった新自由主義的な経済の終焉がこの頃から指摘されるようになりました。コロナ危機により、その流れは加速すると思われます。

社会にも、そのような変化を受け入れる土壌が培われています。2度のアメリカ大統領選民主党予備選挙で健闘したバーニー・サンダースや、英国労働党のジェレミー・コービン前党首は、冷戦時代なら社会主義者のレッテルを貼られていたはずの極左です。彼らが、米英両国の2大政党の一方において幅広い支持の獲得に成功したことが示すように、若い世代を中心に社会主義的な思想への抵抗感は大幅に後退しています。全住民への現金給付は、いわば社会主義的政策ですが、日本でも10万円給付の政府方針が支持されました。

20世紀の歴史を振り返ると、大恐慌後のアメリカでニューディール政策が支持され、またソ連の「5カ年計画」による経済成長が注目されました。現代の主要な自由民主主義諸国において、経済に対する政府の大規模な介入主義的な政策が再び「ニューノーマル」になりつつあるのかもしれません。コロナ危機によりわれわれのライフスタイルや意識が変化すれば、資本主義の質的変化は一層促されると思います。

船橋:ライフスタイルの変化が資本主義の変容を促す、例えばどんなふうに……。

細谷:コロナ危機を契機にわれわれの日常的な生活にサイバー空間がより深く組み込まれ、さらに、AI搭載のロボットや技術がわれわれの生活に入り込んでくるということです。若い世代はスマートフォンを自在に操り、ネットやSNSから情報を収集し危機をうまく乗り超えようとしています。また、例えば、AI搭載のロボットであれば感染と関係なく移動できますから、ドローンを利用した配送システムが普及する契機となることも考えられます。

そのようなライフスタイルの変化にも促され、質的に変化する資本主義の世界で、新しい経済モデルを作ることが今後の課題となると思います。

船橋:その可能性を秘めているのは、どこでしょう。

細谷:私は、韓国、台湾、シンガポール、香港に注目しています。もともと権威主義体制下にあった国や地域ですが、危機の時代にあって、国家権力がどの程度経済に介入するかが、重要な意味を持っています。中国は介入の度合いが強すぎ、英米は弱すぎるのだろうと考えています。日本はその中間かもしれません。

言うまでもなく、経済と安全保障は連動しています。戦後の西側の先進諸国はアメリカの覇権下で安全保障体制を確立し、経済を発展させました。

一方で、1970年代には先進諸国の背中を追いかけて、新興工業経済地域、いわゆるNIEs諸国が急速な工業化を成功させました。このうち「アジア四小龍」と呼ばれたのが韓国、台湾、シンガポール、香港の4カ国・地域でした。ハーバード大学教授のエズラ・ヴォーゲル教授が「四小龍」と称する、東アジアの4カ国・地域の発展はかつて「開発国家型」と呼ばれましたが、そのモデルとなったのは戦後日本の高度経済成長です。

東アジアを専門としたアメリカの政治学者チャルマーズ・ジョンソンは1970年代の終わりに「開発国家論」を唱え、日本で政府が積極介入することにより経済成長を遂げたことに注目しました。権威主義体制下でその国家主導をより徹底させ、国家権力による強力な介入で経済成長を実現させたのが四小龍でした。

世界各国の中で、現在進行中のコロナ危機に最もうまく対処しているのが、この4カ国・地域だと思います。韓国はドライブスルー方式やウォーキングスルー方式の検査を取り入れ大規模なPCR検査を実施し感染拡大を食い止め、台湾はデジタル担当大臣自らがマスクの在庫データを管理するアプリを作成し、政府がすべてのマスクを買い上げて流通を管理する制度を作り上げました。移民が多いシンガポールでは、最近は感染拡大が見られますが、初期の対応は鮮やかでした。これは偶然ではありません。

 

国家権力は強すぎても弱すぎてもうまくいかない

MIT教授のダロン・アセモグルとシカゴ大学教授のジェイムズ・A・ロビンソンの共著の、今年1月に邦訳が発売された『自由の命運』の中で、著者たちが国家権力は強すぎても弱すぎても経済成長はうまくいかないことを指摘しています。国家権力が強大な独裁国家は監視社会に陥りやすく、「専横のリヴァイアサン」となり市民の自由が制限されます。他方、それが弱すぎると「不在のリヴァイアサン」となり、緊急時に迅速な対処ができません。

かつて「四小龍」と呼ばれたこの4カ国・地域こそ、国家権力と市民の自由のバランスに優れた政策が可能となっていると考えています。コロナにうまく対処できた国々は、経済成長においてもこれまで成功を示してきました。ポストコロナの世界では、このような国家のあり方が、1つのモデルになるだろうと思います。

船橋:「四小龍」モデルという“開発独裁出身の民主主義”が今回、もっともレジリエンス国家だというご指摘は面白いですね。もう1つ、彼らはどこも実存的脅威と背中合わせで国づくりをしてきたという背景があるかもしれませんね。台湾と香港は中国、韓国は北朝鮮、シンガポールはマレーシアからの日々の脅威から自らを守る最重要課題がありますからね。

私は、今回の大不況後の資本主義のあり方を考えるとき、GDP信仰がどうなるのかにも関心があります。

1934年にサイモン・クズネッツ(アメリカの経済・統計学者。1901年ロシア生まれ。1971年ノーベル経済学賞受賞)が『National Income(国民所得)』を著して以降、GDPは国家の経済成長の指標であり、国富と国力の鏡とされてきました。第2次世界大戦はGDPの戦争だったと言われたほどです。そうした20世紀のGDP信仰が根底から揺らぐ分水嶺になるのではないか、と感じます。デフレがさらに構造化するのではないでしょうか。

今回、日本では病院に行く人は半分ほど減っているようです。感染するのが怖いからでしょうが、たぶん、過剰通院、過剰診療、過剰薬漬けの過剰が剥がれたという側面もあるのではないか。コロナ後の非接触型経済社会は、そのように消費の泡とぜい肉を消滅させる効果をもたらすかもしれない。気候変動の挑戦への対応とも似たような挑戦でもある。

 

GDPという秤は間尺に合わなくなる

細谷さんも指摘されましたが、コロナ危機を機に人々のライフスタイルが変わる。危機の最中に実験されているテレワークや、これまで以上にインターネットを活用するビジネスのあり方などが、ニューノーマルとなる可能性はあります。そのような経済に変容したとき、これまでのGDPという秤は間尺に合わなくなる可能性があると思います。

さらにもう1点、ポストコロナの経済では、官民の境界が曖昧になる可能性もあると思います。ボーイング社が国有化されるとか、各国の航空会社や自動車会社が国有化されるという事態に進展すれば、現在の資本主義は、官民の境界が認識不能なそれこそ“新型“国家資本主義とでも表現せざるをえないような形態に変容する可能性があります。

それからポストコロナの時代には、経済のみならず、社会や民主主義のありようが変容する可能性もあると思います。例えば、これまで当然と受け止められていた国家が国民を守り、国民は国家に庇護されるという関係も変容するかもしれません。

今回の危機対応では、外出自粛であるとかソーシャル・ディスタンシング、他者との接触機会8割減などが求められています。つまり、国が国民を守るのではなく、国民が国を守る当事者となり、1人ひとりの行動選択が国の命運を決めるわけです。このような状況では、これまでの官と民という考え方では適切なオペレーションはできません。国家と市民の関係の新たな社会契約というか新たなパートナーシップの形が求められているのだと思います。

さらに、今回、不気味な監視社会が突如、目の前にディストピアとして現れたことも衝撃でした。今回の危機では毎日の検温が奨励されています。検温なしにビルにも部屋にも入れない。

中国では感染していないことを証明するグリーンラベルのお墨付きをもらえば、グリーン族だけで外に繰り出して酒盛りし、それをWeChatでひけらかすこともできる。新たなバイオ・システムが社会に持ち込まれようとしています。その先に、ユヴァル・ハラリ(イスラエルの歴史学者。1976年生まれ。世界的ベストセラー『サピエンス全史』の著者)が指摘するような、バイオ監視社会が生まれるかもしれません。

ハラリは、すでに街中に張り巡らせた小型カメラによって人々の行動が監視されているように、人々の体温ばかりか喜怒哀楽の感情まで遠隔で測定できるようになり、例えば、金正恩のスピーチを聞く労働党幹部の感情が測定され、怒りが検出された幹部は、政治生命はおろか物理的生命も失う――というようなディストピアを描いています。そのようコロナ危機後の超監視社会の登場は、民主主義にどのような影響を及ぼすか、を論じましょうか。

 

ポピュリズムの世界の中で起こったコロナ危機

細谷:ポストコロナの時代の民主主義を展望する前提としてまず、「ビフォー・コロナ」の民主主義社会においてどのような問題が見られたのかをここで整理しておきたいと思います。

冷戦後の30年間でわれわれが見てきたのは、実は「過剰な民主主義」だったのではないでしょうか。イギリスを代表する政治思想研究者のジョン・ダン・ケンブリッジ大学名誉教授は、「今日民主主義の名によって止めどなく正当化される諸々の主張は過剰で、明らかに有害であり、その害を食い止めるには、民主主義を等身大に理解するしか方法はない」と述べています。

これは、ポピュリズムにも見られる過剰な民主主義の弊害を考える際に、重要な示唆となります。ナショナリズムの膨張や、経済のグローバリゼーションの進展への反発、格差の拡大への怒りなど、さまざまな要因が重なり非常に感情に動かされやすいような政治状況が出現しました。世界のさまざまな国で、合理的で中庸な政策を求める指導者が批判されて、むしろ人々の感情を刺激してそれを扇動するようなポピュリスト的な指導者が好まれる傾向が見られます。

ブレグジットも、そのような政治的な状況を背景として理解する必要があります。そもそも、世論調査ではEU離脱がイギリス経済に悪影響を及ぼすと考える人が7割近くいたにもかかわらず、英国民はブレグジットを選択しました。現在は、合理的な判断よりも、感情的な志向性によって有権者が左右される時代なのだろうと思います。

コロナ危機は、そのような政治状況のなかで起ったことにより、問題をより複雑にしています。船橋さんが指摘される監視社会の問題についても、感情的に政治選択をすることが常態となるような社会の中では、コロナ危機に直面するなかで、人々が権威主義的なバイオ監視社会を求めるという動きが生じる可能性が拡大するだろうと、私も考えています。

他方、そのような動きへの反発もあるはずです。街中の監視カメラはもともと、犯罪の捜査や抑止という合理的な必要に応じて設置されたものです。同じように、例えば体温のバイオ監視についても、感染を防止するというような合理的必要性が見られます。しかし、権力は、そのように政府が市民を監視できる権限を必ず濫用するはずです。それに対する抵抗はすでに見られており、「ビフォー・コロナ」の台湾や香港で起こっていたことは、まさにそれを示しているのだろうと思います。危機が終息すれば、自由や権利を求める動きも回復するのではないでしょうか。

 

国家権力と市民との権利の間で適切なバランスを

開発型国家に関連してすでに触れたことですが、ポストコロナの民主主義に求められるのは、国家権力と市民の権利との間で適切なバランスをとることだと思います。つまりこれからの課題は、専門家集団による合理的で効率的な統治と、市民の権利や自由との間のベストミックスを摸索することです。ポピュリズムやナショナリズムが蔓延する世界では、そのような最適なバランスを実現することは簡単ではありません。それに成功した場合には質の高い政治を実行することが可能となり、また持続的な経済成長を確保することができるのだろうと思います。

他方で、それに失敗した国では経済成長が鈍化し、内乱や革命といった深刻な国内社会の混乱に直面する可能性があるかもしれません。

船橋:戦後、アメリカの民主主義の歴史を振り返ると、ニューディール以降、長い時間をかけて民主党政権が確立した社会保障制度を、1952年に共和党が受け入れたとき、アメリカの自由主義と民主主義は結合したのだと思います。しかし、レーガン政権の登場で自由主義がネオリベラルへと異常増殖し、格差の拡大で社会が小さくなっていった。「ボウリングを1人で遊ぶ」市民の台頭で、共同体が消滅していった。

クリントン政権の時代には、民主党と共和党が激しく対立し政党間の寛容が、オバマ政権時代には人種間の寛容が消えていきました。待ちの順番を「横から割り込む」少数派や移民たちへの一般市民の不満が募った。そこに登場したのがトランプだったわけです。

トランプに象徴的に示される欧米社会のポピュリズムは「非民主主義的な自由主義に対する非自由主義的な民主主義の反乱」だと言われています。ネオリベラルという自由主義原理主義ウイルスがはびこり、グローバル化がそれを世界中に伝染させ、シリコン・バレーと深圳(しんせん)の鬼子たちを生んだ。

いま、欧米社会で噴き出しているポピュリズムはそれに対する反動という側面を持っていることは確かです。コロナ危機を契機にして、そのポピュリズムはより専制的な性格へと傾斜しつつあるようにみえます。ハンガリーやセルビアなどがその典型でしょう。ソーシャル・ディスタンシング時代、デモ隊も抗議運動もいともたやすく禁止できます。権力側が気に食わない野党の政治家やジャーナリストは「自己隔離」に追いやることができる。

 

ポピュリズムに対抗するには?

ポピュリズムは国民を敵味方に分断する政治です。分断のための分断の政治です。それに対抗するには経済・教育・健康格差の縮小や「大きな社会」の再生や政党政治のガバナンス再確立などが必要になるでしょう。そして、おそらく国民の一体感をいかに取り戻すか、です。

それが集団アイデンティティに上塗りされる排他的な民族ナショナリズム(ethnic nationalism)であってはなりませんが、個人アイデンティティを大切にする普遍的な価値観を共有する公民ナショナリズム(civic nationalism)ともいうべきナショナルなものを社会に根付かせることがこれから必要になってくるのではないでしょうか。歴史や伝統、家族やコミュニティーを大切にし、危機に際しては国民が一体となって戦うことができるナショナリズムです。愛国心といってもいいのですが、それよりももっと市民的権利に根差した、そして多様な中の統一を体現するナショナルな民主体制のことです。

そうした開かれたナショナリズムこそが、民族的ナショナリズムを封じ込めることができると思います。コロナ戦争をともに戦い抜いた体験は、日本の新たな国づくりの原体験になるはずです。そこからこうした健全な公民ナショナリズムが生まれればいいな、と考えています。

 

(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

 

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