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日本に「ワクチン供給網強化」が何より必要な訳(相良祥之)

「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API研究主幹 兼 慶應義塾大学法学部教授)。

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/426921

 

「API地経学ブリーフィング」No.52

2021年5月10日

日本に「ワクチン供給網強化」が何より必要な訳 ― 感染拡大、変異を止めるために何ができるか

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
主任研究員 相良祥之

 

 

危機管理としてワクチン接種を急いだイスラエル

世界最速で新型コロナウイルスのワクチン接種を進めたイスラエルは、成人のワクチン接種をほぼ完了し「移動の自由」を取り戻しつつある。それでもイスラエルはコロナへの警戒を緩めていない。2回接種完了した国民に必要であれば3回目も接種できるよう、世界でいち早く2022年のワクチン供給につきファイザー社と契約締結した。

日本では菅義偉首相がワクチンをコロナとの闘いにおける武器ととらえ、1日100万回の接種を目標に接種を進める。これまで供給確保に苦しんできた日本は接種キャパシティ増強とともに、今後も続く変異株の脅威に備え、ワクチン・サプライチェーン強靭化を急がねばならない。日本がレジリエント(強靭)なワクチン・サプライチェーンを構築できれば、ワクチン接種が難航している新興国や途上国にも希望となる。

イスラエルの人口は東京23区とほぼ同じ約900万人。1月には感染者数が1日1万人を超える日もあったが、ワクチン接種が進んで感染者数と死者数は激減し、10カ月ぶりに死者数ゼロの日も出てきた。

イスラエルはコロナを国家的危機ととらえ、感染症危機管理に奔走してきた。ネタニヤフ首相はワクチン争奪戦で主導権を取るためファイザーのアルバート・ブーラCEOと直接協議を重ねた。交渉の切り札としたのは、臨床試験ではなく、国民に接種することで得られるリアルワールド(実世界)データの提供であった。

イスラエルではワクチン接種証明アプリ「グリーン・パス」の社会実装も進んでいる。接種証明を提示することでスポーツ観戦やレストランでの食事を楽しめる。ただし、接種証明には有効期限が設けられている。ワクチン接種完了から6カ月である。

ワクチン接種により感染予防効果がどれだけ持続するか、まだよくわかっていない。ファイザーのブーラCEOは、同社のワクチンを2回接種完了後6~12カ月以内に3回目の追加接種(ブースター)が必要になり、その後も年1回の再接種が必要になるだろうと述べている。また、感染者の再感染も増加しつつある。

つまり、ワクチン接種を進めなければ感染は「収束」しないが、それでコロナが「終息」するわけではない。各国でワクチン・ナショナリズムが高まる中、ワクチン接種オペレーションの卓越性をめぐる競争が繰り広げられている。カギになるのは、ワクチン・サプライチェーン強靭化である。突然の供給停止や変異株などの脅威があってもすぐ修復できる、長期的に持続可能なワクチン・サプライチェーンの構築が求められている。

 

サプライチェーンのリング(輪っか)を繋ぐ難しさ

COVID-19に対し効果的で安全なワクチンは驚異的な早さで実用化された。それを可能にしたのは新型コロナで初めて承認された新型ワクチン、遺伝子ワクチンであった。

遺伝子ワクチンのひとつとして研究されていたメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンは、イギリスを振り出しにイスラエルや欧米で緊急使用が許可された。2020年1月半ばに中国の研究者が新型コロナウイルスの遺伝子配列を公表してから数時間後、ドイツのバイオベンチャー、ビオンテックはmRNAワクチン候補の1つ目を開発していた。ファイザーはビオンテックのがん治療を目的としたmRNA技術に注目し、すでに共同開発を進めていた。両社はすぐさまコロナワクチン開発に取り組んだ。12月8日、ファイザー・ビオンテックのmRNAワクチンはイギリスでついに実用化された。

鎖は、ひとつでもリング(輪っか)が開いてしまえば切れてしまう。ワクチンの開発、製造、国際輸送、国内輸送、そして接種まで、サプライチェーンが切れないようリングを繋がねばならない。シリンジ(注射器)や注射針の確保も必要である。しかもmRNAは不安定な物質であるため、超低温の冷凍状態を維持するコールドチェーンも求められる。

最先端のバイオ・テクノロジーを駆使して開発されたmRNAワクチンを製造できる施設は限られており、ファイザー社はベルギー、ドイツ、アメリカ・ミシガン州などに製造拠点を構えた。製造施設から接種会場までサプライチェーンとコールドチェーンの2つの鎖を繋ぐのは、極めて難度の高いオペレーションである。

経済安全保障におけるサプライチェーンの重要性に関心が高まる中、アメリカは戦略的に優先する鎖を絞っている。2月、バイデン大統領はサプライチェーン強靭化に向け大統領令に署名した。サプライチェーンの脆弱性を見直す主要製品として指定したのはレアアース、半導体、大容量バッテリー、そして医薬品の原薬であった。原薬とは薬の有効成分のことである。世界で原薬製造の拠点となっているのは中国とインドで、アメリカの医薬品需要の40%以上はインドで製造されている。

「世界の薬局」インドは世界最大のワクチン製造国でもある。

 

ウイルスベクターワクチンの強み

ワクチンが変わればサプライチェーンの形も変わる。オックスフォード大学とアストラゼネカが開発したのはウイルスベクターワクチンであった。これは人体に無害なウイルスをベクター(運び屋)として使用したワクチンである。発症予防効果はファイザー社mRNAワクチンの95%に比べて70%と若干劣る。また極めてまれに生じる血栓症の副反応も報告されている。

しかしウイルスベクターワクチンにはmRNAワクチンにない大きな強みがある。それは2~8℃と冷蔵庫の温度で保管できコールドチェーンの維持が容易であること、さらに原液の量産が比較的、容易なことである。

このワクチンの量産に乗り出したのが、インドを本拠地とする世界最大のワクチン製造企業、セラム・インスティチュート・オブ・インディア(SII)であった。SIIは毎月6500万回分以上のアストラゼネカ社ワクチンをCOVISHIELDという名称で量産している。

中国のワクチン外交を警戒した日米豪、そしてワクチンを世界中で公平に分配するための枠組みCOVAXファシリティも、インドのワクチン製造に期待していた。しかしインド国内の感染爆発により状況は一変した。SIIなどワクチンメーカーはインド国内に優先して供給することになった。

インド国内のワクチン需要急増は、新興国や中低所得国へのサプライチェーンに大打撃である。それは先行してワクチン接種を進める先進国にとっても他人事ではない。世界のどこかで新たな変異株が発生する限り、コロナは収束しないからである。

新型コロナウイルスはパンデミックとともに急速に変異を続けている。ウイルス学の世界的権威でmRNAワクチンの開発にも取り組んできた河岡義裕・東京大学医科学研究所特任教授によれば、ウイルスに対して「戦いと思っているのは人間だけ」であり、ウイルスは「ランダムに変化しているだけ」という。変異はウイルスが生き残るために選んだ手段ではなく、遺伝子が複製されるときの「間違い」でしかない。

パンデミックが続く限り、人類はウイルスの気まぐれな変異に翻弄され続ける。

 

日本はワクチン・サプライチェーンの強靭化を急げ

4月23日、3度目の緊急事態宣言を発出した菅首相は記者会見で「ワクチンという武器」に言及した。日本はその武器を輸入に頼っている。マスク争奪戦で苦しんだ日本は、ワクチン争奪戦にも巻き込まれることになった。

日本はワクチン・サプライチェーンにおいて、開発と製造を海外に依存している。ワクチン開発のためには産官学の垣根、そして国境も超えた連携が必須であることがコロナでは明らかになった。しかし日本に遺伝子ワクチンのようなバイオイノベーションを生み育てる力は不十分だった。新型コロナ対応・民間臨時調査会(コロナ民間臨調)報告書は、規制官庁としての厚労省にワクチンを戦略物資として育てる産業戦略が欠けていたこと、結果としてコロナワクチンへの対応が「3周半遅れ」(政府関係者)になってしまったと指摘した。

また、欧米に比べて人口比感染者数が際立って少ない日本では治験が進まず、アメリカのような暫定的な緊急使用許可の制度もなかったため、海外と比べて承認のために時間を要した。

さらに欧州の輸出規制が供給のボトルネックとなっていたが、ようやく大量のワクチンが届き始めた。ファイザー社ワクチンの日本への空輸を担うANA Cargoは、昨年5月には輸送の検討に着手し、ワクチンの製造拠点がある国との路線の便数復旧や、到着日中にワクチンをより遠くに運べるよう午前中到着へのダイヤ変更なども実施した。国内輸送でも、日本の物流にはラストワンマイルを繋いで島嶼部や山間地へも配送できる強みがある。

これからは地方自治体が医師、看護師とともに接種を早く進められるかが課題となる。目先の緊急対応でしのぐのではなく、中央政府と地方が協力して接種体制を構築し、改善を重ねていく必要がある。

 

安全保障にふさわしい予算の編成が必要

強靭なワクチン・サプライチェーンは、気まぐれに脅威を増す新型コロナウイルスに対する「防具」でもある。封じ込めが難しいコロナに対しては、武器よりむしろ防具のほうが重要かもしれない。健康安全保障の観点からは、感染症危機対応を国防と考えるべきだろう。実際、アメリカは国防生産法を発動してマスクや人工呼吸器を確保した。日本でも防衛力整備と同様に、いかなる感染症危機においても国民の命と安全を守れるよう、安全保障にふさわしい予算の編成が必要だ。

日本はすでに途上国へのワクチンのコールドチェーン支援を進めている。マスク外交とワクチン外交の違いは、物資の信頼性の違いにある。国民の命に直結するワクチンについては、信頼できる国から支援を受けたい。中国のワクチン接種キャパシティは1日に700万回に達しており、すでに3億回近く接種した。日本、そして世界で強靭なワクチン・サプライチェーンを構築して接種を急ぐことが、感染拡大のみならずウイルスの変異を止めるためにも必要である。それがグローバルな「移動の自由」を取り戻し、パンデミックの終わりを近づける。

 

(おことわり) API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

 

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