コロナから「移動の自由」を取り戻す為に必要なこと(相良祥之)


「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API研究主幹 兼 慶應義塾大学法学部教授)。

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/404204

   

「API地経学ブリーフィング」No.36

2021年1月18日

コロナから「移動の自由」を取り戻す為に必要なこと ― 必要なのは的確なリスク評価と迅速果断な政策

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
主任研究員 相良祥之

 

 

 

コロナに奪われた「移動の自由」

新型コロナウイルスは急速に、そして静かに世界に広がった。厄介なのは、感染者がまったく意識しないまま感染が拡大してしまうことである。人から人への感染のうち約45%は、症状が出る前の感染者から他の人への感染である。感染性は発症2日前から強くなる。つまり、本人が咳や発熱などの症状に気づいたときには、他の人にすでに感染させている可能性がある。

この見えない敵に対して、世界は人の「移動の自由」を制限することで対峙してきた。指導者たちは、国内ではロックダウンや緊急事態宣言、国境では入国拒否や水際対策という、人の移動を強力に制限する措置を実施した。

ただし、人の移動を制限する意思と権限と執行について、各国政府は全く異なるアプローチで臨んできた。

中国は当初、感染の実態をすすんで公開せず、その間に多くの人々が国境を越えて往来した。しかし武漢を封鎖してからは一転、きわめて厳格な措置をとり、「移動の自由」などお構いなしに封じ込めに邁進し、テクノロジーを総動員し、その強烈な執行力を世界中に見せつけた。皮肉にも、中国は世界でいち早くコロナから「移動の自由」を取り戻した国になった。

人権を尊重し、「移動の自由」を保障することを是とする欧州諸国も、感染症危機に際し、ロックダウンを敢行し国境管理を厳格化した。

日本は昨年4月に緊急事態宣言を発出し、強制力の伴わない行動自粛要請(ソフトロックダウン)で感染拡大を抑制した。日本政府の対応を検証した「新型コロナ対応・民間臨時調査会」(コロナ民間臨調)の報告書では、当事者が緊急事態宣言や入国拒否を「伝家の宝刀」にたとえている。「移動の自由」の制限は、重い決断であった。経済再生のためGoToキャンペーン事業を官房長官のときから推進してきた菅首相も、ついに1月7日、二度目の緊急事態宣言の発出を余儀なくされた。

新型コロナのもう一つの特徴は、感染してから発症するまでの潜伏期間に1-14日間と幅があることである。潜伏期間中の感染者はウイルス排出量が低くPCR検査でも感染を検出しにくい。したがって、国境を越えた人の移動については、陰性証明に加え、14日間の隔離が求められるようになった。しかしこれでは短期の出張や旅行はできない。人々は国境の中に閉じ込められた。

夏には希望もあった。経済社会活動の再開、なかでも、サプライチェーンの立て直しやグローバル企業の機微技術管理、バカンスによる観光業復活のため、各国は国境管理を少しずつ緩めた。日本はベトナムなど感染が落ち着いていた東アジア諸国と人の往来を再開した。技能実習生の来日を待ち望んでいた工場や農家には笑顔が戻った。

一方で、多くの新興国もロックダウンを試みたが、経済へのダメージに耐えられなかった。ウイルスへのガードを下ろし、国境を開いて共存する道を選びつつあった。

 

変異ウイルスが閉める国境

開き始めていた国境は、しかし、ふたたび閉じた。12月19日、英国のジョンソン首相が、従来と比べ最大で1.7倍ほど感染力が強まった変異株が拡大していると発表したからである。

パンデミックの最中に、コロナは何度も変異を繰り返してきている。2020年2月頃から欧州でひろがった欧州株は、2019年末に中国が報告した武漢株よりも感染性が増加していたというScience誌の報告もあった。

ウイルスはさらなる変異を遂げ、脅威を増した。英国は10月末に二度目のロックダウンを決断し、クリスマスを祝う準備を進めていた。感染のペースが若干収まった12月2日の感染者は約1.3万人だったが、それから1か月後には5倍超、毎日6.5万人ほど感染者が確認されている。1月5日、英国は3度目のロックダウンを余儀なくされた。12月29日に欧州で発表された解析によれば、感染性の高い変異株は9月後半には発生していたと見られている。

英国で発見された変異株に対し、かつては「移動の自由」の制限に及び腰だった欧州各国は、すぐさま入国制限で応じた。英国がEUを完全離脱する前にドーバー海峡を渡って英国からフランスへ向かっていた人々は、予期せぬ形で足止めを食うことになった。英国からの入国制限は、欧州から中東、中南米へと世界各国に広がった。

 

「移動の自由」は戻るのか

閉じてしまった国境が開くには、時間がかかりそうである。『OECD国際移民アウトルック2020年版』によると、OECD諸国の厳格な国境管理によって、移民の流れは大きく変化した。OECD諸国ではオンラインの国際会議、テレワーク、Eコマースが当たり前になったことで、国際的な人の移動は激減し、今後も続く見込みである。人々は職場や交流の場を「密」な都会からサイバー空間に移しつつある。

それでもなお、経済社会活動を復活させるためには、感染拡大を抑制し、人類がコロナから「移動の自由」を取り戻すことが不可欠である。移動の制限のみならず、マスク着用の徹底、3密の回避など有効な感染対策は継続すべきである。ワクチン接種も、安全性を確認したうえで、迅速に進めていく必要がある。

 

地経学の時代の国境管理、3つの対策

国境が再確認された現在、国際的な人の「移動の自由」を取り戻せるかどうかが、地経学的に重要になっている。国境管理については各国でベストプラクティスや教訓が蓄積されてきた。いまこそ世界が学んできた知見を共有し、実践するときである。

国境管理において必要なことは、出入国制限、検疫とサーベイランス強化、入国後待機のモニタリングという3つの対策について、できるだけ的確な情勢分析とリスク評価にもとづき、果断に意思決定し、機動的に施策を執行していくことである。

国境管理でまず重要なのは、出入国制限、すなわち入国拒否と渡航中止勧告、査証の制限等の措置である。

出入国制限は、感染症危機における国境管理として本来、禁じ手であった。しかし見えないコロナの流入を抑制するため、日本は昨年1月末に中国・湖北省からの渡航者の上陸拒否に踏み切った。中国からの流入は2月上旬には収束し、空港検疫を除くと、輸入例のうち11例に留まった。しかしその後、欧州、エジプト、東南アジアからの輸入例が激増し、3月末時点で200例近くにのぼっていた。欧州との間の渡航禁止や入国拒否の遅れにより、日本は国内流行を許してしまった。

日本はこのときの教訓を活かし、変異株に対して迅速に応じた。変異株が英国に続き南アフリカ等で次々と検出されたことから、12月26日には全ての国・地域からの外国人の新規入国を一時停止した。日本に比べれば感染が抑制されていた東アジアの国々との間で短期出張者の入国を例外的に緩和するビジネストラックも、一時停止した。

国境管理で二つ目に重要なのは、検疫と感染流入のサーベイランス(監視)の強化である。

変異株対応においては、外国人のみならず、日本人を含むすべての帰国者・入国者に対する検疫が強化された。国籍を問わず入国者は変異ウイルスを持ち込むリスクがあるからだ。検査証明に加えて検疫で検査し、入国後は14日間待機も求める。ここでも日本は昨年の教訓を活かした。

コロナ民間臨調の報告書は、日本が、武漢からの感染流入を早期に検出できていたことを明らかにした。東京オリンピック開催により訪日外国人が急増することを見越して、未知の深刻な感染症が発生した際はすぐ検出できるよう2019年から「疑似症サーベイランス」を準備していた。武漢で確認された肺炎に似た症状の患者が発生したら、感染研が検査する体制ができていた。この準備は見事に機能し、2020年1月15日、感染研は、中国以外ではタイに次いで世界で2例目となるCOVID-19の国内初症例を検出した。日本在住の中国人男性は、一時滞在していた武漢から帰国し発症した。すでに治りかけの段階にあったためPCR検査に必要な検体中のウイルス量が少なく、初回検査では陰性だった。しかし武漢からの帰国者であり、発熱しており肺炎になっていたことから感染研は追加検査し、かろうじて陽性を検出した。

台湾が初症例を検出したのは1月21日で、日本はこれよりも早かった。ニューヨークが初症例を3月まで検出できなかったことを考えれば、日本のサーベイランス体制は高く評価できる。

日本の検疫は、当初はPCR検査能力が限られていたが、抗原定量検査を導入し検査体制を大幅に強化していた。変異株に対して、日本は12月23日に英国からの入国者への検疫を強化した。12月25日には検疫で陽性となった5名から変異株を検出できた。

そして、国境管理で第三に重要なのは、入国後待機のモニタリングである。

帰国者は、みずから確保した都内のホテルや自宅で14日間「待機」するケースが多くなっていた。しかし検疫の検査では陰性だったが実は発症前で捕捉できず、その後、待機期間中の会食で二次感染を起こしてしまうケースも出てきた。変異株の流入を食い止めるため、政府は、検疫所が確保する宿泊施設での待機を求めることにした。

しかし、帰国者・入国者の待機のモニタリングは、容易ではない。人権とプライバシーに配慮する日本政府は、入国者の位置情報(GPS)を取得してこなかった。

この点で参考になるのは、台湾である。台湾の待機モニタリングは徹底している。ある入国者はホテルでの隔離を義務付けられていたが、部屋から廊下に8秒間だけ出たために約36万円もの罰金を科された。台湾政府は携帯電話事業者とともに、入国者の携帯電話の電波状況をモニタリングしてきた。在宅待機の隔離者が自宅を離れ、もっとも近い電波塔の圏外に移動すると、政府当局と警察に通知が飛ぶ。隔離違反者には最高370万円の罰金を科し、施設への拘禁も可能である。

 

台湾から学ぶ

台湾政府は、中国での新型肺炎発生の第一報を受けた直後から、専門家とともに感染リスクに応じた措置を立て続けに実施してきた。行動監視のように一部の人々の「移動の自由」を制限する厳しい措置もあったが、迅速果断に執行してきた。結果的に、台湾は全土一律のロックダウンなど強権的な移動制限を実施していない。

感染症危機対応に成果をあげてきた台湾政府を、市民も支持している。国際的な世論調査グループYouGovの統計によれば、2020年5月に日本で政府のコロナ対策を支持していた市民は42%に留まったが、台湾では90%の市民が支持していた。その後、台湾では2020年12月に至るまで一貫して80%以上の市民が政府のコロナ対策を支持している。

危機は国民を動かす。コロナの初期対応において、多くの国で社会的な連帯が盛り上がり、コロナに対峙していた。しかし先の見えない危機において、そうした連帯感だけに頼って戦い抜くことは不可能である。国民の中には、コロナ疲れや失望が広がっている。

こうしたなか、「移動の自由」を制限するという「伝家の宝刀」を抜き、斬るべきものを見定め、むやみに振り回さず鞘に納めるのは、国家の指導者にしかできない業である。昨年10月、コロナ民間臨調は、罰則と補償措置(協力金)を伴う感染症危機対応法制の見直しを提言していた。「移動の自由」を取り戻すため、政府には的確なリスク評価と、迅速果断な政策の執行が求められている。

 

(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

 

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