「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API上席研究員 兼 慶應義塾大学法学部教授)。
本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。
https://toyokeizai.net/articles/-/352983
「API地経学ブリーフィング」No.5
2020年06月01日
ポストコロナ「インターネットがカギ握る理由」-さまざまなリスクを国際協調で乗り越えよ
アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
シニアフェロー・API地経学研究所所長・慶應義塾大学教授・慶應義塾大学サイバー文明研究センター共同センター長 村井純
技術革新の社会的実装力の差が成否を分ける
コロナウイルス危機は、私たちにインターネットを上手に、そして賢明に使うことによってこそ、この危機を最小限度の被害で乗り切ることができるということを教えている。今後、ウィズコロナ(withコロナ)の時代に必然となる無人・遠隔の非接触経済社会が定着すれば、インターネット文明、すなわちAI、ブロックチェーン、IoT、ドローン、自動運転、5Gなどの第4次産業革命は加速度的に進むだろう。
すでにオンライン診療にしてもオンライン教育にしてもテレワークにしても、それを大胆に社会実装するデジタル・トランスフォーメーション先進国・地域と、それに対する抵抗が強く、社会実装が進まないデジタル・トランスフォーメーション後進国とでは、感染者や濃厚接触者の把握、追跡、隔離の面で大きな差がついている。
これからの経済復興の局面においても、その彼我のこれらの技術革新の社会実装力の差が復興の成否を大きく分かつことになるだろう。
その一方で、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)はインターネット文明に対する歴史的な挑戦となっている。過去30~40年のインターネットの進化に照らしてみて、今のインターネットの位置と意義をどのようにみるべきか。
それは、アメリカ軍の産物ではない。
それは、国家の産業政策の産物でもない。
それは、民主活動の結果でもない。
しかし、インターネットはアナーキー(無政府状態)ゆえに、その環境には負の側面が生まれることになる。今回のコロナ禍においても、そのおぞましい姿を見ることになった。
ロシアと中国のディスインフォメーション。
中国のハッカー集団によるワクチン関連米医薬スタートアップ38社へのサイバー攻撃。
米中間の政府当局者によるツイートによる激しい非難の応酬。
そして、なんといっても崩壊寸前の医療機関への容赦ないワナクライ攻撃(悪意のあるプログラムであるランサムウエアの新種による攻撃)。
振り返ると、インターネットは1980年代に学術環境によって発達し、1990年代に経済の基盤として発展した。人間の知と創造性を自由に発揮でき、かつ、国境のない、人類にとっての初めての「地球で唯一の文明」が創造された。
2000年にはインターネットに参加していたのが地球人口のわずか6%だったのに、2019年末には世界人口の58.7%へ。全体の総利用者の半分近くをアジア地域が占め、しかもその22億人にしても、アジアの人口でみれば半数にすぎない。インターネットインクルージョン、つまり残された人類がインターネットに参加する未来の伸びしろのほとんどが、日本と韓国を除いたアジア圏にある。
地経学における新しい構造を提示
これらのことは、地理、政治、経済の関係における地域での役割を示している。デジタル技術とインターネットを前提とした新しい社会、インターネット文明は、地経学における新しい構造を提示するものである。
ポストコロナ、そして、ニューノーマル(新常態)への遷移が未来のインターネットを先導するポイントは、3つある。
まずは、歴史が示すようにパンデミックや大規模災害からの出発には既存体制にとらわれない、イノベーションがカギとなる点である。デジタル技術で構成されるインターネットのようなプラットフォームは、そのうえで営まれるイノベーションのコストを極小化し、優れた知の集積と企画立案、そして、大規模なまったく新しいサービスの運用を推進する。
次に、インターネットは人類にとって、持続を意識して、運用と発展を考えなければいけない領域だということである。気候変動、ウイルス、そしてインターネットは100パーセントグローバルな領域での人類全体への挑戦であり、そこでのカギは退治や撲滅ではなく、地球と人間、環境と人間性の持続性が最大の価値であるという価値の評価軸である。
最後は、グローバル空間に対するセキュリティー・ガバナンス上での明確な役割の認識が必要だということである。国が関与してほかの国の攻撃にインターネット空間を利用するのはサイバーディフェンスの領域であり「国際空間」の文脈での対応が必要だ。インターネット空間を利用した犯罪行為はサイバークライムの領域であり国際的な連携も含めて、「国内空間」の文脈での対応が各国において必要だ。
「グローバル空間」への深い理解が必要
しかし、サイバーセキュリティーには、地球と人類の視点を持った「グローバル空間」への深い理解が必要となる。これらの3つの空間の文脈を統合的に意識した明確な政策構造はわが国にも世界にもまだ存在していない。ウイルス、気候変動、インターネットの3つで共通しているのは、グローバルな挑戦にはグローバルな解決しかないこと、そして政治家と科学者・技術者のパートナーシップが不可欠であるということである。
インターネットの技術標準はIETFと呼ばれる会議体で推進され、やがて、関連する計画や政策に関する組織たちを生み出した母体となるコミュニティーが集っている。このコミュニティーで最も頻繁に引用されるフレーズはMITのDave Clark教授の「われわれは王、大統領、投票を拒む。私たちが信じるのは、大枠の合意と動作するプログラムである。(We reject kings, presidents, and voting. We believe in rough consensus and running code.)」 という発言である。
この信条は、共和主義や民主主義とも異なる、グローバルに、自由なデジタルデータを共有・交換できるインターネットの基盤が健全に運用と発展を続けられることという、地球環境問題にも通じる、「持続主義」とも呼べる強い理念によって、先導力を持ち続けている。
それは、別の言い方をすれば、「ソーシャル・エンパワーメント(社会課題解決力)」ということにほかならない。中国のデジタル・レーニン主義ではない。シリコン・バレーのプラットフォームでもない。もう1つの選択肢の可能性が存在するか否か、がコロナウイルス危機において今まさに試されているともいえるのである。
フランスのエマニュエル・マクロン大統領が言うように、COVID-19は「人類学的ショック」を私たちに与えた。しかし、この危機に対して、世界は、いや人類全体が、インターネットによってその危機を知覚し、危機克服の取り組みにリアルタイムで参画し、そこからの教訓を普遍的に学ぶ共同作業をすることができる。
たしかに、グローバル化の進展によってCOVID-19の感染スピードは急速だった。それはウイルスのグローバル化と言ってもよいだろう。一方、それに対する各国の対応もまたインターネットによるグローバル化を特徴としている。そこでは世界の知の連携による可能性が広がっている。
「濫用・悪用」に対して「善用」を
新たに創造されるテクノロジーとイノベーションが、人類の健康と経済の発展と世界の平和に貢献することは間違いない。同時に、それを実現するには、テクノロジーに潜むさまざまなリスク、すなわち、倫理的、文化的、社会的、安全保障的、政治的リスクを国際協調の枠組みの中で全人類的に管理し、克服していかなければならない。
2019年は、インターネットの起源となる2つの研究が開始された1969年から50年、WWW(World Wide Web=ワールドワイドウェブ)誕生の1989年から30年でもあった。これらの議論では当然インターネットの30年後、50年後への課題は何かという議論になる。
ここで筆者が最も頻繁に耳にした世界の社会学者からの答えは‘Ethics’(倫理)だった。筆者はサイバーセキュリティーのコンテキストでの「濫用・悪用(abuse)」に対して、「善用(ethical use)」という言葉を使っている。経済的な評価軸を重点としたこれまでのインターネットに対して、新しい社会の創造に取り組むときが来た。
(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。
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