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ポストコロナ「日本は必死で学ぶ必要がある」(船橋洋一・細谷雄一)

「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです。 立上げにあたり、「ポスト・コロナの世界はどのように変容してしまうのか。コロナウイルスが私たちに突き付ける歴史的意味とは何か」について、APIの理事長を務める船橋洋一と、国際政治学者でAPI上席研究員でもある細谷雄一・慶應義塾大学教授の緊急対談を4回にわたりお届けします。本稿はその最終回です。(本対談はオンライン会議で行われました)

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/351744

   

「API地経学ブリーフィング」No.4

2020年05月25日

ポストコロナ「日本は必死で学ぶ必要がある」-「均衡」の概念に基づき文明観は問い直される

 


アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
理事長 船橋洋一

 


アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
上席研究員・慶應義塾大学法学部教授 細谷雄一

 

船橋 洋一(以下、船橋):戦後の国際社会ではGDPを指標とし、経済が成長している社会がいい社会であり、民主主義であるという価値観が支配していました。西側の資本主義社会だけでなく、東側の社会主義諸国を含めそのような体制でした。理想とされたのはより高い生活水準であり、完全雇用です。 この理念は、国連憲章にもOECD(経済協力開発機構)にも掲げられています。体制の違いにもかかわらず受け入れられたということは、これは文明的な概念であり、1つの進歩史観ということかもしれません。今回のコロナ危機により、こうした文明観や進歩史観は問い直されることになるのかどうか、そのあたりどのようにお考えですか。

 

均衡の概念――人類とウイルスの均衡 細谷 雄一(以下、細谷):歴史を見るときに、進歩主義的な歴史観と、保守主義的な歴史観の2つがあり、そのいずれも重要な意味があります。後者は、歴史や社会さらに人間の本質は変わらない、揺れ動きはあるように見えても同じところを循環している、というような認識に基づいた循環史観です。 それを踏まえて申し上げると、今、私が非常に重要だと思うのは「均衡」という概念です。これほどまで国際社会において相互信頼や協調が後退してしまうと、「均衡」しか秩序を形成する方法はないと思われます。その中でも喫緊の課題は、米中間での新しい勢力均衡の確立です。 均衡は国際秩序だけの問題ではありません。前回、問題提起した国家権力と市民の権利の均衡は、民主主義のあり方に関する問題です。また、もっと大きな問題として、われわれは人類と自然の均衡という問題にも直面しています。 コロナ危機を経験し、私には、人類とウイルスの均衡という視点が抜けていたことを痛感しました。 シカゴ大学の教授だった著名な歴史家のウィリアム・マクニールは『疫病と世界史』という著書の中で、「現代の科学と技術は無機的なエネルギーを開発することによって、競合するさまざまな生物体との間の自然の均衡を一変させるのに要する人間の能力を、極度に巨大化してしまった」と指摘しています。 そして、「今日人類が自然の生態系に介入していることが主な原因で、生物進化は最高速度で進化している」のであり、「生態学的関係の調整、再調整の一部」として、新しい感染症が拡大することがあるのです。 1980年にWHOは天然痘根絶を宣言しましたが、そのとき人類には感染症を克服したというおごりが生じたのだと思います。しかし、われわれはその後もエイズやエボラ出血熱、SARS(重症急性呼吸器症候群)の脅威にさらされてきました。 グローバリゼーションが加速し、グローバルサプライチェーンが進む中で、今回のコロナ危機に見舞われました。マクニールの指摘に従えば、コロナ危機は「生態学的関係の調整」と見ることができると思います。

 

グローバル化を管理するニューノーマル 細谷:そのように考えると、コロナウイルスの感染拡大に直面する中で、日常生活において「3密」(密閉・密集・密接)を避ける社会へと変容することが1つの「ニューノーマル」だとすれば、グローバルサプライチェーンや国境を越えた人々の移動に一定の制限が加わるのも「ニューノーマル」になる可能性があると思います。 とくに、富を独占する国や人々が健康も独占しようとして、貧しく公衆衛生の芳しくない国々から健康に恵まれた豊かな国々への移民の流入が拡大するでしょう。 そのような移民の流入を制限するようになることも、「ニューノーマル」になるかもしれません。そのとき、これまでのような無条件のグローバル化が、いわばWTO元事務局長のパスカル・ラミーが述べていたような「管理されたグローバル化」へと変容するのかもしれません。 このことを日本の問題として考えると、どうなるでしょうか。実は、日本は歴史的に優れた公衆衛生を維持してきた社会であり、他方で国境を越えた移動の制限や、自然との均衡あるいは共生というものが、日本人にとってはいわば自然なものでした。 島嶼国(とうしょこく)という特性から、日本は元来閉鎖的社会だと言われていました。もちろん、これからも国際化を進めていくべきだと考えていますが、他方で海に囲まれていることで日本がこれまで感染症やテロリズムからある程度免れてこられたという幸運はあったと思います。 そのような日本が有する前提条件を生かしながら、自国の優れたところと劣った部分を十分に理解したうえで、日本が「ニューノーマル」としての、いわゆる「新しい生活様式」を世界に提示できることが重要になるのでしょう。同時に、自画自賛に陥ることなく、もしも日本が内包する深刻な問題点を修正することができれば、ポストコロナの世界で、日本は比較的いい位置に立つことができるのではないかと考えます。 船橋:コロナウイルスというのはこれからも次から次へと発生してくるウイルス脅威の1つにすぎないのですかね。気候変動に伴う干ばつも洪水もハリケーンも台風も頻度や強度は増すばかりという、ああいうようなことになっていくのかどうか。こうなってくると、「完全解決」や「撲滅」という概念ではもはや対抗できない相手なのかもしれません。 ウィズコロナ(With Corona)ということはそういうことなのかもしれませんね。「緩和」と「適応」の組み合わせ、そしてレジリエンスの力に期待するしかないのではないか。そんなふうに見ること自体、進歩史観からすれば敗北宣言に等しいのかもしれませんが、それをベストシナリオと見るべきではないか。少なくとも、循環史観よりは、よほど上等で人間的なように思えますね。 循環史観だと結局のところ諦観になってしまう。エージェンシー(Agency)としての人間の意志とイニシアチブ、そしてリーダーシップの重要性はさほど重んじられない。それはまた決定論にも流れやすい。歴史はあらかじめ決められているのではなく、個人の創意工夫や社会のイノベーション、そしてリーダーシップによって、歴史はつくられていくものだと思います。

 

平和の体制の再構築 船橋:第2次大戦後、70年以上続いた「長い平和」は世界にとって僥倖でした。それ以前に、欧州はナポレオン戦争の戦後処理をしたウィーン会議の後、100年間の「長い平和」の時代を経験しています。それを可能にしたのは、先ほど細谷さんがより大きな文脈でお使いになった、この均衡という概念でした。それはいまでも変わらないと思います。 国際秩序もグローバル・ガバナンスも最後は大国間の持続的な勢力均衡なしには生まれないと思うからです。 しかし、19世紀の欧州の「長い平和」は、第1次世界大戦の勃発により失われました。それに関するヘンリー・キッシンジャー(アメリカの政治家・国際政治者。1923年生まれ。フォード共和党政権で国務長官を務めた)の分析は示唆的です。彼はこう言いました。「欧州の協調による長い平和を経る中で、列強は悲劇の感覚を失った。国々は死ぬこともありうるのだ。そして大変動が不可逆的な事態をもたらしえるんだということを忘れた」――。 コロナ危機によって戦後、70年以上続いた「長い平和」の時代は、終わりに近づいているのかもしれません。しかし、まだ終わったわけではない。 日本にとって、これほどありがたいものはなかった戦後の平和と秩序をもう1度、立て直すことがコロナ後の出発点となると思います。価値観や志を同じくする国々と、あるいは価値観は違うかもしれませんが中国のように国際社会に強い影響力を持つ国々とも折り合いながら、現実主義を踏まえ、実務的に世界の平和と安定を追求していくことが、ますます重要になってくるのだと思います。 同時に忘れてはならないことは、均衡という考え方です。国際政治における勢力均衡です。ただ、キッシンジャーも指摘したように「古典的な軍事的勢力均衡は、規範によって緩和され、パートナー関係によって協調的に管理される必要がある」と思います。 地政学と地経学の怖さを十分に認識するとともに、その中毒にかからないようにしなければいけない。国々がルールに基づき、多角的な、協調的な国際秩序をつくりあげる努力を持続的にしていく以外ないと思います。日本はそこで積極的安定力となり、ルール・シェイパー(ルール・メーキングの環境づくり役)となることを目指すべきだと思います。

 

――対談の最後に、日本の課題について議論したいと思います。コロナ危機は現在進行形で、出口戦略もまだ見えず、その終点は予測困難ですが、日本はどのようにポストコロナに向かうべきでしょうか。今の日本に求められているのは何でしょうか。 細谷:人間は、なかなか変化できない。変わりたくても変われないという傾向を持っていて、本当の危機に直面しない限り、根本からの変革をすることができないのだと思います。 一方、近現代の歴史を振り返ると、日本は江戸時代末期の列強国による開国圧力と第2次世界大戦の2度の危機に直面しました。江戸末期からの危機は、明治維新と明治政府の近代化政策でなんとか乗り越えることができました。そのとき、日本も日本人も大きく変化しました。人々は髷(まげ)を切り着物を脱いでシャツをまとい、武士は刀を棄(す)てました。 第2次世界大戦では挫折を経験しましたが、その後の危機も自らを柔軟に変革することによって、どうにか乗り越えました。戦前と戦後では、日本人の価値観は一変しました。主権者は天皇から国民に代わり、戦争を放棄し、民主主義や人権を尊重する社会に変容しようとしてきました。換言すると、明治維新や敗戦後の変革があったからこそ、今の日本、現在の繁栄や平和があるのだろうと思います。

 

世界が一体となって共に闘う姿勢が必要 細谷:そう考えると、今われわれは、個人も国家や社会も大変な困難と試練に直面しているわけですけれど、だからこそ変わること、変革することが日本にとって重要なのだと思います。この危機をどのように乗り越え、どのように変わるかによって、恐らく、今後の日本の100年は決定します。 失敗すれば、先進国の地位から滑り落ち、国際社会で埋没していくかもしれません。むしろこの危機を、これまで変わりたくても変わることができなかった日本にとって好機と捉えて、変革によってうまく乗り越えることができれば、ビフォーコロナよりも日本がよくなっていくかもしれない。日本が国際社会でより尊敬されるような名誉ある地位を得て、よりいっそうの豊かさや平和を維持できるかもしれない。 そのためには、船橋さんのご指摘のとおり、一体感を持って国民の英知を結集しなければなりません。シンクタンクの役割もますます重要になります。長期的な視野から社会にポストコロナのビジョンを示す義務と責任があるのだと思います。 船橋:求められるのは変革ですね。私も同感です。パンデミックのような危機に際しては、敵も味方もありません。敵はウイルスです。他国でも敵対政党でもありません。 ですから、イデオロギーだとか価値観だとか、そのようなものは取り払い、全世界のすべての人々が同じ脅威にさらされているのだという意識を強く持って、命と健康を守るために、種を守るために、ありとある国々、人々が協調し一体となって、しかも、何も包み隠さず、あらゆることを「見える化」して、共に闘うことが必須です。 船橋:この危機を乗り越えるためには、「学べることはみんな学ぶ」という態度が肝要です。かつて、学ぶこと、学んだことを改良、改善、発展させることは日本のお家芸でした。しかし、「失われた20年」、30年に近づきましたが、その間に、学ぶことが下手になったと思います。福島の原発事故を検証したとき、それを痛感しました。 日本はチェルノブイリ事故から驚くほど何も学んでいませんでした。事故前の日本の原子力政策はチェルノブイリ事故に関し、「日本では起こるはずはない」「ソ連とは政治体制が違う」「民主主義で透明度の高い日本では、科学は政治に従属していない」「ソ連から学ぶものは何もない」という態度でした。 その日本特殊論と傲慢さがフクシマを引き起こしました。放射能の前ではみんな同じ。私たちは皆弱いのであって、学べることは何でも必死で学ぶべきでした。が、それをしませんでした。

 

辛勝がベストシナリオの覚悟 船橋:今回も同じです。ウイルスの脅威の前ではみんな同じように弱いのです。感染拡大に比較的うまく対応している韓国や台湾、シンガポールから、学べることは何でも学ぶべきです。好き嫌いもイデオロギーも関係ありません。 いま、求められるのはこの闘いに勝つことだと思います。あえて戦争を比喩にすると、戦勝国になることです。ただ、もはや快勝や完勝は望むべくもありません。優等生になることもありえません。だから、劣等生でもいいからとにかく合格する。しがみついてでも勝つ。 辛勝でよい、中国がかつての抗日戦争に勝利した暁に使った言葉を使うと「惨勝」でよいから勝つ。それが、ベストシナリオだというくらいの覚悟で臨むべきでしょう。ウイルスの前で神風は吹かないし、奇跡も起きない。日本特殊論と訣別し、世界から学び、世界と共に闘わなくてはいけません。 ご指摘のとおり、乗り越えることができなければ、日本は本当に先進国から滑り落ちてしまうかもしれません。 明治維新後の百数十年の歴史の中で、途中で挫折もありましたが、日本が目指して実現した先進国という国の形を失ってしまう。福沢諭吉はそのビジョンを「七福神」と形容しました。それは戦後のG7で実現したのです。その地位とアイデンティティーを維持、発展できるかどうか、私たちは今、その分岐点に立っているのだと思います。 アメリカのジョン・アレン大将(ブルッキングス研究所理事長)は、「歴史はコロナウイルス危機の勝者によって書かれるだろう」と述べました。日本はその歴史を共に書く国際社会の一員でありたいものです。

 

(おことわり) API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所、その他著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

 

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