「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一 研究主幹、慶應義塾大学法学部教授、ケンブリッジ大学ダウニング・カレッジ訪問研究員)。
本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。
https://toyokeizai.net/articles/-/592700
「API地経学ブリーフィング」No.106
(画像提供:ロイター/アフロ)
2022年5月30日
日米「核の傘」強化と中国へ核軍縮を促す重大背景 - 日中関係と核兵器の半世紀、日本に求められる事
アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
MSFエグゼクティブ・ディレクター
慶應義塾大学総合政策学部教授 神保謙
2022年5月の日米首脳会談で発表された日米首脳共同声明で、両首脳は核拡大抑止の強化を約束する一方で、中国の核戦力の透明性を高め、核軍縮の推進を呼びかけた。日米首脳会談の共同声明として中国に核軍縮を呼びかけるのは、異例のことである。
今年に入り、日米両政府は核拡散防止条約(NPT)に関する共同声明を発表し、そこでも「中国に対し、核リスクを低減し、透明性を高め、核軍縮を進展させる取り決めに貢献するよう要請」しており、日米両国の中国の核戦力に対する働きかけを強化している。
ロシアのウクライナ侵攻によって、新戦略兵器削減条約(新START)の改定のメドが立たず、アジアでは中国の核戦力増強や北朝鮮の核開発が進む中で、日米両国が核拡大抑止を強化しつつ、中国に核軍縮を促す背景には何があるのか。これまでの中国の核兵器と日中関係の歴史を振り返りつつ検討する。
「核兵器国」中国と「核の傘」の確認
1964年に最初の核実験を成功させて以来、中国は名実ともに「核兵器国」(1970年に発効した核兵器不拡散条約における「核兵器国」の地位を確立)となったが、中国の核戦力は米ソに比較して僅かな規模でしかなかった。毛沢東国家主席が、アメリカの核兵器を実践では運用が困難であるという意味において「張子の虎」と形容していたことはよく知られている。しかし、実際には中国指導部の核兵器に対する脅威認識は先鋭で、1950年から60年代にかけて勃発した朝鮮戦争、インドシナ戦争、台湾海峡危機などの過程で、アメリカの核兵器使用の可能性に直面したことにより、「核対抗力」が強く意識されるようになった。
こうした経緯から中国は1964年に核実験を成功させ、1966年には東風2号(DF-2)中距離ミサイルを実践配備し、核兵器と運搬手段の連携「両弾」をこの時期に確立させる。さらに66年の水爆実験の成功、1971年の東風3号(DF-3)配備、さらに核兵器を運搬することが可能な戦略爆撃機の配備は、中国の「戦域抑止」の信頼性を向上させていった。
中国の核実験は日本政府にも大きな衝撃を与えた。佐藤栄作首相は、1965年1月の日米首脳会談で「中共が核を持つなら、日本も持つべきだと考える」と発言したとされる。日本核武装と核拡散への懸念は、ジョンソン政権をして核拡大抑止の「保証」を明確化させる契機ともなった。同日米首脳会談後に、佐藤は日本の核保有という方針を放棄する意思を固め、アメリカの「核の傘」に安全保障を委ねる方針を確立していった。そして佐藤は1967年12月に非核三原則(持たず・つくらず・持ち込まず)を表明し、1972年の沖縄返還に際しては「核抜き本土並み」という路線の採択に至っている。
日中国交正常化「核兵器の製造はできるが、やらない」
アメリカ・ニクソン政権による1971年の米中接近の実現は、東アジアの国際関係に構造転換を迫った。1972年7月に成立した田中角栄政権は日中国交正常化を公約として掲げ、日米安保体制と日中関係の両立に苦慮しながら、同年9月の日中首脳会談で国交正常化の基礎となる共同声明をまとめあげた。
この国交正常化に至る過程で、日中首脳の間には核問題をめぐる興味深いやり取りがある(外務省「田中・周会談記録」1972年9月25日〜28日)。
周恩来:日本は核戦争にはどのように対処するのか?・・・(以下略)
田中角栄:日本の工業力、科学技術の水準から、核兵器の製造ができるがやらない。また一切保有しない。
周恩来:日米安保条約には不平等性がある。しかし、すぐにはこれを廃棄できないことはよくわかっている。なぜなら、日本がアメリカの核の傘の下にあるのでなければ、日本に発言権がなくなるからだ。
こうしたやり取りの背景には、日本の核武装の可能性に対する周恩来の警戒感が示されていると同時に、日米安保体制の中での核の傘に対する一定の理解を見いだすことができる。これに対し、田中角栄は日本がいざとなれば核武装する能力はあるが、核兵器を保有する意図がないことを強調している。中国の核開発の進捗が緩慢なペースに留まること、核軍縮推進に対する立場を表明してきたこと、核兵器の先制不使用や消極的安全保障(非核保有国には核攻撃をしないという方針)を表明したこと、などが日中の核兵器をめぐる相互理解として醸成されたと判断できる。
さらにこの時期の米中関係にも、核兵器をめぐる米中戦略的安定の原型ともいえる考え方を見いだすことができる。ニクソン政権中期には中国の第二撃能力の残存性を完全に破壊することはできず、事実上中国の最小限抑止力を認めざるをえないという見方が提示されるようになるからだ(国家安全保障戦略覚書第169号、1973年5月)。こうして中国の核戦力は最小限抑止として位置づけられ、アメリカは中国の核戦力を無力化する方針を表明することを控えるようになった。
こうした暗黙の米中戦略的安定性は、中国の大陸間弾道弾(ICBM)の配備数を長年20発程度に限定してきたこと、アメリカのミサイル防衛が中国の抑止力を損なうものではない、と繰り返し表明したことによって、間接的に保たれてきたといってよい。
核実験と台湾海峡危機による核問題の再燃
日本国内の中国の核兵器に対する問題意識が再び高まったのは、1995年5月と7月に中国が実施した地下核実験に対して、日本が一方的に新規の無償資金協力を凍結したことである。当時は包括的核実験禁止条約(CTBT)の交渉過程で、中国がいわば駆け込み実験を実施した事例と捉えられた。日本政府は、村山富市首相、河野洋平外相をはじめとするさまざまなレベルで遺憾の意を伝え、核実験の停止が明らかにならない限り、無償資金援助を停止することを決定した。
1995年から1996年にかけての中台関係の緊張と中国の台湾海峡における大規模ミサイル演習は、台湾をめぐる軍事的衝突の緊張を高めた。中国人民解放軍の熊光楷副参謀総長(当時)は「もしアメリカが台湾に介入したら、中国は核ミサイルでロサンゼルスを破壊する」と発言したとされる。同様の発言は2005年に中国国防大学の朱成虎院長(当時)が、アメリカが台湾有事に介入した場合、中国は核兵器で反撃すると発言している。こうした論点は、日本を取り巻く紛争が米中の核戦争に発展する可能性を想起させるものとなった。
日本が中国の核戦力に対して直接的に働きかけた例外的な事例は、民主党政権時の岡田克也外相の対中外交である。核軍縮問題に強い信念を持つ岡田は、2010年5月の日中外相会談において、中国の核政策について「核軍縮に関する約束を履行せず、世界各国が核軍縮を進める中で核兵器を増やしている」と強い懸念を表明した。中国の楊潔篪外相は「中国の立場は正当、透明で、非難されるものではない」と直ちに反論している。
日米核拡大抑止強化と中国核軍備管理呼びかけ
アメリカ国防省の中国の軍事・安全保障分野の動向に関する年次報告書(2021)は、中国が2030年までに少なくとも1000発の核弾頭を保有する意向を持つ可能性があることを分析した。この分析は前年の報告書で「今後10年間で少なくとも2倍の規模」と予測された水準をさらに上回るペースで、中国の核戦力の増強が進むことを示唆している。
中国の急速な核戦力の増強は、中国が最小限抑止を脱却し、確実に第二撃能力を担保する「確証報復」能力を獲得し、さらには通常兵器による軍事衝突をエスカレーション管理するための戦域核の使用や、アメリカに対する対兵力攻撃の可能性さえ考慮すべき段階に入ったことを示している。大陸間弾道弾の開発ペースの加速、原子力潜水艦搭載ミサイルの能力向上、非戦略核として運用可能な中距離ミサイルの配備、これらを支える核運用能力の改善などが、こうした見方を裏付ける。
また2022年のロシアのウクライナ侵攻の際に、ロシアがウクライナ侵略の早期段階から核兵器の使用を威嚇として用いて、アメリカや北大西洋条約機構(NATO)の直接的軍事介入を牽制したこと、さらに少数の核兵器を示威的に使用して相手に妥協を迫る「エスカレーション抑止」の有効性が着目されていることも、中国にとって確実に核兵器の役割を再評価させただろう。
こうした中で、中国の核戦力の増強と向き合う日本には、新しい次元で日米同盟の核拡大抑止を担保することが求められている。これはアメリカを射程に収める戦略核と、戦域で使用されうる非戦略核の双方を対象に、重層的な抑止構造が必要とされることを射程に置いている。
核拡大抑止に必要とされるのは、同盟国を防衛するために地域に適合したアメリカ軍の核戦力の保持・運用すること、および核態勢と運用の明示を通じて、潜在的な敵対国に対する意図を明確にすることである。同時に、同盟国である日本がアメリカの核拡大抑止の能力と意図を深く理解し、その基本指針や運用への参画を通じて「核の傘」の信頼を高めていくことが不可欠となる。2022年5月の日米国防相会談で「核抑止が信頼でき、強靱なものであり続けるためのあらゆるレベルでの二国間の取り組みが従来にも増して重要」という共同認識が示された理由はここにある。
他方で日米首脳会談では、日米両国のグローバルな核軍縮推進の意志が共有された。中国は依然として、米露の核軍縮が進展していないことを理由に、多国間の核軍縮枠組みに加わる意志を示していない。日本の役割は中国の核戦力の増強に対する日米同盟を基盤とした抑止力の向上とともに、中国の核軍備管理に対する責任を促すことにある。
2021年9月に王毅外交部長は「中国の特色ある大国の軍備管理の理論体系」を掲げ、世界の戦略的安定性、国際的な軍備管理・軍縮システムの強化・整備を挙げている。日本が促すべき第1のポイントは中国にこうした概念を明確化し、具体的な措置として実行を促すことにあるだろう。
日本は中国に自らの核戦力と核ドクトリンの明確化を
第2のポイントは、日本が中国に対して自らの核戦力と核ドクトリンの明確化を促すことである。特に現在まで中国が核兵器の保有数を公表していないことは、これまでは数的劣勢を背景にしていたが、現在は核兵器数を大幅に増強し、運搬手段も多様化している。中国が核戦力の透明化を拒む理由は消失している。こうした透明化措置なくして、軍備管理・軍縮に向けた道筋を開くことはできない。中国が核大国として台頭することが予見されているからこそ、グローバルな軍備管理・軍縮への責任を醸成することが同時に求められている。
日中関係の半世紀において核兵器は重要な意味を持ち続けてきた。1970年代に形成された中国の核兵器をめぐる暗黙の了解は、中国の核戦力増強によって大きく覆されようとしている。こうした中で、日米同盟の核拡大抑止を強化しつつ、同時に中国に核軍備管理・軍縮の働きかけを行う重要性が増しているのである。
(おことわり)API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。
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