「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API研究主幹 兼 慶應義塾大学法学部教授)。
本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。
https://toyokeizai.net/articles/-/454336
「API地経学ブリーフィング」No.70
2021年9月13日
「米国のアフガン撤退」で日本に求められる役割 ― 戦術的失敗で戦略目的を見失ってはならない
アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
シニアフェロー、第24代航空自衛隊補給本部長;空将(退役) 尾上定正
アメリカのアフガン撤退で中国が台湾に揺さぶり
「徐々に、そして突然に」を絵にかいたようなカブール陥落であった。バイデン大統領が決断したアフガニスタンからの撤退は、タリバンの電撃的な攻勢によるアフガン政府と30万の国軍の崩壊、そして地域のみならず世界的な地政学上の変動をもたらした。すし詰めの避難民を乗せたアメリカ軍C-17輸送機が追いすがる市民を振り落としながら離陸する映像は、世界中に大きな衝撃を与えた。
さらに、ともに戦った英仏独豪等の同盟国やアフガン国民の人権への配慮に欠けたバイデン大統領の頑なな言動は、アメリカの国益第一・単独主義を強く印象付け、撤退の正統な理由である「対中ピボット」への疑念さえ生じさせている。中国は、これを20年に及ぶアメリカの「民主化実験」の失敗であり、アメリカの信用失墜と覇権凋落の証しとして喧伝している。
環球時報は、アメリカが一方的にアフガンを見捨てたのは「台湾の将来の運命の前兆を示しているのではないか」(8月17日社説)、「アメリカは必ず最終的に台湾を見捨てる」(18日同)と書き、台湾にも揺さぶりをかけている。アフガン情勢は東アジアにも大きく影響し、日本の安全保障に直結するアメリカのインド太平洋リバランスの成否を左右する問題である。
バイデン大統領は8月16日のアメリカ国民に向けた演説で、「アフガンにおけるアメリカの唯一の死活的国益は、アメリカ本土へのテロ攻撃を防止すること」であり、「アフガン軍が自身のために戦おうとしない戦争でアメリカ軍が戦うことはできないし、アメリカ軍兵士が死ぬべきではない」と撤退を正当化した。
事前調整もなく一方的に撤退の現実を突きつけられた欧州諸国は、自国民退避の時間的猶予を得るためのアメリカ軍撤収期限の延長要請も拒否され、バイデン政権への失望と怒りを隠さない。バイデン大統領は、ABCニュースの取材に、「NATO(北大西洋条約機構)や韓国、台湾はアフガンとは違う」「NATO同盟国への防衛コミットメントは揺ぎない、日本、韓国、台湾についても同じだ」と述べた。
だが、オバマもトランプもアジアへのリバランスを公言しつつ、実態は伴わなかった。バイデン外交も「アメリカ・ファースト(アメリカの国益優先)」が本質であることが明らかとなった今、同盟国への防衛コミットメントは揺るがないという大統領の言説は、今後の行動によって裏付けられる必要がある。
20年近くにわたる「最も長い戦争」を終結させ、中国との大国間競争に集中するという戦略転換については、おおむねアメリカ国内でのコンセンサスがある。日本にとっても歓迎すべき方向だが、撤退作戦の失敗は、すでに疲弊し大きなダメージを受けているアメリカとアメリカ軍にさらなる負荷を課してしまった。
情報見積もりの誤りと杜撰な撤収計画、またアフガン国軍育成の失敗やテロの温床除去から「民主的な国作り」に目的がすり替わった原因、等々への批判や責任追及に今後のアメリカ政治はエネルギーを取られるだろう。中間選挙や2024年の大統領選挙での争点となり、トランプ前大統領支持派との国内分断が一層深刻化する懸念もある。
アメリカ軍の「敗戦の傷」は深い
ベトナム戦争との安易な比較は慎むべきだが、20年に及ぶ派兵で2万人以上の兵士が負傷し、2461人が戦死したアメリカ軍の「敗戦の傷」は深いだろう。また、待避で混雑する空港を狙ったIS-K(イスラム国ホラサン)の自爆テロは、抑え込んできたテロ集団を再活性化するかもしれない。バイデン大統領は、アフガン内戦への介入は終結させたがテロリストの脅威は世界中に転移しており、テロとの戦いは継続すると述べている。
このような苦境に立つアメリカを新たな孤立主義に追いやってはならない。まずは、英仏独豪をはじめアメリカに裏切られた思いの国々とバイデン政権の信頼回復が不可欠である。アメリカは、さまざまな戦術的失敗を認めたうえで、同盟国等と真摯に向き合い、テロとの戦いとアジア太平洋へのリバランスの戦略を共有し、実行性のある資源配分と役割分担を協議する必要がある。自信を強める中国の「東昇西降」というナラティブに対抗することも重要であり、バイデン政権が12月に予定する民主主義サミットを「民主同盟」結束の場とする必要がある。
日本は、欧米と一線を画したアフガンの民主化支援に取り組んできた。その実績を踏まえ、タリバンの恐怖政治の復活に深刻な身の危険を感じているアフガン市民や在留外国人の安全確保、テロの温床化防止や女性の人権保護に、国際社会と共同した取り組みを続ける必要がある。そして、威信を傷つけられ名実ともに疲弊したアメリカを後押しし、アメリカのインド太平洋へのリバランスを確実にするため、主導的な行動が強く求められる。
まず、アメリカのCPTPP(環太平洋パートナーシップ協定)復帰を要請し、FOIP(自由で開かれたインド太平洋)の強化を図ることだ。ASEAN諸国にテロ対策支援や経済・インフラ投資の実利を増やすことで、アメリカの信頼を回復させる。10月末のアメリカとASEANとの首脳会議ではバイデン大統領の本気度が示されねばならない。
次にQUAD(日米豪印戦略対話)の強化と拡大である。インドは、タリバン政権とパキスタン、そして両国への影響力強化を狙う中国に対する戦略を練り直していよう。QUADが対中牽制の重要な手段であることを首脳会議で再確認することが必要だ。
折しもイギリス空母が9月4日に初めて横須賀に寄港し、日米等との多国間共同訓練を実施。仏独もインド太平洋への軍の派遣を実施・計画している。このような欧州諸国の関与をQUADの枠組みに取り込むことが対中抑止に有効だ。日本は寄港地の提供や補給支援等を実施できる重要な域内国であり、英豪等との「円滑化協定」締結の促進が求められる。
日本自身の防衛力・危機対処能力の強化を
第3に、日米同盟をあらゆる分野で強化しなければならない。次期内閣は、年末に予定される2+2でガイドラインの見直し等の軍事分野のみならず、冒頭で指摘した中国の台湾への情報戦(価値観等の認知領域の戦い)や地経学的手段での日米共同・協力を具体化する必要がある。
最後に、日本自身の防衛力・危機対処能力の強化である。政府は8月23日、国際機関で働く日本人や大使館の現地スタッフを国外に退避させるため、自衛隊輸送機を派遣することを決めた。私は2003年、イラク復興支援特別措置法に基づくC-130海外派遣に空幕防衛班長として取り組んだが、当時は派遣する機体の自己防御装置(防弾板や携帯型地対空ミサイル監視用の窓)の緊急取得や機体塗装の変更、狙撃のリスクを回避する着陸方法の訓練等、泥縄式の準備に追われた。
それと比較すると、C-2要員派遣は翌8月24日未明、避難民輸送用の2機のC-130は同24日夜に出発しており、格段に速い。避難民を空港まで輸送する陸自部隊の活動(未経験)や追加派遣された政府専用機の自己防御能力等の改善余地はあるものの、自衛隊は現場経験を積んで着実に即応できる実力をつけている。
一方、政府の対応では、決断時期や情勢分析、法的根拠等の課題が改めて浮き彫りになった。中国は、4月にバイデン大統領が9月までの完全撤退を表明したことを受け、6月中旬にはアフガン情勢に関する安全保障会議を開き、「撤僑」(アフガン在住中国人の撤収)、「促和」(アフガン政府とタリバンの和平交渉を促す)、「軍演」(アフガンからテロリストの侵入を防ぐための軍事演習の実施)という具体策を決めたと言う。
この方針に基づき、7月7日には自国民保護のチャーター便を派遣、7月末までに帰国を希望する中国人の撤収はほぼ完了したと中国外交部は発表している(中国ビジネスフォーラム代表、沈才彬)。韓国も、8月26日に起きたカブール空港爆破テロ事件の前日までに、在留韓国人全員とアフガン人協力者365人を空輸、退避させている。危機では、一瞬の判断の遅れが重大な結果をもたらすことが常にある。
明確的な戦略目的が必要
日本は、在外邦人の安全確保のみならず、台湾海峡や朝鮮半島の危機、尖閣諸島防衛等のより困難な事態を想定し、政府全体の危機対処能力を平素から高めておかねばならない。自国と自国民を守る意思と能力を持つことは、アメリカのコミットメントを確実にする必要条件でもあるのだ。
戦術的な失敗は明確な戦略目的があれば決定的な痛手にはならない。逆に、戦略目的が曖昧であれば戦術的勝利も意味を失う。バイデン大統領は責任のたらい回しはしないと断言し、アフガン戦争を終結させた。その戦略目的は対中競争へのリバランスである。すでに起きてしまった撤退作戦の失敗は、対中競争という戦略目的を共有する同盟国の協力による克服が不可欠だ。日本はその先頭に立たねばならない。
(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。
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