「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API研究主幹 兼 慶應義塾大学法学部教授)。
本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。
https://toyokeizai.net/articles/-/437542
「API地経学ブリーフィング」No.60
2021年07月05日
日本と米国「ワクチン開発力」広がった根本的要因―地下鉄サリンと炭疽菌テロからの教訓
東京慈恵会医科大学教授
浦島充佳
ハーバード大の授業で取り上げられた地下鉄サリン事件
コロナワクチンの開発で諸外国に大きく後れを取った日本。すでに実用化して全世界へ供給を進めるアメリカ。その差は過去に自国だけでなく他国で起きたバイオテロや新感染症流行から何を学び、準備を整えていたかの違いにある。
「10時15分、松本サリン事件を経験した信州大医学部教授がサリン中毒患者の兆候と対処法について東京の被害者受け入れ病院にFAXを送った。極めて的確な判断だ」
これは報告書の一節ではない。日本政府は世界を震撼させた「地下鉄サリン事件」の報告書すら出していない。ハーバード大学公衆衛生大学院「災害医療」の授業中に担当講師が発したコメントである。
1995年3月20日(月)、朝のラッシュ時にオウム真理教による地下鉄サリン事件は発生した。サリンはビニール袋に入れられ、さらに新聞紙で包んであった。信者たちはこのサリン袋を手に4つの地下鉄路線に乗り込んだ。駅で降りる際に傘の先でつついて袋を破り、すぐさま駅を降りたのだ。その結果、13名が死亡し6000人が病院を受診した。
クラスで唯一の日本人であった私に「その時の様子はどうだった?」と白羽の矢が立った。私の母校であり職場の慈恵医大病院でも地下鉄日比谷線「神谷町」駅でサリンに曝露された多くの犠牲者を受け入れた経緯がある。
事件当日、救急室に最初の被害患者が運び込まれたのは8時半前後。次々と運ばれてくる患者は「呼吸が苦しい、目の前が暗い」と口々に訴えた。当時は未だ救急医学講座がなく、患者の訴えに応じて看護師が関係しそうな科の当直医を呼ぶシステムだった。朝のカンファレンスとぶつかり医師がつかまりにくいい。患者は瞬く間に救急室からあふれ出した。
9時頃、医師も外来や病棟に出て自主的に対応するようになる。当日救急当番だった外科医がリーダーとなり治療方針の統一を試みた。患者は救急室だけではなく外来の長椅子や病棟の空きベッドにも散在し主治医もない状況だったからだ。瞳孔が小さくなっているからすぐ判る。「今までの経験では説明できない何か大変なことが起こっている」と感じた当直責任医師は、躊躇なく法医学教授に助言を求めた。最初の患者が来院してから約1時間後のことである。
教授は直ちに救急室で患者を診察し「農薬やサリンなどの有機リン中毒の症状と一致します。解毒剤はPAM(ヨウ化プラリドキシム)です」と速やかに判断。その場で病院内薬局に問い合わせるとPAMは2アンプルのみ。
すぐさま全ての問屋からPAMを大量に取り寄せるよう指示が飛ぶ。そして、病院内薬局にあった2アンプルは意識障害と血圧低下の最重症者に即刻投与。まもなくPAMも大量に届き、PAMとアトロピンを用いた治療方針を記した用紙が各部署に配られた。
2000人以上を受け入れた慈恵医大で死者はゼロ
患者の数は増える一方だった。院長を対策本部長としてトリアージドクターを配し、緊急性の少ない縮瞳だけの患者は中庭の臨床講堂に運び込まれた。しかし、当時「除染」の知識をもつ医師はまだ居なかった。
一方、被害者を受け入れた慈恵以外の病院では11時頃の警察の正式発表をTVで見てサリン中毒と知った。PAMを関西などから取り寄せ、その投与は午後になった。的確な判断に基づき速やかに初動をきれた慈恵医大は2000人以上のサリン被害者を受けたにもかかわらず、院内で1人も死者を出さなかった。しかし、慈恵医大の取り組みが世に知られることはなかった。被害者のプライバシーを重視し、報道陣をシャットアウトしたからだ。
ハーバード大学のクラスでは「ボストンのショッピングモールで炭疽菌が撒かれたときの最悪のシナリオと最良のシナリオを書いてくる」という宿題が出されたこともある。当時大学院生だった私は「大げさな。まさかそんなことは起こらないだろう。ちょっと心配しすぎなんじゃないだろうか?」と感じた。2000年のことだ。
ところが翌2001年初秋、予見は現実のものとなった。9月11日のアメリカ同時多発テロに引き続き、9月から10月にかけて郵便を使った炭疽菌テロが発生したのだ。
オウム真理教は失敗に終わったがボツリヌス毒素や炭疽菌を使ったバイオテロも実行していた。アメリカは専門家を派遣するなどしてこの対岸のケースを徹底的に調査していたから炭疽菌郵便テロがアメリカ内でも発生しうることを予見できた。私はそう考える。
炭疽菌の入った手紙ははじめにメディア、次に議会に送られた。5人が死亡、ほかに17人が発症した。厳重にテープで巻かれたあやしい手紙が郵便局で発見された。郵便番号間違いで郵便局に留め置かれていたのである。上院議員宛で、中には10万人を殺すに足る量の炭疽菌が含まれていた。
アメリカ政府はもはや昔の戦争で通用した手段・作戦は、この新しい敵に対しては通用しないと悟った。だから、対テロに関わる連邦機関を統合し、国土安全保障省(DHS)が誕生した。「兵器化された大量の炭疽菌が空中散布されたらアメリカはどうなる? 天然痘ワクチンを国民全員に接種するべきか?」といったことが真剣に議論されるようになる。そして、バイオテロに対する防衛のために3つのプロジェクトを主導した。
ワクチンと治療薬の開発を加速する国家的取り組み
その中の1つ、バイオシールドは医学的対抗措置、主にはワクチンと治療薬の開発を加速するための国家的取り組みとしてはじまった。2006年、これは「アメリカ国内に公衆衛生上の緊急事態が発生することが予見されれば、必要なワクチン・医薬品などの開発に投資し、そのプロダクツを購入するための組織」として生物医学先端研究開発局(BARDA)に発展した。
さらに、2013~2016年の西アフリカでおよそ3万人の感染者と1万人の死亡者をだす過去最大規模のエボラ出血熱エピデミックが発生した。また、ジカ熱がブラジルを中心に広がったのもこの頃だ。これらのことが、アメリカ生物防衛戦略の転換点となったのである。
新興・再興感染症のアウトブレイクが世界のどこかで発生すれば、いずれアメリカにも入ってくる。そこでアメリカ政府による生物兵器防衛を強化するために、DHSを含む連邦15省庁と諜報機関との調整を改善する戦略を「2018年アメリカ生物兵器防衛戦略」を通して発表した。バイオテロに新興・再興感染症のパンデミックを加え安全保障の大きな柱の1つとしたのである。
この予見も見事に的中した。新型コロナのパンデミックである。
アメリカは2020年1月、「新型コロナに対するワクチン、治療薬、診断薬の開発、製造、配送を助け、2021年1月までに安全で効果的なワクチンを開発し、3億回分を生産し、接種を開始する」ことを目標にワープ・スピード作戦を発動した。
アメリカで主導権を握ったのはBARDAだ。国内外の企業に対してワクチンの開発・製造・流通に128億ドル(約1.4兆円)以上もの予算を投資し、通常であればワクチン開発に10年かかるところ、有言実行でおよそ1年という驚異的スピードで目標を達成したのだ。
成功に学ぶか失敗に学ぶかの差
地下鉄サリン事件から学ばなかった日本と炭疽菌テロから多くを学んだアメリカ。この違いが20年以上の時を経て新型コロナに対するワクチン開発力の差となって表われた。
日本はオウム真理教の蛮行をテロではなく「事件」、新型インフルエンザ・パンデミックを失敗ではなく「成功」、エボラ出血熱やジカ熱のエピデミックを隣の火事ではなく「対岸の火事」、新型コロナ対応を「泥縄だったけど結果オーライ」として捉えてきた。そして「喉元過ぎれば熱さを忘れる」傾向にあった。
一方、アメリカは「危機には極めて強い類似性がある」ことに気付いていた。テロやパンデミックはいつか必ず起こると仮定し、それらへの備えを安全保障の大きな柱とし、DHSやBARDAを創設するなど戦略的に国のシステムを変革してきた。
私は、ハーバード大学院でケース・メソッドという日本では耳慣れない方法で学習する機会を得た。誰かの責任を問うためではなく、似たようなケースが発生したとき、より良く対処するためのものである。だからそのほとんどが失敗事例だ。しかし、教訓に満ちている。一方、日本ではケースを扱ったとしても成功事例が多く、ここからの学びは少ない。このケースのとらえ方の差が日米の大きな違いを生んだと感じている。
(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。
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