「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API研究主幹 兼 慶應義塾大学法学部教授)。
本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。
https://toyokeizai.net/articles/-/406082
「API地経学ブリーフィング」No.37
2021年01月25日
日本人が知らない太平洋の海底めぐる深い事情 ― 日本とオーストラリア、デジタル社会での役割
アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
シニアフェロー・API地経学研究所所長・慶應義塾大学教授・慶應義塾大学サイバー文明研究センター共同センター長 村井純
光海底ケーブルの地経学的な意味
2021年1月13日、パラオ共和国コロールの大統領府分室において、パラオ海底ケーブル公社およびパラオ政府と日豪の金融機関との間でパラオ光海底ケーブルプロジェクトの署名式が行われた。
本件は昨年締結された日豪米3カ国による「インド太平洋におけるインフラ投資に関する3機関パートナーシップ」のもとで実施される最初のプロジェクトであり、在パラオ日本大使館は「自由で開かれたインド太平洋を推進する日豪米3カ国による象徴的なプロジェクトになる」と伝えている。
それに先立つ昨年7月には、RTIとNECによって、JGA(Japan Guam Australia)北ケーブル、すなわちグアムから千葉県千倉につながる海底ケーブルの完成がアナウンスされた。
すでに完成していたグアムとオーストラリアを結ぶJGA南ケーブルは、オーストラリア国立学術研究ネットワークとRTIに加えて、アメリカのグーグルが投資をして敷設された。この日本とオーストラリアを結ぶ最短距離の最新ケーブル、JGAは、デジタル時代の日本とオーストラリアの関係の新しい絆となり動脈となる。
このような日豪米の官民学による太平洋における海底ケーブルに関する活発な動きにはいくつかの地経学的な背景がある。現在まで、太平洋インターネットトラフィックの最も大きな流れはアメリカ西海岸から日本、そして、台湾沖を経由して香港、シンガポールとつながる経路である。この経路には何十本もの新旧海底ケーブルが敷設されている。
ところが、2000年以降、日本から南の部分のケーブルの切断が目立つようになった。ケーブルの切断は地震か、浅瀬であれば漁業の網や船の錨が主な原因となる。地震の頻発も事実だが、増加するこの海域の船舶の数が大きな原因と言われている。
JGA、すなわち、グアムを拠点とする日豪の新しい南北直結ケーブルは、アメリカ本土、ハワイとグアム、そして、グアムから東南アジアの東西をつなぐUS-SEA(US-South East Asia)とセットで計画されていて、上記の不安定海域を回避できる代替経路としての意味がある。
太平洋ケーブルの1つの大きな変化は香港でも発生している。香港はシンガポールと並んで重点インターネット交換拠点であり続けてきた。2019年、アメリカのフェイスブックとグーグルによるPacific Light Cable Network(PLCN)は、ロサンゼルスから香港への1万0500メートルに及ぶ直結ケーブルをほぼ完成していた。
両社によるサービス展開上の期待は大きかったが、香港情勢の急変によりアメリカの省庁をまたがる評価委員会であるTeam Telecomによって2020年6月17日に懸念が表明され、開設に待ったをかけた状態となった。2019年に開通が予定されていたRTIのグアムと香港をつなぐ新しい海底ケーブルも、突然の延期が発表され関係者を慌てさせている。
すでに述べたパラオへの日豪米の支援のほかにも、オーストラリア政府は、2018年にシドニーとパプアニューギニアやソロモン諸島を結ぶ海底ケーブル敷設事業に資金を拠出すると決め、すでに、ソロモン政府から受注済みだったファーウェイ・マリンを工事から外した。
ファーウェイ・マリンは、もともとファーウェイの一部門として海底ケーブル関連の製造と敷設を担っていたが、2019年6月、ファーウェイはファーウェイ・マリン部門を手放すと発表し、代わって、中国・江蘇省に本部を置く江蘇亨通光電(ホントン)の一部門となっている。
陸揚げ地と地域の通信事業サービスが重要
海底ケーブルそのものは、陸揚げを除くと比較的自由な産業である。ファーウェイ・マリンは、フランスのアルカテル・ルーセント、アメリカ・AT&Tのケーブル部門であったサブコム、日本のNECのトップシェアの3社グループに次ぐ、比較的短距離のケーブルでマーケットを伸ばしてきた。中東やアフリカに重心があると考えられていたが、最近は南太平洋の話題には必ず登場するようになっている。
もっとも、地経学的に重要なことは受注企業や技術そのものより、陸揚げ地と地域の通信事業サービス全体である。サイバーセキュリティーのリスクにしても、陸揚げ地と、その地のデータアクセスに関するルールとサービス、そしてそれらの国際協調性を評価する必要がある。
日本のNTTドコモは、2006年にグアムセルラーなどを完全買収し、グアム島にドコモパシフィックを設立し、インターネット、デジタルテレビなどのデジタルサービスを急速に展開している。2017年グアムを訪れた際に、案内されて驚いたのは、同社がマリアナ諸島をつなぐ海底ケーブル事業を展開させていたことである。
マリアナ諸島のような島嶼(とうしょ)部の海底ケーブルはこのように規模の小さな事業でも提供することができる。そして、地経学的にもう1つ重要なことは東京都の島嶼部海域は、500km南に位置する北マリアナ海峡島嶼部そしてグアムと排他的経済水域が接していることである。マリアナ諸島と日本は隣接している。
シドニー、日本が対地となる地経学的な意味
また、2020年7月には、チリからアジアをつなぐ長距離海底ケーブル受注の候補の中から、日本企業を含めたコンソーシアムが採択されたという報道があった。この際の競合の候補の1つは、当初、中国ファーウェイ・マリンでその陸揚げ対地は上海と香港だったと言われている。日本を含むコンソーシアムの採択が決定すれば、対地はシドニーとなり、JGAを介した日本も対地ともなる。この結末の地経学的な意味は大きい。
チリには、わが国の国立天文台のアルマ望遠鏡が標高5000メートルのアタカマ砂漠にあり、66台からなる集合型の電波望遠鏡の心臓部は日本のスーパーコンピューター技術と光ネットワーク技術が担っている。ここで生まれるデジタルデータの幹線がどこに陸揚げされ、どのようにアクセスできるのかは今後の情報技術産業の未来を左右する要素でもある。
2021年のオーストラリアでの活発な議論は、パプアニューギニア最大の電気通信会社デジセルの買収劇への政策的関与に関するものだ。デジセルは、フィジー、サモア、バヌアツ、ナウル、トンガなどの南太平洋諸島でも大きなシェアを誇り、ジャマイカに本拠地を置くモバイルサービス会社である。2020年半ばからこの地域でのサービス全体の売却を計画していると報じられた。
ここには、チャイナモバイル、ファーウェイ、ZTEを含む多くの中国の通信関連会社が興味を示している。南太平洋の島嶼域は、極めて多国籍となり、地理的にも安全保障的に重要な位置にある。この話題は電話からインターネットへと移行する通信事業そのものであり、これからの経済を担うデジタル社会に対する政策的な意味が強い。
デジセル社が旧式の技術で大規模な展開をしている点、ファーウェイ社の通信機器の大手顧客である点、それに対してオーストラリア政府が安全保障的な観点で民間資本の支援を計画している点、などを背景として政策的介入とその地政学的プレミアムという経済的な意義との間の議論が続いている。
オーストラリアと日本の新しい役割
オーストラリアと日本はタイムゾーンをほぼ共有する南北の地理的位置がある。このことはCovid-19で広く推進されたオンラインの連携業務には極めて重要となる。5時間程度の時差、これは社会の生活がリアルタイムでかみ合う限界の時間距離である。日本から見ると、アフリカ東海岸までとハワイまでがこのゾーンに入る。オーストラリアと日本は共通のタイムゾーンで同じ時間に業務と生活を共有できる新しい関係の中枢を構築しはじめている。
デジタル社会の地経学において、日豪が拓くそれぞれの新しい役割は3つある。
1つ目は、西太平洋を挟んだ南北2つの経済連携としてのマリアナ諸島を利用した東南アジア諸国とその海域、まさにインド太平洋のデータ動脈おける役割。
2つ目は、米豪の緊張する南太平洋島嶼に到来するデジタル社会への日本の地経学的な役割。
そして、3つ目として、これらのガバナンスを担当する日豪米の連携の構築に対する役割である。これらの役割の遂行には、わが国はオーストラリアと連携するためにも、デジタル社会のグローバルガバナンスの責任を遂行する体制を確立する必要がある。
(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。
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