「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一 研究主幹、慶應義塾大学法学部教授、ケンブリッジ大学ダウニング・カレッジ訪問研究員)。
本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。
https://toyokeizai.net/articles/-/475617
APIでは、国家経済安全保障戦略プロジェクトの一環として、経済安全保障戦略に関する論考をAPI地経学ブリーフィングで公表しました。経済安全保障戦略に関する論考一覧はこちらをご覧ください。
「API地経学ブリーフィング」No.83
2021年12月13日
日本のエネルギー安全保障に絶対欠かせない論点 ― 脱炭素と安定供給を軸に多様な選択肢が必要だ
アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
研究員 柴田なるみ
国家安全保障とエネルギー
10月末からグラスゴーで開かれた第26回気候変動枠組条約締約国会議(COP26)は、石炭火力発電の今後の取り扱いについて意見が割れ、2040年までの全廃を求めるイギリスや欧州諸国と、新興国・資源国などが対立する熾烈な争いの舞台となった。
日本へも強い圧力がかかる中、岸田文雄首相は石炭火力発電廃止への言及を避けたが、その背景には、日本のエネルギー安全保障の脆弱性がある。国際エネルギー機関(IEA)の定義によれば、エネルギー安全保障は「合理的な価格でエネルギーが継続的に利用できること」だが、エネルギー資源のほぼすべてを海外からの供給に依存している日本にとって、それは非常に困難な課題である。
しかしエネルギーは経済活動の根幹であり、その安定供給を死守することは国民の生命と財産を守るための最重要事項、まさに国家安全保障の要である。
それにもかかわらず、エネルギーをめぐる総合的な戦略はいまだに存在せず、エネルギー安全保障の概念は浸透していない。日本の安全保障政策の今後5~10年の中長期的基本方針を示す「国家安全保障戦略」は、岸田政権下で来年末に改定される見込みだが、例えば現行の「国家安全保障戦略」(2013年策定)において、「エネルギー」についての言及は以下のような内容である。
資源国による資源ナショナリズムの高揚や新興国によるエネルギー・鉱物資源等の獲得競争の激化等が見られる。/ロシアとの間では安全保障及びエネルギー分野を始めとするあらゆる分野で協力を進め(…)る。/湾岸諸国との間で、資源・エネルギーを中心とする関係を超えた政治・安全保障協力も含めた重層的な協力関係を構築。/エネルギー・環境問題への対応/エネルギーを含む資源の安定供給に向けた各種取組に外交的手段を積極的に活用する。
国際情勢上エネルギー資源確保が難しくなっている中、産油・ガス国であるロシアや湾岸諸国との資源外交を強化して対応するという方針は、もちろんそれ自体重要なことだが、資源が圧倒的に乏しい日本の安全保障上、このような方針のみで本当に有事に対応できるのだろうか。
また、2030年度までの温室効果ガス46%削減を表明した以上、エネルギー安全保障は気候変動対策とも表裏一体に絡めて、包括的に取り組む必要がある。化石燃料から脱炭素エネルギーへのシフトが国内外から要求される中、バランスを取りながらどのような方策で対応すべきか検討が必要だが、現行の戦略にはその論点は含まれていないようである。
新たな安全保障戦略に向けて議論が必要な今こそ、改めてエネルギー安全保障のあり方を多層的に考えなければならない。
長期的な脱炭素と目先のエネルギー危機
政府は10月、3年ごとにエネルギー政策の基本的な方向性を示す「第6次エネルギー基本計画」を閣議決定した。ここでは、再生可能エネルギーを主力電源化し、新たなエネルギーミックスのバランスを、2030年度までに再生可能エネルギー36~38%、原子力20~22%、石炭火力19%、水素・アンモニア1%とすることが定められた。
再エネについては現在の水準の2倍に引き上げることが目標とされ、再エネの主力電源化はもはや変えられない所与の長期方針となったが、そこにはリスクもある。
今年、気候変動対策を主導する欧州で電力不足が深刻化した背景には、再生可能エネルギーの発電量が不十分となり、電力需要の急増に伴いエネルギー価格が高騰したことがあった。とくに天然ガス(LNG)の価格高騰が顕著になり、天然ガスの価格支配力を持つロシアへの依存が高まる結果になった。IEAは、この欧州エネルギー危機の原因の一因に、「再エネ導入拡大」および「風力出力の減少」があったことを認めている。
この事例は日本の再エネ導入拡大にとっても、大きな教訓を与えている。風力や太陽光の出力が数週間にわたって得られなかった場合の代替供給をどう確保するか。日本では、現時点では欧州の電力危機のような混乱はないが、昨冬は、悪天候により太陽光発電比率が不安定になり、LNGの供給不足と合わせ需給逼迫の要因となった。同様の電力需給の逼迫は今後も続き、今冬の東京電力管内などの電力需給も、過去10年間で最も厳しくなる見通しを示している。
岸田政権が国内生産を支援することを表明している蓄電池や水素技術を社会実装し、電気の「在庫」を持つことが可能になれば、再エネのリスクを補うことができるが、まさに現実の電力危機が迫る中では、石炭火力の選択肢ももちろん持っておかなければならないだろう。
また、原子力は代替安定電源として切り札となる可能性を持つ。脱炭素に向けてのエネルギーシフトは非常に長期の時間と多額な投資を必要する、産業構造の大転換となる。それ自体が困難な挑戦だが、さらにその過程で目先のエネルギー安全保障を損なうことになれば、結果的に長期的な取り組みの持続性も失われてしまうことになる。
物理的にも経済的にも不安定な再エネのリスクをどのように補うか、持たざる国である日本には、可能な限り多様な選択肢を維持することが必要である。
原子力活用は可能か─EUとカナダ
原子力は、発電時にCO2を排出しない。また燃料の備蓄性が高く、少量の燃料で大きなエネルギーを生産できるため、化石燃料を持たない日本にとって、エネルギー自給率の向上に寄与できる貴重なエネルギーである。
しかし、2011年の福島原発事故以後、原子力政策は一変した。近隣の住民の生活を大きく損なったことで原子力発電への国民の信頼は失われ、原子力発電の稼働率は大きく落ち込み、戻っていない。
一方で、低炭素かつ安定的な電源を大量に供給する手段は、原子力以外にはいまだ開発されていないのが現状である。EUのフォンデアライエン委員長は、深刻な欧州電力危機に対応するため、再生可能エネルギーに加えて「安定した供給源である原子力と、(…)もちろん天然ガスも必要」とし、原子力エネルギーと天然ガスも「クリーンエネルギー」と分類する方針を表明した。EUのグリーンタクソノミーにも天然ガスと原子力が追加される可能性がある。
またカナダのブルース原子力発電所は、世界で初めて、修繕のための資金調達にグリーンボンドを活用しようとしている。発電ユニット6基を改修するための数十億ドルの費用の一部が、今後10年間にわたりグリーン投資の対象となれば、原発の資金調達がグリーン投資で賄われる世界初のケースとなりうる。原子力発電をグリーン投資の対象とするかどうかは、議論が分かれるが、原子力も再エネと同様のグリーン電源と認められることになれば、原子力への投資が加速する可能性がある。
こうした事例は、各国がエネルギーの安定供給と脱炭素のバランスを取りながら原子力を再評価しつつある証左であり、ある種の原子力回帰の兆しとも呼べる。原子力の価値を世界が冷静に再評価しつつある中、日本の原子力の未来を不透明なままにすることは、その議論に入るチャンスさえも逃すことになる。
安全性の高い次世代原子力である「小型モジュール炉(SMR)」についても、中国やロシアが国家主導で開発・導入を進めて国際的な影響力を高めているのに対し、国の原子力政策が定まらない日本ではあくまで民間主体となり、出遅れている。
日本の脱炭素とエネルギー安全保障には、当面原子力は必要であり、政府はこの問題に今こそ向き合わなければならない。低炭素と安定供給の両方を満たす原子力のエネルギー安全保障上の価値を、冷静かつ丁寧に国民に伝え続け、国民の理解を得る努力をしなければならない。
国の総力を挙げて対応せよ
エネルギー安全保障では、“More Energy, Less Carbon, Affordable Cost.”というトレードオフの関係にあるものを達成することが求められる。「持たざる国」日本は、再エネはもちろん、LNG、石炭火力、原子力、水素、蓄電池など可能な限り多くの選択肢を持ち、その中で最適なバランスを選択し、脱炭素を進めながら、経済の根幹であるエネルギーの安定供給を維持しなければならない。
現行の国家安全保障戦略の策定には外務省と防衛省が中心的に関与し、エネルギー政策を直接管轄する経済産業省がその議論に不在であったが、本来、エネルギー政策は国の根幹であり、国の総力を挙げて官民、内外一体となり戦略的に取り組まなければならない問題である(福島第一原発事故は、伝統的な縦割り行政がエネルギー安全保障に支障をきたした事例とも言える)。
「エネルギー安全保障」は「経済安全保障」および「国家安全保障」の重要な一部を担っていることを認識し、内外一体となった中長期的な戦略が求められる。
(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。
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