深まる米中対立「ウォール街」が直面している難題(大矢伸)


「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API研究主幹 兼 慶應義塾大学法学部教授)。

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/449161

「API地経学ブリーフィング」No.67

2021年08月23日

深まる米中対立「ウォール街」が直面している難題 ― 日本も無縁ではない、制裁応酬の苛烈化に注意だ

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
上席研究員 大矢伸

 

 

 

ウォール街がアメリカを作ったのではない!

「ゴールドマン・サックスのために中国の金融市場の開放を求めることは、アメリカの優先交渉事項ではない」

ジェイク・サリバン大統領補佐官(安全保障担当)が、大統領選挙前に記した言葉だ。同様のメッセージはバイデン大統領からも発せられる。「ウォール街がこの国を作ったのではない。中間層の皆さんが、この国を作ったのだ」。今年4月に上下両院合同会議でバイデン大統領がこう述べると、議場は拍手に包まれた。

トランプ政権には、ゲイリー・コーン国家経済会議(NEC)委員長、スティーブン・ムニューシン財務長官と、元ゴールドマン・サックス(GS)幹部が中枢に入った。ムニューシン財務長官は、ライトハイザーUSTR代表と共に、米中貿易交渉の中核を担った。2020年初に調印された米中の第1段階合意では、「金融サービス」の項目で、中国金融市場における外資の出資制限の緩和等が盛り込まれた。

労働者重視はトランプ政権でも見られた。大統領選で勝つには、中西部ラストベルト(錆びた製造業地帯)での勝利が必要だ。民主、共和の両党ともに製造業労働者を重視するが、バイデン政権はこの傾向を強めた。

バイデン政権には、国家経済会議のブライアン・ディ―ス委員長や、ウォーリー・アディエモ財務次官など資産運用会社ブラック・ロックの出身者はいるが、GSなどの投資銀行の幹部は限られる。証券取引委員会(SEC)委員長に就任したゲーリー・ゲンスラー氏はGS出身だが、オバマ政権時代に米商品先物取引委員会(CFTC)の委員長としてウォール街への厳しい姿勢で注目された人物だ。

アメリカの一般の人々は、グローバル化で富が集中するウォール街に厳しい眼を向ける。米中対立に直面する「ウォール街」の姿を「アメリカ金融市場」と「香港・中国金融市場」の2つに分けて考えよう。

 

米中対立とアメリカ金融市場

アメリカ投資銀行にとって、アメリカ市場での中国企業のIPOは魅力的なビジネスだ。今年前半だけで34の中国企業がニューヨークでIPOを実施、124億ドル(約1兆3500億円)を調達した。手数料収入は4.6億ドル(500億円)に及ぶ。

一方で、中国企業への監査が不十分との声があった。アメリカ公開会社会計監督委員会(PCAOB)は、アメリカ上場企業を会計監査した法人を検査する権利を持つが、中国の監査法人は中国国内法を盾にこれを拒否。アメリカ内で批判はあったが、中国企業IPOを重要なビジネス機会と捉えるウォール街の影響力で例外は継続してきた。

ところが、2020年初にナスダックに上場していたラッキン・コーヒーの不正会計が明らかとなる。深まる米中対立も後押しし、2020年12月に「外国企業説明責任法」が成立。アメリカで上場する企業は、外国政府の支配下にないことを証明するとともに、アメリカ公開会社会計監督委員会(PCAOB)が3年間検査できなければ、取引を禁止することが決まった。

また、2020年11月には、人民解放軍と関係の深い中国企業への投資を禁ずる大統領令が出され、バイデン政権もその立場を基本的に引き継いだ。対象企業には、華為技術のほか、中国移動(チャイナ・モバイル)、中国電信(チャイナ・テレコム)、中国聯通(チャイナ・ユニコム)などの大企業が含まれる。

 

中国当局もアメリカ金融市場を警戒

アメリカの対応は、アメリカで上場するならアメリカのルールに従うべき、また、中国人民解放軍の増強などアメリカに有害な資金提供をアメリカ市場が助けるべきでない、との考えに基づく。

他方、中国当局も中国企業のアメリカ上場に神経質となっている。配車アプリの滴滴出行(DiDi)は、今年6月30日にニューヨーク証券取引所に上場。その2日後に中国インターネット情報弁公室(CAC)は、滴滴の調査を行うと発表、7月4日には顧客情報管理の不備などを理由に、アプリストアから滴滴のアプリを削除するよう命じた。

株価下落で損失を被ったアメリカの投資家は滴滴のリスク情報開示が不十分であったとして訴訟を起こした。中国当局はトラック配車アプリの満幇集団(フルトラック・アライアンス)など滴滴以外も調査対象とした。さらに7月30日には共産党中央政治局会議で、アメリカ等へのデータ流出を防ぐために企業の海外上場の監督制度を整備することが打ち出された。

また、中国企業はアメリカ上場の際に、変動持分事業体(VIE)というスキームを使うことが多い。これは、ケイマン諸島などタックスヘイブンに持ち株会社を作り、そのADR(アメリカ預託証券)をアメリカに上場するものだ。中国の事業会社の株式を直接は保有せずに契約関係を通じ事業会社の損益を取り込む。中国の外為規制等の迂回が目的だ。中国当局はこれを問題視、今後VIE制度にメスを入れることも想定される。その場合、影響は甚大だ。

アメリカもこうした制度リスクを警戒、7月30日にSECのゲンスラー委員長は声明を出し、中国における海外上場の厳格化の動きに言及のうえで、中国企業のアメリカ上場に関してはVIEの制度リスクを含めて十分な情報開示が必要と警鐘を鳴らした。

 

米中対立と香港・中国金融市場

中国は、貯蓄率が高く、また富裕層も多い魅力的な市場で、アメリカ金融機関の業務拡大意欲は強い。富裕者向けの資産管理ビジネスに関してGSは中国工商銀行と、またブラック・ロックは中国建設銀行と協力協定を締結した。JPモルガンは今年8月に外資として初めて100%出資の証券会社を認められた。また、香港でも、モルガン・スタンレーは過去1年で資産を70%増やし、また、シティは人員を今年1700人増やすと発表している。

しかし、香港に関しては昨年6月末の香港国家安全維持法の制定以降、高度な自治が否定され人権侵害も横行。アメリカ政府は今年7月に香港ビジネス勧告を発出し「香港での業務遂行は、制裁を順守することに関連して、より高いリスクと不確実性に直面しているかもしれない。アメリカの制裁を順守しなければ、アメリカ法に基づき民事、刑事上のペナルティーが発生する」と警告した。

昨年7月にアメリカで成立した香港自治法には金融制裁の規定も存在する。中国大手銀行への本格制裁は、国際金融全体に飛び火しかねず、アメリカ当局も慎重と言われる。しかし、バイデン政権は人権といった価値観では妥協しないとも表明。中国も今年6月に「反外国制裁法」を制定し内政干渉の外国制裁には反撃すると警告した。相互作用の連鎖がエスカレーションを招く可能性がある。

トランプ大統領は米中対立をモノの貿易赤字の問題と捉えていた。しかし、米中対立は、モノにとどまらず、また貿易収支尻で規定できるものでもなかった。それは、サービス、技術、人の移動、価値をも含み、また、金融も絡む広範な現象であった。金融(ウォール街)は実物経済(メインストリート)にも影響する。

中国からアメリカへの資金流入が止まれば、それはアメリカの金利上昇要因の1つとなる。また、中国企業のアメリカ上場がなくなれば、それは年金の利回りを低下させる要素の1つとなる。ウォール街の利益だけ切り捨てたつもりが、影響は製造業の労働者にも及びうる。

 

広範な対立と日本の立ち位置

日本も無縁ではない。滴滴出行の株価下落(およびそれも一因とする中国株の軟化)は、株主でもあるソフトバンク・グループにもマイナスの影響を与える。新疆ウイグルの強制労働に関連して、ユニクロの綿製品がアメリカ税関で差し止められた。企業に加え金融機関も米中の間で板挟みのリスクを感じている。

日本は、アメリカと同盟関係にあり、基本的価値を共有する。最大の貿易相手である中国との関係は重要だが、「利益」のために「安全保障」や「価値」をないがしろにはできず、アメリカを含む同志国と共に原則に従って行動することが重要だ。企業の自由な利益追求を重視するアダム・スミスも「国防は富裕よりも重要」と述べている。

同時にエスカレーションの適切な管理も重要だ。金融制裁にはさまざまな形がある。政府高官などターゲットを絞った金融制裁は実害を抑えつつシグナルを発する手段だ。しかし、中国の大手金融機関への全面的なドルアクセスの禁止は、日米を含む国際金融全体を不安定化させる恐れがある。

また、中国が金融制裁のリスクを強く意識すれば、中国のドル離れをますます促し、長期的には基軸通貨としてのドルの地位にも影響を及ぼす。原則を守りつつも、適切にエスカレーションを管理することが重要であり、そのためには、日米そして同志国で緊密に連携しつつ、中国とも率直な対話を継続することが重要となろう。

 

(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

 

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