「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API研究主幹 兼 慶應義塾大学法学部教授)。
本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。
https://toyokeizai.net/articles/-/439414
「API地経学ブリーフィング」No.61
2021年07月12日
ワクチン接種でも泥縄式に終始する日本の大雑把―「結果オーライ」ではダメと学ばねばならない
アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)
上席研究員、東京大学公共政策大学院教授 鈴木一人
「泥縄」にならざるをえない背景
「泥縄だったけど、結果オーライだった」。筆者もかかわった新型コロナ対応民間臨時調査会(コロナ民間臨調)の結論では官邸スタッフの言葉として、この言葉を引用した。その意図は、結果オーライだったから万事問題なしとするのではなく、「場当たり的な判断には再現性が保証されず、常に危うさが伴う」という点に警鐘を鳴らすことであった。
にもかかわらず、ワクチンをめぐるガバナンスにおいても「泥縄式」危機管理を繰り返し、場当たり的な対応に終始した。もちろん、ワクチン開発などは一夜にしてできるものではなく、「泥縄式」で対応できるものではない。しかし、ワクチンの承認、調達、接種などで場当たり的な対応が繰り返された。われわれはまた過去の危機に学ぶことを怠ったのであろうか。
「泥縄」とは泥棒を見てから縛るための縄をなうことを意味するが、そうならないためには最初から縄をなっておけば良い。しかし、日本にはパンデミックが起きたときのために用意しておいた縄(ワクチン生産能力)はなかった。
日本は創薬国であるにもかかわらずワクチンが作れなかった理由は主に3つある。
第1に、ワクチン生産は製薬会社にとってはリスクが大きく、仮に開発しても感染が収まれば売り上げにつながらないため、ビジネスとして注力しにくいことが挙げられる。その結果、ワクチン開発のための人材も十分に育たず、開発環境や設備も不十分であった。一言でいえば日本は「ワクチン発展途上国」であった。
第2に、子宮頸がん(HPV)ワクチンをめぐる訴訟など、ワクチンの副反応の訴訟リスクがあるだけでなく、薬害エイズ問題などによって行政の側も薬事承認のプロセスが厳格になり、危機時に柔軟に対応することが難しいという背景もあった。
第3に、皮肉なことだが新型コロナの感染拡大が「結果オーライ」であったため、治験を行うのに必要な患者を集めることが難しく、開発が遅れるなかで外国で有効なワクチンが開発されたため、さらに治験が難しくなった、という背景がある。
ワクチン承認をめぐる「泥縄」
ワクチンを国内で開発することができなければ、外国から調達するしかない。しかし、その前にワクチンを薬事承認しなければ、安全に使うことはできない。欧米企業からワクチンを輸入し、接種につなげていくためにも迅速な承認が必要だったが、ここでも「泥縄式」の対応となった。
アメリカでは食品医薬品局(FDA)が緊急事態においては緊急使用許可(EUA)を出すことが可能となっており、未承認であってもパンデミックの最中は使用することができるという制度を取っている。またEUでも欧州委員会が条件付き販売承認を出し、各国の衛生当局が緊急使用承認を出している。これらは安全性や有効性を確認したうえで、残余リスクがあるとしても、接種を進めることの便益を優先する制度である。
しかし、日本にはこうした緊急使用の制度はなく、さらに言えば、国際治験にも参加していなかったため、ファイザー社が日本で2020年10月に申請した後、日本人160人への治験を課したうえで、「特例承認」という「泥縄式」の対応で丸2カ月遅れの2021年2月に許可を出したのである。
政府は2021年6月1日に「ワクチン開発・生産体制強化戦略」を閣議決定し、迅速な承認を可能にするとしているが、その目指すところは「本年中に方向性について結論を出す」ことであり、制度改革までの道のりは長い。
ワクチン調達をめぐる「泥縄」
ワクチン調達に関しては、日本は意外に早くから動いていた。2020年7月末にはファイザー社とワクチンを6000万回分供給する「基本合意」ができており、順調にいけば早い段階で調達が始まるはずであった。しかし、2020年夏の「第2波」が収まったことでワクチンの必要性の認識が薄れ、副反応による健康被害の補償などの調整が遅れたため、予防接種法の改正案が国会に提出されたのが11月となり、法改正が成立するのが12月となった結果、承認も調達も大幅に遅れた。
そこで、菅内閣は河野行政改革担当大臣に2021年1月からワクチンの調達をする任務を与え、そこから急速にワクチン調達が進み、4月中旬の菅首相訪米の際に、ファイザー社のブーラ社長と電話会談し、ワクチンの提供を念押しすることで、国内での接種に必要な回数分が確保できるようになった。
これは河野大臣の個人的な能力や政権全体の危機感を反映したものであり、EUがワクチンの輸出規制をかける中でも日本向けの輸出許可を取るなど、外交的な資源を総動員してワクチン調達を実現した結果である。しかし、これも「泥縄式」の対応であったことには変わりがない。
ワクチン接種をめぐる「泥縄」
ワクチンを承認し、調達量を確保できても、最終的に接種に至らなければ意味はない。しかし、ここでも問題は山積している。
まず、コロナ民間臨調でも扱った、国と地方自治体の間の調整問題がある。ワクチンに関しては国が調達し、地方自治体に供給するが、どのように接種を進めるかは自治体任せとなっている。特に問題になったのは公平性を重視して何の制限もなく早い者勝ちで予約を入れる方法が多くの自治体で取られ、その結果、何度電話してもつながらない、ウェブサイトがつながったと思ったら予約枠がなくなっていた、といった問題が起きた。
ここでも「泥縄式」の対応として、自衛隊が運営する大規模接種会場を東京と大阪に設置し、接種機会を増やすことで自治体の負担を減らすという方法が導入された。これを先行事例として政令指定都市も大規模接種会場を設けて予約枠を広げることにつながり、ワクチン接種が加速した。また、職域接種を可能にすることで、自治体とは異なるルートを設定し、ワクチンも自治体にはファイザー社の、職域接種にはモデルナ社のワクチンを用いることで相互に住み分ける方法がとられた。
ただ、職域接種は申請件数が想定よりも多かったことで供給体制が限界に達してしまい、ワクチン不足が起きるといった「成功しすぎた結果の問題」を抱えることとなった。
しかしながら、ワクチン接種の加速化の限界となっているのが「打ち手」の不足である。医師法では注射をすることができるのは医師や看護師に限られ、地方の医師会が協力的な自治体では接種が進む一方、すべての自治体で「打ち手」が揃う状況にはない。2021年の「骨太の方針」でワクチン接種体制を強化するための法的措置を検討する、とされているが、これが医師法の改訂につながるかどうか継続して見ていく必要がある。
「結果オーライ」だったのか
コロナ民間臨調が指摘した場当たり的な「泥縄式」の対応は、結局、パンデミック対策の切り札であるワクチンをめぐる問題でも、残念ながら繰り返された。その一因は皮肉なことに「結果オーライ」であったがゆえに、感染が桁違いに多かった欧米諸国よりもワクチンの必要性に対する意識が薄かったことにある。これは日本だけでなく比較的感染抑制に成功していた東アジア・東南アジア諸国にも共通する問題である。
しかし、日本では過去の危機管理でも「泥縄式」の対応が繰り返され、「備えのなさ」は何度も指摘されているにもかかわらず、相変わらず同じことを繰り返している。もちろん危機のすべてに備えることは困難であり、「泥縄」にならざるをえない側面はある。また、河野大臣の任命や自衛隊による大規模接種など、うまくいった「泥縄」もある。ただ、コロナ民間臨調で「学ぶことを学ぶ責任が、私たちにはある」と結んだが、その警告は顧みられず、学ぶ責任を果たしてこなかった罪は大きい。
ワクチンの接種は順調に進んでいるかのように見える。菅首相は「1日100万回」を目標にし、それは達成されている。しかし、日本に住む成人に2回接種するためには2億回の接種が必要であり、1日100万回であっても200日かかる。もし菅内閣の目標が「安心・安全な五輪の開催」であるとすれば、このペースであっても開会式どころか閉会式までに半数の接種がやっとである。
もし五輪開催を最優先課題とするなら、「泥縄式」の対応ではなく、アメリカがワープスピード作戦(OWS)を開始してワクチン開発に邁進したとき、2020年7月にファイザー社と「基本合意」ができたとき、2020年12月に欧米諸国がワクチンを承認したときに、なぜ日本もワクチン接種に向けて準備ができなかったのか。
さまざまなチャンスがあったにもかかわらず、政府も野党も厚労省も国民もパンデミックを収束させるための最適な選択をしてこなかった。特に政府には「安心・安全な五輪」を開催するために必要なことを整理し、情報を共有し、目標に到達するための戦略もなければ、それを指揮する司令塔もなかった。「泥縄式」の対応では、国家が求める結果を得ることはできず、「結果オーライ」とはならないということを、今度こそ学ぶ責任があるだろう。
(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。
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