「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API研究主幹 兼 慶應義塾大学法学部教授)。
「API地経学ブリーフィング」No.43
2021年03月08日
危機の学びを途切れさせない「結び目」としての検証
アジア・パシフィック・イニシアティブ(API) |
アジア・パシフィック・イニシアティブ(API) |
アジア・パシフィック・イニシアティブ(API) |
危機から学び、それを次の危機への備えとする。日本では、それがなかなかできない。政権が変わった。危機に対峙した担当者が異動した、または退任した。組織再編により所掌が変わった。さまざまな理由で、次こそはうまく立ち向かおう、経験を次の世代に引き継ごうといった思いは、簡単に途切れてしまう。日本が危機の学びを活かし、再び危機を起こさせない、あるいは起こっても次の危機にしっかり備えるためには、政策立案や改革のフィードバック・ループを途切れさせない「結び目」としての検証が欠かせない。
危機から学ぶことの難しさ
日本はこの10年、東日本大震災を機に発生した福島第一原発事故と、新型コロナウイルス感染症のパンデミックという国家的危機に直面してきた。独立系シンクタンクのアジア・パシフィック・イニシアティブ(API)は、2012年に「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」、2020年に「新型コロナ対応・民間臨時調査会(コロナ民間臨調)」を立ち上げ、国家的危機の「検証」に取り組んできた。
さらに福島第一原発事故の10周年を迎えるに当たり、APIは「福島原発事故10年検証委員会(第二次民間事故調)」をつくり、この10年で日本が何を学んだのかを検証する『民間事故調最終報告書』を刊行した。
検証の意義とは何か。それは、国家や組織における重大な事象、なかでも危機が生じた際、その備えや対応に関する真実を洗い出し、ベストプラクティスや課題、教訓を取りまとめ、実践的な提言とともに、よりよい国家・組織の運営につなげることにある。事故であれば、その再発を防ぐことを目指す。
国家的危機を検証して痛感するのは、危機の学びを活かすことの難しさである。
1999年の茨城県東海村でのJCO臨界事故を機に、官民の原子力災害専門家が原発保有国を視察して回り、原子力災害の危機管理に対する調査結果と提言をまとめ公表した。調査団に加わった官僚の一人は、「あの報告書の提言が生かされていれば、福島原発事故はよほど異なった展開となっただろう」と振り返ったという。
2009年には新型インフルエンザ(H1N1)パンデミックが発生した。収束後、厚労省は「今後の再流行や、将来到来することが懸念されている新興・再興感染症対策に役立てていく」ため、H1N1対策総括会議を立ち上げ、検証をおこなった。報告書は保健所の体制強化、人材育成、PCRを含めた検査体制強化などを提言した。さらに10年後、H1N1対策総括会議の主要メンバーは再結集し、改めて2009年の新型インフルと、その後10年の歩みを検証した。しかし、そうした提言の多くは政府中枢や国民の多くに届かず、棚ざらしにされた。感染症危機に対する「備え」が欠けたまま、日本はコロナ危機に対峙することになった。危機の学びは活かされなかった。
日本は本来、学びが得意だったはずである。明治維新以降、欧米から貪欲に学んだ。戦後、米国の品質管理研究のコンセプトであったPDCA(計画・実行・評価・改善)サイクルを多くの日本企業が活用した。トヨタ自動車の「カイゼン」は、ものづくりの品質や生産性を高めるための手法として世界に広まった。「カイゼン」は国際協力機構(JICA)がアフリカで広く普及させ、コンセプトとして進化を続けている。
しかし日本は、国家的危機からの学びは苦手である。太平洋戦争については戦後、幣原喜重郎内閣が立ち上げた「戦争調査会」がGHQの反対により未完に終わった。吉田茂内閣では満州事変以来の日本外交の歩みを検証した「日本外交の過誤」がまとめられたが、50年以上、対外公表されなかった。その間、主に検証を担ってきたのは民間の研究者であった。政府自身が危機の検証に取り組むことは稀である。
「霞が関」の構造や組織文化は、日本が検証から学ぶことが苦手な一因となっている。組織としての間違いをなかなか認めない無謬性や、省庁間の消極的権限争い、リスク回避傾向は、構造的な課題である。鈴木亘・学習院大学経済学部教授は次のように指摘している。「行政にとって政策評価とは非常にセンシティブなテーマであることに気づかなければならない。官僚達の生きる世界は、減点主義の終身雇用社会であるから、悪い評価が行われることが、その担当者達のキャリアに後々まで影響を与える可能性がある。(中略)したがって、なるべく政策評価は行われたくないし、行われる場合にも逃げ道のあるぼやっとしたものになる。」(「EBPMに対する温度差の意味するところ」『医療経済研究』Vol.30 No.1 2018、2018年12月14日発行)
国会においても、その行政監視は政治家や官僚の不祥事の責任追及で使われることが多く、政策評価としての機能は十分に発揮されてこなかった。2011年の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)」は憲政史上初の、立法府による国家的危機の検証となった。国会事故調が与野党共同提案により実現したことも画期的であった。しかしその後、国会が国家的危機における行政の政策を検証する、政策評価としての行政監視機能が向上してきたとは言いがたい。
民間・独立のシンクタンクだからこそできる検証
バイデン政権は、トランプ前政権の政策の検証を、あらたな政策立案の入り口に据えている。政権発足直後に発表した「COVID-19対応とパンデミックへの備えのための国家戦略」では、レビュー(review)という単語が37回も出てくる。前政権の政策へのクリティカル・レビューとしての検証を経て、新たな政策を次々と打ち出している。こうしたレビューや政策を動かしているのは、前政権時にシンクタンクに所属しながら自らの刃を研いでいた政策実務家である。
日本は、米国のように大統領が変われば政府が変わるような国ではないし、政府内外の人材の流動性も低い。政策当局者と、民間の専門家との間のリボルビング・ドアも簡単には動かない。米国から見れば、日本の行政は継続性があって組織に蓄積された記憶(institutional memory)があるように見える。にもかかわらず、政府や「霞が関」で危機に立ち向かうべき組織や人材は、政権交代や人事異動、退任によって、次々と変わっていってしまう。学びと備えが途切れてしまうのである。だからこそ、日本が国家的危機から学び次の危機に備えるためには、米国以上に、単なる非難や批判では意味がない。ファクトとデータ、エビデンスに基づいて検証を実施し、危機から学ぶことは、日本においてこそ必要である。
ここに民間・独立のシンクタンクが果たしうる役割がある。政・官・民・学の多種多様な専門家で検証チームを立ち上げ、政策当事者と向き合って検証を実施し、学びを引き出し、次の危機への「備え」の構えを崩させないようにする役割である。
これまでAPIは「真実、独立、世界」のモットーを掲げ、「真実なくして検証なし、検証なくして提案なし」の心構えを大切にしてきた。APIが重視したのは、直接の当事者の話をしっかり、丁寧に聞くことである。善玉・悪玉の構図を描くのではなく、当事者意識をもって、真実に迫っていく。できるだけ多くの多角的な事実に基づき、その「学び」を整理する。
危機管理の担当者は、その危機がどのような性質か理解しようと必死である。命を削り危機に立ち向かう。しかし危機はつねに形を変えるし、角度によってまったく違う見え方をする。官邸から、あるいは現場からは、そう見えていたのか。そうした気づきを当事者のみならず、広く一般市民に伝えるのも、シンクタンクによる検証の重要な役割のひとつである。
ただし、たとえシンクタンクがそのような真摯な姿勢で臨んだとしても、当事者の協力を得られるとは限らない。コロナ民間臨調の検証においては、この危機の経験を後任や次の危機のために残して欲しいと、名前を出さないバックグランド・ブリーフィングの形で多くの政策当局者に証言を託していただいた。
学ぶのは難しい。だからこそ、危機から学び、それを次の危機への備えとするためには、検証という営みが欠かせない。検証を行う側が、緊張感を持って真実に迫り、事実に即した緻密な作業を積み重ね政府との信頼関係を構築してこそ、学びと備えのフィードバック・ループは可能になる。しかしそれは、簡単に途切れやすい。民間・独立のシンクタンクによる「検証」は、危機の学びを途切れさせない「結び目」としての役割を果たす。福島第一原発事故の直後には、国会も政府も民間も検証を行った。そのうち民間事故調を立ち上げたAPIは10年後、ふたたび検証に取り組み『民間事故調最終報告書』を刊行した。感染症危機については政府もH1N1対策総括会議の検証の10年後、再検証に取り組んだ。その学びは十分に活かされなかったが、再検証の取組そのものは評価されるべきである。国会、政府にかかわらず、検証を実施して10年後には再検証を実施することを原則としてはどうか。APIも引き続き、検証に取り組んでいきたい。
(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。
最新の論考や研究活動について配信しています