日本が「デジタル敗戦」から脱するのに必要な策(向山淳)


「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API研究主幹 兼 慶應義塾大学法学部教授)。

本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。

https://toyokeizai.net/articles/-/385580

   

「API地経学ブリーフィング」No.26

2020年11月02日

日本が「デジタル敗戦」から脱するのに必要な策 ― 国家サイバー・パワーの中核機能をつくれ

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)主任研究員 向山淳

 

 

 

「デジタル敗戦」の現実

菅政権の目玉政策の1つがデジタル庁の設立だ。10万円給付の遅延や手書きでファックスを使うコロナ発生届など、新型コロナ危機で政府のデジタル活用の遅れが露呈した。

光ファイバー網や携帯電話通信網などの通信インフラは良質であるにもかかわらず、利用者起点での利活用が進まなかった状況について、平井卓也デジタル改革相は幾度となく「デジタル敗戦」という強い言葉で語っている。

コロナ危機は、政府が過去に幾度も掲げながらも20年間遅々として進まなかった政府のデジタル戦略を一気に進める、今までにない好機になっている。外に目を向けると、世界はすでに「国家サイバー・パワー」を巡る競争を繰り広げている只中だ。日本が世界のサイバーという競争空間の中でも「敗戦」となるか、今その岐路に立っている。

地政学的な課題を解決するために経済を武器として捉える場合、先端技術を習得すること、また次世代の中心産業の国際基準を掌握することは大きな戦略の1つだ。サイバー空間は、そのような民間の力も総動員した国家間競争の主戦場の1つになっている。

過去を振り返れば、世界はつねに国家のパワー・バランスによって秩序を形成し、アルフレッド・マハンが帝国主義の時代の海軍力について提唱したシー・パワー、冷戦時代を規定した核戦力(ニュークリア・パワー)、冷戦後はジョセフ・ナイが提唱したソフト・パワーなど、時代を形作るパワーは変遷してきた。
いま、「国々の興亡」を決するのは国家サイバー・パワーになりつつある。地経学の時代、サイバー空間がパワー・ゲームの中心に躍り出てきた。そして、それがまた地経学のパワー・ゲームを激化させている。

2020年9月にハーバード大学ベルファー・センターは、国家のサイバー・パワーを測る指標「National Cyber Power Index 2020」を発表した。1位アメリカ、2位中国と続くなか、日本は9位とイギリス、フランス、ドイツなどの欧州勢にも後塵を拝している。

中国の進める「デジタル・シルク・ロード」(DSR)は、一帯一路構想の中でも重要な位置を占める。DSRでは、当初掲げていた5Gや光ファイバーケーブルなどのネットワーク機器やインフラ投資のみならず、データや研究施設、スマートシティ、大規模イー・コマース、スマホ決済などさまざまな分野で2013年以降170億ドル(1.8兆円)規模の投資が実行された。

これらの取り組みは中国が「サイバー強国(网络强国)」としてリーダーシップを発揮する国際戦略であるとともに、中国企業の成長戦略にも直結している。中国ほど政経一体的に運用できなかったとしても、日本が国を挙げてデジタル化を推進するにあたって、それをどう国家のパワーにしていくのか、国際的な文脈の中でどのようなポジショニングを取っていくのかという視点が欠かせない。

 

サイバー・パワーにおけるセキュリティーの観点

National Cyber Power Indexの調査チームは、各国はサイバーという手段を使って以下の7つの国家的目的を追求しているとして、それらを指標化して、包括的な国家のサイバー・パワーを評価している。

1. 国内のサーベイランス・モニタリング
(Surveilling and Monitoring Domestic Groups)
2. 国家のサイバー防衛の増強
(Strengthening and Enhancing National Cyber Defenses)
3. 情報環境のコントロールや操作
(Controlling and Manipulating the Information Environment)
4. 国家安全保障のための海外のインテリジェンス収集
(Foreign Intelligence Collection for National Security)
5. 商業的な利益や国内産業の育成
(Commercial Gain or Enhancing Domestic Industry Growth)
6. 敵対国のインフラ等の破壊や無力化
(Destroying or Disabling an Adversary’s Infrastructure and Capabilities)
7. 国際的なサイバー規範や技術基準などの定義づけ
(Defining International Cyber Norms and Technical Standards)

ここで挙げられている項目は、それぞれがサイバー空間で国際的な主導権を持っていくために重要な事項である。とりわけ、経済・社会のデジタル化、その先のデジタル・トランスフォーメーションを強力に推し進めるためには、すべてがつながるうえで必要となる「守り」、即ちセキュリティーへの対処は切り離せない。

さらに言えば、昨今のサイバーセキュリティーはインターネット上の攻撃から企業や経済を守るだけではなく、重要施設などインフラへの攻撃など国家防衛にかかわるものであり、そして2016年のアメリカ大統領選挙へのロシアによる介入の試みなどからもわかるように、その範囲が民主主義など社会そのものを守ることまで拡大している。

日本にとっても他人事ではない。イギリス外務省によれば、ロシアの軍参謀本部情報総局が今年開催予定だった東京オリンピックの妨害を試みていたとされる。コロナ禍のテレワークシフトによりサイバー攻撃が倍増したこと、また、ワクチン開発の研究情報を狙った攻撃なども記憶に新しい。

 

デジタル庁はサイバー空間の司令塔へ

日本では、議員立法により2014年に成立したサイバーセキュリティ基本法が関連政策の基礎となっている。2016年には内閣サイバーセキュリティセンタ(NISC)の強化を含む改正、2018年にはオリパラの開催も見据えて官民一体としての情報連携を行うためのサイバーセキュリティ協議会を整備する改正も行われた。

しかしながら、国家サイバー・パワーの指標でも、日本はとくにインテリジェンス収集などの評価が低く、インシデントの報告義務を定める法律整備や、情報の集約による適切な検知、分析、判断、対処ができる体制を確立できていない状況だ。

日本政府のサイバーセキュリティーの中心的役割を担うNISCは政府・政府関係機関に対する対応のみをそのミッションとしており、民間を含む社会全体のサイバーセキュリティーに対して国が主導的な役割を担う形になっておらず、民間の自主的な努力に任せる形となっている。

また、総合調整が主な役割であるため、各省庁の所管のインフラ等でインシデントが生じても縦割りを配した情報窓口の集約や、全体への注意喚起が独自では行えない。行政サービスや攻めのデジタル化部分のみならず、サイバーセキュリティーにおいても縦割りを排する組織にしない限り、デジタル庁の司令塔機能は不十分になる可能性がある。

また、デジタル全体での課題と同様に、サイバーセキュリティーにおける専門人材の不足も深刻だ。プロフェッショナルな世界で各国とコミュニケーションできる当該分野の専門家が継続して雇用され、組織に知見が継続して蓄積されるような体制をつくり、専門人材を育成していく必要がある。

自己への攻撃を防衛する役割を担う自衛隊・防衛省と、サイバー犯罪を取り締まる警察庁との協力をしながら、社会全体のサイバーセキュリティーの司令塔となる機能がデジタル庁に求められる。

 

「国力以上の外交力は発揮できない」

まずは「デジタル敗戦」の要因を分析し、狭義のデジタル・ガバメントで国民が利便性を感じることのできるようなデジタル・サービスを実現することが第1のステップである。自国民から行政サービスへの評価・信頼を得ないことには、その先には進めない。

ただ同時に、サイバー空間はグローバル空間であることを忘れてはならない。どのようなデジタル・トランスフォーメーションを進めようが、否応なしにそれは世界のサイバー・パワー・ゲームにおける熾烈な競争という地経学的な挑戦に応えなくてはならない。日本の政府には、国家サイバー・パワーという21世紀の最も死活的な国力を育成し、それを行使し、それを防衛する中核的統合機能がどこにもない。

ケネディ大統領はかつて「どの国も国力以上の外交力を発揮することはできない」と記したが、国家サイバー・パワー以上のサイバーセキュリティーの態勢を構築することはできないことを知らなければならない。

 

(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。

 

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