「API地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:細谷雄一API研究主幹 兼 慶應義塾大学法学部教授)。
本稿は、東洋経済オンラインにも掲載されています。
https://toyokeizai.net/articles/-/408420
「API地経学ブリーフィング」No.38
2021年02月01日
日本も無関係じゃない「中豪関係悪化」の波紋 ― 「相互依存の罠」から抜け出すために必要な知恵
同志社大学法学部教授
寺田貴
仏独関係に比類しうる日豪関係
ブレグジットで揺れる欧州だが、これまでの地域統合の深化が仏独のパートナーシップに拠ることはよく知られている。2度の世界大戦で敵国として戦い、多くの犠牲者を出した仏独は、欧州の恒久平和という長期的ビジョンを共有し、欧州統合をパートナーとして導いてきた。
では日本が位置するアジア太平洋はどうだろうか。地域統合の歴史も浅く、深化も劣る同地域だが、欧州の仏独パートナーシップに比類しうるのは、同様に戦火を交えながらもFTA(自由貿易協定)や防衛協定を締結し、「特別な戦略的パートナーシップ」と称されるまで深い関係を構築するに至った日本とオーストラリアのそれである。
古くはアジア太平洋圏構想の三木武夫(佐藤2次内閣外相)や、環太平洋連帯構想の大平正芳首相がその構想推進において連携相手としてオーストラリアを選び、1989年に設立されたAPEC(アジア太平洋経済協力)も、日豪が緊密に情報のやり取りをしながら設立に向けて共闘している。
東ティモール独立問題などASEAN諸国との関係維持に苦慮したハワード保守政権(1996〜2007年)の時には、小泉・安倍(1期目)政権がASEANプラス6という「拡大」東アジア地域概念を創造、オーストラリアを東アジアの国として参画させる礎を築き、現在も続くEAS(東アジアサミット)やRCEP(地域的な包括的経済連携)での両国の連携を可能にしている。
最近ではアメリカ・トランプ政権が脱退したTPP(環太平洋パートナーシップ協定)を日本が外交努力でCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定)として復活させる際、オーストラリアは一貫してその姿勢を支え続けた。民主主義や法の支配などの価値観を重視、貿易補完性を持ち、同盟国として強固な対米関係を維持し、そしてアジアの安定と繁栄に最大の外交的利益を見いだす日本にとって、これらをすべて共有する国はオーストラリアしかなく、半世紀にもわたる両国のパートナーシップがなければ、域内の安定と繁栄を目指した今日のアジア太平洋地域アーキテクチャーの進展は果たしえなかったであろう。
日本にとってかけがえのない外交パートナーであるオーストラリアが現在、中国市場から主要産品が締め出されるなど貿易紛争にさいなまれ、両国関係が急速に悪化している。発端は、新型コロナウイルスの拡大後の2020年4月23日、モリソン首相(Scott Morrison)による「(武漢で)何が起きたのか、 独立した調査が必要」との発言が、世界規模での訴訟に拡大することを懸念した中国の激しい反発を呼んだことによる。
中国政府は関係各社に輸入制限のブラックリストを伝達し、そこにはオーストラリアからの石炭や大麦、 銅鉱石・銅精鉱(コンセントレート)、砂糖、木材、ワイン、ロブスター等、少なくとも7品目が入っており、2019-20年におけるオーストラリアの輸出全体(サービスを除く)の約7%、271.5億豪ドル(約2兆円)に相当する。
中国の「相互依存の罠」と4割の衝撃
例えば2019年12月に11万トン強あったオートラリア産銅コンセントレートの輸入は、1年後にはゼロとなっている。11月も約21トンの豪産活ロブスターが上海の空港で足止め状態となり、以降、中国への輸出をすべて止めざるを得なくなっている。中国がオーストラリア経済にこれほどまでの打撃をしかも短期間に与えることができたその要因は、現在4割を超えるまでに至ったオーストラリアの中国市場に対する輸出依存度の高さにある。
オーストラリアは日本とは政治・外交分野でのパートナーシップを丁寧に育んできた一方、この10年の経済成長の糧を急速に拡大する中国市場に求めてきた。中国とは民主主義や法の支配などの価値観を共有せず、政治・外交的立場の違いが顕在化しやすいオーストラリア、そして日本のような国は、中国が仕掛ける「相互依存の罠」のターゲットになりやすい。
「国際的なサプライチェーンをわが国に依存させ、供給の断絶によって相手に報復や威嚇できる能力を身につけなければならない」と習近平国家主席が述べたように、世界130カ国以上の国々にとって最大の貿易相手国となった今日、中国は自国の政治的・戦略的利益を実現するために、その甚大な経済力を駆使し、影響力を行使できる立場にある。
このため、貿易と援助提供を通じてますます深化する中国とアジア太平洋諸国の経済相互依存関係は、中国の国益実現のための「環境」を作り出していることを意味し、中国に経済的に依存している国々にとって、同国の政治、外交姿勢を批判することは、その経済依存を減じ、威嚇する処置を取ることを厭わない中国に対しては困難になる。
図1はオーストラリアが急速に中国市場への依存を高めたことを示している。そのきっかけは2008年のリーマンショックであった。中国が実施した4兆元(当時のレートで約60兆円)の景気刺激費の多くは国内のインフラ整備に使われ、その結果、資源需要が大幅に高まり、2010年度鉱物資源のオーストラリアの輸出額は約1700億豪ドル(約14兆円)と前年比約30%の増加、この時点でオーストラリアの全輸出の25%が中国向けとなっていた。
図1 オーストラリアの輸出国トップ4(左軸%は全体に占める輸出シェア)(注)2020年は1-11月までの平均値(出所)Australian Bureau of Statistics
これ以降、オーストラリアの中国市場への依存が強まる中、中国はオーストラリアを自らの経済外交を支えるパートナーへと変貌させる。オーストラリアは2015年3月に中国が進めるアジアインフラ投資銀行(AIIB)への加盟を決定、習主席が参加した同年11月のブリスベンG20では中豪関係は「包括的戦略パートナーシップ(Comprehensive Strategic Partnership)」に引き上げられ、そして2国間FTAを同年12月に発効している。
FTAには完全オーストラリア資本による中国医療サービス市場への投資自由化など、中国としては異例の対応をオーストラリアのために行っている。日米はAIIBに不参加を決定し、中国FTAの交渉もせず、市場経済国としての認定もしていないなど、オーストラリアの中国傾斜が浮き彫りになる。
中国の政治的意図
さらにこれらの動きはすべて、対中関係をとくに重視してきた労働党政権時(2007〜13年)ではなく、安倍政権と防衛・安保分野で関係を深めたアボット保守政権時になされたことは、中国の意図を考えるうえで重要である。中国からすれば、アメリカの同盟国としてハブアンドスポーク体制の一角を占めている点にこそ、オーストラリアに対して相互依存を利用して影響力を行使する価値があり、具体的には、南シナ海問題でオーストラリアの関与を抑えることに、オーストラリアとのパートナーシップを進めた政治的意図があったと言えよう。
しかしオーストラリアは共通の価値観、とくに法の支配の放棄をしてまで中国の立場を支持することはしなかった。2016年7月、国際仲裁裁判所が南シナ海で中国の主張する領海線を無効とした判決に対して日米と歩調を合わせ、中国に同判決を尊重するよう求めた。
ここから、それまで順調に推移してきた中豪関係が不安定化し始める。共産党中央委員会の実質的な機関紙である『環球時報』の「自由貿易協定を結ぶ中国は最大の貿易国なのに、南シナ海をかき乱すような行動は驚きだ……オーストラリア軍など取るに足りない。張り子のトラならぬ張り子のネコだ」といった威圧的な社説に中国のいら立ちが読み取れよう。
2018年8月、アメリカの決断を受ける形で次世代通信規格「5G」通信網からの中国企業排除をターンブル(Turnbull)政権が決断したことで、さらに関係が冷え込む。この決断に主導的役割を果たしたのが、同政権で内務大臣を務めていたモリソン現首相であった。先述のコロナ独立調査の発言をしたモリソン首相だが、この時からすでに中国では要注意人物としてマークされていた可能性が高い。
ただ、中国も資源輸入ではオーストラリアに大きく依存しており、相互依存の罠はオーストラリアのような資源大国には諸刃の剣でもある。例えば中国は鉄鉱石需要の8割超を輸入しているが、オーストラリア産が全体の65%を占める。オーストラリア内には、中国への対抗措置として鉄鉱石に輸出関税をかけるなどの対抗措置を訴える声もあり、『環球時報』がこの可能性を指摘するなど、中国が気に気を揉んでいることは、これまでの強硬路線に変化を起こさせることにつながるのかが注目される。
しかし、この報復措置はたとえWTOが認定したとしても、対中関係をさらに悪化させ、中国市場を長期的に失うことにつながりかねないことから避けねばならない。豪州は2020年12月、豪産大麦へ中国が一方的に80%の関税を課したのは不当として、WTOへの提訴に踏みきり、2国間協議を要求した。ところが事態は進展しておらず、むしろこれにより紛争の長期化を懸念する声も多い。中国依存度を低減するのであれば、短期的には20年発効のインドネシアとのFTAや昨年6月のモディ・モリソン会談より交渉に向けて動き始めたインドとのFTA、そしてCPTPP加盟国の拡大など、貿易転換効果が大きい巨大市場とのFTAを使った貿易の多角化が有効である。
中期的には、自由で開かれたインド太平洋ビジョン(FOIP)の通商分野での具現化であり、とくに自由化度が高く経済ルール設定機能を保持するCPTPPのさらなる拡大・充実である。2020年11月20日のAPEC首脳会議にて習主席が「TPP加入を積極検討」を表明、世界がその真意と可能性を論じ始めたが、オーストラリアにとっては罠から抜け出す突破口につながるかもしれない。
自らの要求を中国に突きつける機会にも
TPPへの参加希望国はまず既存加盟国と2国間の事前交渉を持つことになるが、今回不当にかけられた関税の取り下げなど、オーストラリアにとっては自らの要求を直接中国に突きつける機会でもある。もしそれらが拒否されれば、中国の参加に対して反対を合法的に表明すればよい。
その際、日本はWTOの法の順守という共有する価値観の立場から、オーストラリアの要求や決定を支持するのが望ましい。CPTPPにはソースコード開示禁止や国有企業の透明性確保など「自由」や「開放」を求める条項が多数含まれており、FOIP実現に向けた基幹制度となりうる。中国主導と言われるRCEPにはこのような条項は含まれていない。
中国が支持しないFOIPの実現を外交目標として掲げるのであれば、中国が仕掛ける相互依存の罠を突き破る剣の役割を果たしうるCPTPPの拡大とルールのさらなる充実化は、オーストラリアはもちろん、2010年にレアアースで同様の扱いを受け、今も約6割を中国産に依存する日本にとっても有効な外交ツールとなりうる。そして、対中影響力の効果を最大限に引き上げるため、バイデン・アメリカ政権のCPTPP復帰は不可欠である。最初に欧州統合の仏独と比類しうると書いた日豪「経済同盟」の真価はまさにアメリカをTPPに戻せるかどうかにおいて問われている。
(おことわり)
API地経学ブリーフィングに記された内容や意見は、著者の個人的見解であり、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)やAPI地経学研究所等、著者の所属する組織の公式見解を必ずしも示すものではないことをご留意ください。
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