2020年7月8日
国際政治論壇レビュー(2020年7月)
アジア・パシフィック・イニシアティブ(API) 上席研究員・慶應義塾大学法学部教授 細谷雄一
アジア・パシフィック・イニシアティブ(API) リサーチ・アシスタント 松田拓也
【概観】
米中対立が熾烈化する国際情勢
COVID-19の感染者数が急増し国際秩序が大きく動揺するなかで、米中対立がよりいっそう熾烈化している。それは、相当程度に深刻なレベルに達している。
グローバルなパンデミックには、グローバルな国際協調が不可欠である。2009年に新型インフルエンザの感染が拡大した際には、アメリカのバラク・オバマ大統領と中国の胡錦濤総書記は迅速に国際的な連携の必要を説き、国連やWHOを通じた国際協調により感染拡大を一定程度抑制することを成功させた。それとは対照的に、現在では米中関係で連携と結束を示す機運が見られない。とりわけトランプ米大統領は自国中心主義的な対外姿勢をむしろ強めており、WHOからの脱退も宣言し、そのことが主要な国際組織を通じた協調が大きく後退する要因ともなっている。
このようにして、コロナ危機はアメリカの世界でのリーダーシップとその役割を見直さねばならないような転機となりつつある。それゆえ、国際論壇でもそのような国際秩序の行方、アメリカの役割、そして中国の影響力拡大を問う論考が数多く見られた。
以下では、そのような論考の中から、とりわけ国際的に注目を集めているものに限定して紹介していきたい。
ポストコロナの世界秩序
はたして、ポストコロナの世界秩序はどのようなものになるのであろうか。とりわけ注目すべきは、米中関係の今後を検討した論考が数多く見られることである。
今後の世界秩序が、米中関係によって大きく左右される点についてはおおよそ共通の見解が見られる。まず、オバマ政権での国務次官補として東アジアを担当したカート・キャンベルは、ラッシュ・ドーシとの共著論文のなかで、英米の力の関係が逆転した1956年のスエズ危機の歴史的事例をアナロジーとして、コロナ危機の最中に中国が積極的に国際公共財を提供する姿勢を示すことでアメリカのリーダーシップに対抗し、場合によっては両国の力関係が大きく逆転するきっかけとなり得ると警鐘を鳴らす(1-①)。これは、民主党政権が成立した際には、アメリカの世界的な指導力を再建する必要があると説くマニフェストともいえる。
クーリーとネクソンの共著論文は、コロナ危機によってアメリカなどの自由民主主義体制の諸国がこれまで構築してきた国際秩序が崩れて、「国際公共財の管理」そのものが大国間競合の舞台となっている実態が露わになったことに注目する(1-③)。これはまた、アメリカの覇権に支えられた秩序が終焉を迎えていることを説く論考でもある。他方で、マコーミック、ルフティッグ、カニンガムによる共著論文は、国力の源泉が経済的強靭性であることを指摘して、アメリカの国家戦略における経済の重要性を改めて確認することで注目を集めた(1-⑤)。
アメリカの対外政策
このようにポストコロナの世界秩序が米中関係の動向に大きな影響を受けているなかで、アメリカの国際的な地位や、その対外政策が今後どのように変容していくかを論じた論考が数多く見られた。
冷戦後のアメリカの介入主義的な対外政策に批判的で、より抑制的な政策の必要を主張するのは、ハーバード大学教授のスティーブン・ウォルトである(2-⑤)。このような主張は、学術的な言論空間のみならず、一般論壇でも存在感を高まっており、現実の政治にも浸透していく可能性がある。換言すれば、アメリカの国力の限界からも、対外関与を無限に拡大することへの強い抵抗が幅広く見られる。
アメリカの対外政策に関する論考は、従来のような積極的なアメリカの対外関与を求める論考と、むしろより抑制的な対外政策、あるいは対外関与からの撤退を求める論考と、その主張が大きく分かれている。アメリカの軍事的優位性の減退を懸念する論考も注目を集めた(2-③)。
他方で、コロナ危機はこれまでにもまして、アメリカの対外関与において軍事力が果たす役割を見直すことを求める気運が高まっている。例えば、経済安全保障や地経学への関心が高まる中で、ゲーツ元国防長官は過度な軍事力への依存に警鐘を鳴らした(2-①)。これは、軍事力以外の手段を用いてアメリカが影響力を確保することを説くものでもある。
中国は次の世界のリーダーになり得るのか
それでは、アメリカの優越的な国際的地位を脅かす中国は、今後アメリカに代わって世界のリーダーとなるのであろうか。
外交評論家のウォルター・ラッセル・ミードや、国際政治学者のマシュー・クローニングは、コロナ危機はむしろ中国の脆弱性を露呈させたと主張し、民主主義国家の優位性を強調した(3-①、3-⑩)。2月半ば頃までは、比較的中国のコロナ対策、さらには権威主義体制の迅速な対応に対して、比較的高い評価が見られた。しかしながら、それ以降はむしろ、中国の国内問題の深刻化や、景気の後退の長期的な影響に対して、悲観的な論調が多く見られるようになった。
他方、アメリカの戦略史が専門のハル・ブランズは、中国がこれを好機として、自由で開かれた国際秩序を弱体化させる方向へと動いていくことを予測する(3-②)。事実として、米民主党系の安全保障の専門家で元国防次官補のフローノイの論文が示すように、コロナ禍のなかでむしろ西太平洋における中国の海洋軍事行動は活発化し、膨張主義的な行動が顕著となった(3-⑧)。フローノイは、バイデン政権が成立した場合は、高い地位で政権入りすることが想定されている。さらに、中国の海洋戦略に詳しいトシ・ヨシハラは、現在、日中間での海軍力のパワー・バランスが崩れつつある厳しい現実を明らかにし、その論考は注目を集めた(3-⑤)。中国の海軍力が確実に増強されている現実を、直視せねばならない。それはまた、尖閣諸島の問題を内包する東シナ海において、今後より一層顕著となるであろう。
米中間の大国間競合はコロナ危機以前から注目されていたが、そのような動きが加速して、よりいっそう対立の側面が色濃くなったことで、世界秩序がよりいっそう不安定で不透明になりつつある。最近の国際論壇でもそのような現実を反映した論考が数多く見られたが、依然として米中間のパワー・バランスの今後の見通しについては、見解が大きく分かれた状況となっている。現段階では、アメリカの指導力の終焉を論じるのも、中国が世界秩序を管理する時代が到来すると論じるのも、時期尚早なのであろう。
【主な論文・記事】
1.ポストコロナの世界秩序
① | Kurt M. Campbell and Rush Doshi, “The Coronavirus Could Reshape Global Or-der: China Is Manoeuvering for International Leadership as the United States Falters”, Foreign Affairs, March 18, 2020. |
② | Kyle M. Lascurettes, “Orders of Exclusion: Great Powers and the Strategic Sources of Foundational Rules in International Relations,” The Ambassador’s Brief, June 10, 2020. (Kyle M. Lascurettes, Orders of Exclusion: Great Powers and the Strategic Source of Foundational Rules in International Relations, Ox-ford: Oxford University Press, 2020の抜粋紹介記事) |
③ | Alexander Cooley and Daniel Nexon,”How Hegemony Ends: The Unraveling of American Power” Foreign Affairs, July/August, 2020. (両者の近著, Exit from He-gemony: The Unraveling of the American Global Order, Oxford: Oxford University Press, 2020の抜粋記事) |
④ | Mira Rapp-Hooper, “China, America, and The International Order After the Pan-demic”, War on the Rocks, March 24, 2020. |
⑤ | David H. McCormick, Charles E. Luftig, James M. Cunningham, “Economic Might, National Security, and the Future of American Statecraft”, Texas National Security Review, May 6, 2020. |
⑥ | John Allen, “The History of COVID-19 Will be Written by the Victors”, Foreign Policy, March 20, 2020. |
⑦ | Thomas J. Christensen, “A Modern Tragedy? COVID-19 and U.S.-China Rela-tions”, Brookings Institution, May 2020. |
⑧ | Nathan Packard and Benjamin Jensen, “Washington Needs a Bold Rethink of its China Strategy,” War On The Rocks, June 10, 2020. |
⑨ | Joseph S. Nye Jr., “No, the Coronavirus Will Not Change the Global Order”, For-eign Policy, April 16, 2020. |
⑩ | Kyle Harper, “The Coronavirus Is Accelerating History Past the Breaking Point”, Foreign Policy, April 6, 2020. |
2.アメリカの対外政策
① | Robert Gates, “The Overmilitarization of American Foreign Policy :The United States Must Recover the Full Range of Its Power”, Foreign Affairs, July/August, 2020. |
② | Kori Schake, “The United States Has Failed the Leadership Test”, Foreign Policy, March 20, 2020. |
③ | David Ignatius, “Think we have military primacy over China? Think again.”, The Washington Post, May 13, 2020. ( Christian Brose, The Kill Chain: Defending America in the Future of High-Tech Warfare, New York: Hachette Books, 2020を紹介) |
④ | Mira Rapp-Hooper, “Saving America’s Alliances: The United States Still Needs the System That Put It on Top”, Foreign Affairs, March/April, 2020. |
⑤ | Stephen M. Walt, “The United States Forgot Its Strategy for Winning Cold Wars: The plan that worked to defeat the Soviet Union can work today against China—it’s just not what you think.” Foreign Policy, May 5, 2020. |
⑥ | Joseph S. Nye, “What Is a Moral Foreign Policy?”, Texas National Security Re-view, 3:1,2019. |
⑦ | Joseph S. Nye, “American Power Will Need a New Strategy”, Foreign Policy, March 20,2020. |
⑧ | Stephen M. Walt, “The Death of American Competence”, Foreign Policy, March 23,2020. |
⑨ | Brands, Hal; Feaver, Peter and Inboden, William (2020), “In Defense of the Blob: America’s Foreign Policy Establishment Is the Solution, Not the Problem”, Foreign Affairs, April 29,2020. |
⑩ | Stephen Wertheim, “The Only Way to End ‘Endless War’ : First, America has to give up its pursuit of global dominance.” The New York Times, September 14, 2019. |
3.中国は次の世界のリーダーになり得るのか
① | Walter Russel Mead, “China Is the Real Sick Man of Asia”, Wall Street Journal, Feb 3, 2020. |
② | Hal Brands, “Coronavirus Is China’s Chance to Weaken the Liberal Order”, Bloomberg, March 17, 2020. |
③ | Minxin Pei, “China’s Coming Upheaval: Competition, the Coronavirus, and the Weakening of Xi Jinping”, Foreign Affairs, April 3, 2020. |
④ | H. R. McMaster, “How China Sees the World and How We See China,” The At-lantic, May 2020. |
⑤ | Toshi Yoshihara, “The Dragon Against the Sun: Chinese Views of Japanese Sea power”,Center for Strategic and Budgetary Assessment (CSBA), 2020. |
⑥ | Daniel S. Markey, “China’s Western Horizon: Beijing and the New Geopolitics of Eurasia”, The Ambassador’s Brief, April 25, 2020. (Daniel S. Markey, China’s Western Horizon: Beijing and the New Geopolitics of Eurasia, Oxford: Oxford University Press, 2020の抜粋紹介記事) |
⑦ | Ali Wyne, “Why China and the U.S. can’t cooperate to fight coronavirus: These new rifts have begun to emerge” The Washington Post, March 26, 2020. |
⑧ | Michèle A. Flournoy, “How to Prevent a War in Asia: The Erosion of American Deterrence Raises the Risk of Chinese Miscalculation”Foreign Affairs, June 18, 2020. |
⑨ | Joshua Shifrinson, “How Donald Trump Should Handle China’s Growing Power,” The National Interest, March 8, 2020. |
⑩ | Matthew Kroenig, “Pandemics Can Fast Forward the Rise and Fall of Great Powers”, The National Interest, March 23, 2020. |
附属資料:
2020年7月8日
世界のCOVID-19関連動向(2020年7月)
アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)主任研究員 相良祥之
米国および新興国における感染拡大
世界でCOVID-19の感染者数が急増している。新規感染者数は6月21日に過去最高となる183,020人を記録し、6月末時点で累計1,000万人を超えるとみられている。検査とサーベイランス(監視)体制の整備が進んでいることも背景にあるが、死者数で見ても、その拡大ぶりは明らかである。
世界で最も多くの感染者・死者を出している米国では、再開を急いだアリゾナ州、フロリダ州等で感染が急拡大しており、医療体制もひっ迫しつつある。6月24日の感染者数は全米で36,000人を超え1日当たり過去最多となった。感染爆発が起きたNY州は落ち着きを見せつつあり、クオモNY州知事は111日間連続で行ってきた記者会見を6月19日でいったん終了した。しかし全米規模の感染拡大の余波は避けられず、6月24日、クオモ知事は隣接するニュージャージー・コネチカット両州の知事と共同で記者会見を行い、感染率が高い州からの訪問者に対し14日間の隔離を求めた。なお、5月下旬から各地でBlack Lives Matter運動による大規模な抗議活動が行われてきたが、むしろデモを避けて自宅に留まった人々が増え、抗議活動と感染拡大との関連性は見られないとの研究結果が出ている1。
いち早く感染拡大を食い止めた豪州でも、第2波の懸念が高まっている。ビクトリア州(州都メルボルン)では6月19日に25人の感染が確認され、緩和されていた外出制限が再び導入された2。ドイツ、中国(北京)でも感染が再拡大している。
こうした中、感染の震源地は、ブラジル、インド、ロシア、メキシコなど新興国に移りつつある。ブラジルは6月21日に約5.5万人の新規感染者数を記録し、これまで累計で5万人以上がCOVID-19により亡くなったにもかかわらず、ロックダウンを緩めている。感染爆発が続いているインドでは、3月下旬にロックダウンが始まってから全国で1億2,000万人が失業、8割以上の家庭が収入減に直面した。各州政府はロックダウンを緩和し、州を越えた人の往来も再開しつつある3。しかし都市部で職を失った数百万人の出稼ぎ労働者が農村に帰る道中で感染を拡げ、感染者数増加に拍車をかけている4。これら一部の新興国は、命と健康より、経済を優先しつつある。
臨床研究の開発基盤と人材、COVID-19感染者データが見出した「デキサメタゾン」
日本はこれまで、人口当たりのCOVID-19感染者数や死亡者数をG7の中でも圧倒的に少なく抑え込んできた。他方で、G7のほかの欧米各国は、既に国内に普及していた電子カルテを利用しつつ、膨大な感染者のデータを集積し、COVID-19に関するランダム化臨床試験や疫学調査などの臨床研究を積極的に実施している。臨床研究により得られたエビデンスや論文を世界で発信・共有し、治療法・予防法を大きく深化させている。
6月16日、英国オックスフォード大学の研究チームは、6,400人のCOVID-19患者を対象としたランダム化臨床試験により、ステロイド系抗炎症薬「デキサメタゾン」が人工呼吸器の必要な重症例の死亡リスクを約35%減少させるという研究結果を公表した5。デキサメタゾンは喘息等のアレルギー性疾患、皮膚病など、多くの病気の治療で日本を含め世界中で頻繁に使われており、しかも、一バイアル(瓶)300円程度と安価に流通している古典的な薬である。この結果を受け英国政府はデキサメタゾンをCOVID-19の治療薬として承認した。重症患者の死亡率を下げる効果を世界で最初に示した研究として、このニュースは世界を駆け巡った。WHOは調査結果を歓迎し6、翌17日にはサウジアラビア7等も治療薬として承認した。
注目すべきは、英国で、数千人規模のCOVID-19患者を対象とした臨床試験が3月から5本、国民保健サービスを使って一気に実施されてきたことである(そのうち一本は日本で開発された「アクテムラ」に関するもの)8。これら臨床試験には英国の175もの病院、11,500人以上の患者が参加した。英国の約30万人のCOVID-19感染者の4%程度が参加した計算となる。英国でこれを可能にしたのは、大規模なランダム化臨床試験を即実施できる新規医療の臨床研究開発基盤、それを支える電子カルテと人材である。
他方、日本においてはカルテの電子化はまだこれから、医療者の臨床試験に対する知識も十分浸透していないし、規制により医師主導型の研究は実施し難い環境にある。この領域に対する研究費も諸外国と比較して少ない。また、幸いにもCOVID-19感染者総数が2万に満たない日本では、欧米ほどの感染者データの収集も望めない。今回の「デキサメタゾン」に関する研究結果公表は、日本の研究開発基盤が欧米や、これと競い合っている中国と比べ脆弱であることを示唆している。
すでにデキサメタゾンの争奪戦が始まりつつある。WHOは6月22日、この安価で世界中で使われている薬の増産を求めるとともに、真に必要とするCOVID-19重症患者に優先して使用されるべきと述べた9。南アフリカの後発医薬品(ジェネリック)大手で、サブサハラ・アフリカの医薬品市場で2割のシェアを誇るアスペンは、デキサメタゾン1,000万錠を1か月以内に供給でき、WHOやUNICEFから受注を受けたと明らかにしている10。
1 Dhaval M. Dave, Andrew I. Friedson, Kyutaro Matsuzawa, Joseph J. Sabia, and Samuel Safford, “Black Lives Matter Protests, Social Distancing, and COVID-19,” NBER Working Paper No. 27408, June 2020.
2 June 23, The Guardian, “Spike in Victoria coronavirus cases ‘certain’ to result in ‘significant community transmission‘”
3 JETROビジネス短信、6月10日付「ロックダウンの緩和、ムンバイやプネでも一部拡大」
4 朝日新聞、6月25日付「感染拡大と経済危機、二重苦にあえぐ新興国」
5 University of Oxford, 16 June 2020, “Dexamethasone reduces death in hospitalised patients with severe respiratory complications of COVID-19“
6 WHO, 16 June 2020, “WHO welcomes preliminary results about dexamethasone use in treating critically ill COVID-19 patients“
7 The official Saudi Press Agency, 17 June 2020, “Health Ministry Accredits Dexamethasone within Treatment Protocol of COVID-19 Patients“
8 RECOVERY (Randomised Evaluation of COVid-19 thERapY) (https://www.recoverytrial.net/)
9 WHO Director-General’s opening remarks at the media briefing on COVID-19 – 22 June 2020
10 Reuters, 24 June, “South Africa’s Aspen could supply 10 million dexamethasone pills in COVID-19 crisis”