米国大統領選挙を注視する日本の自動車産業(地経学ブリーフィング・塩野誠)



地経学ブリーフィング No.218
2024年8月28日

米国大統領選挙を注視する日本の自動車産業

新興技術グループ・グループ長 塩野誠

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自動車業界における電動化と知能化の波

日本の基幹産業である自動車産業では構造変化が起きており、気候変動対策としての二酸化炭素排出規制に対応する電動化(EV化)と自動運転・先進運転支援システム(AD/ADAS)のための知能化が進められてきた。この流れは自動車を、バッテリーとモーターで構成され、ソフトウエアが規定するマシンへと再定義している。自動車産業は環境政策(主に二酸化炭素排出規制)、ソフトウエアと半導体のサプライチェーン、関税政策といった要因に影響を受けており、日本の自動車産業も例外ではない。

日系自動車メーカーにとって米国市場は4割以上のシェアを占める重要な地域である。中国自動車メーカーが東南アジアでEVのシェアを拡大しており、米国市場は日系自動車メーカーが守るべき市場となっている。2024年11月の米国大統領選挙は、ハイブリッドを得意とする日系自動車メーカーが電動化を進める上で、米国の環境政策などを注視すべきものとなっている。言い換えれば米国の政策は日本の自動車産業にとっての地経学リスクとなっているのだ。ここでは日本の自動車業界から見た米国大統領選挙について整理していきたい。

2024年8月現在、共和党の大統領候補者はトランプ前大統領であり、バイデン大統領が選挙戦から撤退したことで、副大統領候補だったハリス氏が民主党の大統領候補となった。米国の政策の変遷について、環境政策、半導体サプライチェーン、関税という側面とその連動する姿を見ていきたい。トランプ氏の大統領時代(2017年1月~2021年1月)を振り返り、一方でバイデン政権の政策について考察することは民主党大統領候補のハリス氏が政策を引き継ぐ可能性から有用と考える。

 

オバマ、トランプ、バイデンの気候変動対策の変遷

2017年1月にオバマ政権を継いだトランプ氏は同年3月に「エネルギーの自立、経済成長促進のための大統領令」に署名した。これはオバマ政権からの政策転換であり、エネルギー開発の規制撤回と気候変動政策の見直しであった。これによりエネルギー自立を進めた上で、エネルギー支配を目指し、米国内の化石燃料を含むエネルギー開発へと回帰することとなった。そして米国に不利益をもたらし、2025年までには270万人の雇用を奪うという理由から、2017年6月、トランプ氏は地球温暖化対策の国際的協調の枠組みであるパリ協定からの離脱を発表した。また自動車業界に対しては2012年にオバマ政権が設定した企業平均燃費(CAFE : Corporate Average Fuel Economy Standard)の基準値の緩和を発表し、2020年、オバマ政権では毎年5%の燃費向上を規定したものを2026年までに1.5%へと修正した。これによりトランプ政権では規制コストが数千億ドル削減されると試算し、自動車業界が恩恵を受けるとしたが、業界からはコスト増になるという批判の声も上がった。

トランプ政権が終わり2021年1月に発足したバイデン政権では、バイデン氏が就任初日にパリ協定への復帰を決定し、前政権の環境規制の見直しを開始した。バイデン氏は大統領選挙時から2050年までのカーボンニュートラル実現を公約に掲げ、気候変動対策を優先政策課題の一つに挙げた。バイデン大統領は2030年までに50~52%(2005年対比)の温室効果ガス排出量の削減と2050年までに温室効果ガス排出量を実質ゼロにすると発表した。2021年8月には2030年までに新車の50%以上をEV、FCV(燃料電池自動車)とする大統領令を出した。自動車の企業平均燃費(CAFE)はトランプ政権での毎年1.5%の改善を修正し2032年までに乗用車の燃費を毎年2%、小型トラックの燃費を毎年4%改善という基準が示された。

 

バイデン政権のインフレ抑制法(IRA)によるEV支援

2022年8月、バイデン政権は気候変動対策と再生エネルギー関連予算として3,690億ドルの予算を投じるインフレ抑制法(IRA : Inflation Reduction Act)を成立させた。インフレ抑制法は2023年4月に施行され、自動車関連では、EV購入者に対する税額控除や工場に対する補助金や融資を規定した。同法のEV購入者向け税額控除プログラムは地理的要件が課せられており、日系自動車メーカーの注目を集めた。

インフレ抑制法では、車両の最終組み立て地が北米(米国、カナダ、メキシコ)であればクリーン自動車と認定され、次に車載バッテリーに使用される重要鉱物が米国または米国とのFTA締結国で採掘・加工されたもの、または北米でリサイクルされたもので価額が一定割合以上であれば3,750ドルの税額控除、次に車載バッテリー部品が北米で製造または組み立てられ、その価額が一定割合以上であれば3,750ドルの税額控除が付与され、最大で合計7,500ドルの税額控除を享受することができる。また当該プログラムは懸念される外国企業(Foreign Entity of Concern)がバッテリーのサプライチェーンに含まれている場合は適用除外となる。当該制度の地理的要件は日系自動車メーカーも影響を受ける可能性がある。2024年7月にはエネルギー省が国内工場をEV製造工場に改修するための補助金として、8州にある11工場に対し合計17億ドルの助成金を拠出することを発表した。選挙戦では、トランプ氏がバイデン政権の気候変動対策について「緑の詐欺(Green Scum)」と呼び、税金の無駄使いを終わらせると主張している。トランプ氏の主張する前政権からの政策変更は議会での承認を必要とし、一定のハードルが存在するが、執行に関与することも想定される。

 

CHIPSおよび科学法と半導体サプライチェーン

新型コロナウイルスのパンデミック時の混乱によって、自動車産業は半導体が枯渇し、製品が製造できない事態を経験した。現在の自動車はソフトウエアの塊であり、EVかハイブリッドに関わらず旧来のレガシー半導体も先端半導体も不可欠である。トランプ政権下の2017年12月に「重要鉱物の安全で信頼できる供給に向けた連邦政府戦略に関する大統領令13817号」が発出されている。この大統領令では国内で重要鉱物が埋蔵されているのにも関わらず、輸入に依存することの安全保障上の懸念が示されていた。2021年度国防授権法が成立し、先端技術分野での中国との緊張関係が後押しし、半導体分野への投資促進のための資金援助プログラムが規定された。

次のバイデン政権では2022年8月にCHIPSおよび科学法(CHIPSプラス)が成立し半導体産業向け資金援助プログラムが実施された。これにより米国の半導体研究、開発、製造の地位を強化し、再活性化するために商務省に500億ドルを提供し、米国の労働者への投資も行うこととなった。プログラムの研究開発オフィスは米国国内の研究開発エコシステムの構築に110億ドルを投資し、プログラムオフィスは米国国内の施設や設備への投資を促進するために390億ドルを充てることになった。

CHIPSプラス法により、2024年3月には半導体製造施設新設のためにインテルに最大85億ドルの助成、4月には台湾のTSMCへの最大66億ドルの助成が発表された。CHIPSプラス法は超党派で可決し、自動車業界を代表する米国自動車イノベーション協会(AAI)の支持を受けており、その中には日系自動車メーカーも会員として含まれる。バイデン政権では自動車産業に影響を与える半導体サプライチェーンの維持と脱中国化のために、多額の助成が行われて国内回帰が促進された。

CHIPSおよび科学法には拡張ガードレール条項が規定されており、助成を受けた企業は10年間にわたり、中国等の懸念国での半導体生産能力の拡張が制限される。また自動車の知能化としては、バイデン政権がコネクテッドカーなどの中国製車載ソフトウエアに安全保障上の懸念を示して調査を行っている。日本の自動車産業は、米国の自国第一主義と米中の経済ブロック化の中で、米国と中国のどちらを選ぶのかという選択を迫られている。

 

大統領選挙で主張される関税

米国の関税政策について2024年5月にバイデン政権で動きがあった。バイデン大統領が中国製EVに対して現在の25%から100%に引き上げ、EV用バッテリーや半導体の関税も引き上げると発表したのだ。選挙を控え、中国への強硬姿勢を示すことで国内の雇用維持を強調する意図があったと考えられる。一方で大統領時代に中国との貿易戦争を行ったトランプ氏は2024年の選挙戦において中国製品のすべてに60%の関税を課すこと、それ以外の米国への輸入品すべてに一律10%の関税を課すことを提案している。注目すべきは2024年7月の大統領候補指名受諾演説にて米国外で生産された自動車に最大200%の関税をかける方針を打ち出したことである。トランプ氏が再選された場合、関税政策が大きく変わる可能性がある。

一方で民主党大統領候補のハリス氏はバイデン政権の政策を継続し、極端な関税引き上げよりも日本やオランダといった半導体サプライチェーンを構成する国と協調した政策を志向することが想定される。トランプ再選により一律10%の関税が課された際には米国に対する相手国からの報復関税コストも生じるため、米国の消費者と貿易相手国のコスト増加が想定される。米国の輸入相手上位5国は順にメキシコ、中国、カナダ、ドイツ、日本である。日系自動車メーカーはメキシコに生産拠点を持ち米国に輸出しているため、トランプ氏の再選により関税引き上げが実行された場合には影響を受けることとなる。

日本の自動車業界は生産・販売台数を維持しつつ、電動化・知能化の流れに乗ろうとしており、ハイブリッド車からEV車へと、早過ぎず遅過ぎずに移行したいという思惑がある。そしてEV車に移行した際に米国市場を失うことは避けたい。バイデン政権を引き継ぎ、環境正義を掲げるハリス氏よりもトランプ大統領誕生の方が環境政策、関税において振れ幅が大きい可能性があるだろう。いずれの政権が誕生した場合でも日本の自動車業界は米国の政策への対応を迫られることだろう。

 

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著者


地経学ブリーフィングとは

「地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人
地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。

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