混濁する民主主義と権威主義(地経学ブリーフィング・細谷雄一)



地経学ブリーフィング No.209
2024年6月19日

混濁する民主主義と権威主義

アジア・パシフィック・イニシアティブ研究主幹
地経学研究所欧米グループ・グループ長
細谷 雄一

PDF版はこちら

 

「選挙イヤー」に揺らぐ民主主義

1973年から半世紀にわたって世界の自由や民主主義の指標を記した報告書、『世界における自由(Freedom in the World)』の刊行を続けてきたアメリカ人権団体のフリーダム・ハウスは、その50周年を記念する2023年度版の報告書の中で、2006年以降、17年連続で自由や民主主義が後退している実態を報じた。そして、権威主義体制が世界で勢いを増す中で、現在、歴史的に大きな転換点が近づいてきていることを指摘している。

とりわけ現在、大きな問題となっているのは、民主化を経て、繰り返し選挙が行われるようになった諸国の政治体制において、権威主義的な性質が強まっていることだ。たとえば最近ではジョージアで、外国から一定以上の資金提供を受ける団体やマスメディアを、実質的な「スパイ」とみなす「外国の影響力透明化に関する法律」、いわゆる「ロシア法」が発効した。これによって、ジョージアの民主主義は後退し、将来のEU加盟にも大きな影響が及ぶことが懸念されている。

今年は、「選挙イヤー」として、世界各地で選挙が行われており、一部の諸国でさらに民主主義が後退する可能性がある。とりわけ、11月に行われるアメリカの大統領選挙の結果がどのようなものになるかによって、世界史の行方は大きく変わっていくであろう。民主主義が大きく揺らいでいるのは、その選挙の結果によってのみではない。選挙のプロセスそれ自体においても、民主主義が大きく動揺している。欧米の民主主義諸国の選挙に対する、ロシアなどによる選挙干渉の疑いもまた、民主主義の土台を大きく揺るがしている。

なぜこれまで、民主主義は後退してきたのだろう。それにはいくつかの理由が考えられる。第一には、民主化は必ずしも経済成長を約束してくれるわけではないし、また低所得者層の生活状況の改善を保障してくれるわけでもない。むしろ、民主化後の多くの政権で、政治的腐敗や、内部分裂などの政局的な動きが顕著となり、それらの政権やその政権への失望が広がったことが指摘できる。第二には、中国やロシアなどの権威主義的な大国の影響力が拡大し、とりわけ経済的な利益を求めて中国との関係強化が権威主義体制の擁護に帰結する傾向が見られる。

 

民主主義か、勢力圏か?

ウクライナに侵攻をしたロシアは、その周辺国において自国に友好的な政権が成立することを、重要な安全保障上の利益と考えている。たとえば、旧ソ連構成国であり、現在は親欧米政権が率いているモルドバでは、年内にEU加盟に関する国民投票と、大統領選挙が想定されているが、再び自らの勢力圏に収めたいロシアは、現政権を転換させて親ロシア派の政権成立を試みていると疑われている。それゆえ、親欧米的なマイア・サンドゥ大統領は、ロシアが「政権転覆を企てている」と非難した。

このモルドバに対するロシアの干渉を考える際に、ロシアによるウクライナ侵攻から続く一連のプーチン大統領の国家戦略を見出すこともできる。それは、かつてのソ連の勢力圏を復活させる野望である。プーチン大統領は、ソ連解体によってロシアが自らの勢力圏を大幅に縮小してきたことに、しばしば不満を述べてきた。それゆえ、今年後半に大統領選挙やEU加盟の国民投票を控えるモルドバに対してロシア政府は、経済的な圧力や影響力工作を駆使して親欧米的なサンドゥ政権に大きな揺さぶりをかけている。とりわけ、AIを用いた偽動画の拡散などによって、その影響はよりいっそう深刻となっている。

ウクライナも、モルドバも、そして民主主義の後退が懸念されるジョージアも、かつてのソ連を構成する一部であった。他方で、同時にそれらの諸国は現在、国連加盟国であり、独立した主権国家である。それらの諸国における民主主義を重視するか、あるいはロシアが自らの勢力圏を回復することを優先するか。そのいずれかを重視するかによって、これからのユーラシア大陸における秩序は大きく異なる構図となるであろう。

ロシアは、たとえば周辺国の民主主義を大きく損なったとしても、そしてそれらの諸国の民意を踏みにじったとしても、自らの戦略的利益を優先して、それらの諸国で親ロ的な政権が成立することを求めるであろう。それは、普遍的な価値として民主主義の普及を使命としてきたフリーダム・ハウスの活動とも、さらには冷戦終結後に民主主義や、自由、人権、法の支配を拡大することを摸索してきたEUやNATOの努力とも、大きく異なる秩序観である。

たとえ、ロシアとウクライナの戦闘が停戦合意によって休止したとしても、このような将来の地域秩序をめぐる相克は持続する。また、そのことは地域の不安定化の温床となるであろう。その最初の試金石は、モルドバにおける国民投票および大統領選挙となるのではないか。

 

レジリエンスを示した民主主義

民主主義の後退が懸念されているのは、インドにおいても同様である。有権者数が約9億7千億人いる「世界最大の民主主義国」であるインドでは、6月4日の開票に至るまで、1ヶ月半にわたって総選挙の投票が行われた。インドは、2025年には名目国内総生産(GDP)において日本を抜いて世界第4位になると言われ、また2027年にはドイツを抜いて米中に次ぐ世界第3位になるとも言われている。米中間の戦略的利益が対立し、またさらにはグローバル・サウス諸国の重要性が指摘される中で、その盟主としての自負を有するインドと提携する戦略的重要性は高まっている。それゆえ、日米豪印4ヵ国協力のクアッドの枠組みなどを通じて、アメリカも日本も近年はインドとの連携をとりわけ重視している。

インドにおいては、モディ政権下での民主主義の後退と、権威主義的な性質の強化がこれまで懸念されてきたが、今回の総選挙ではむしろ、モディ首相率いるインド人民党(BJP)が議席を減らし、インドの民主主義のレジリエンスを示す結果となった。強力な野党が存在することは、民主主義にとって不可欠である。

同様にまた、アパルトヘイトが終わって全人種参加選挙から30年を迎える南アフリカでも、与党のアフリカ民族会議(ANC)が30年前のアパルトヘイト撤廃以後、はじめて過半数を割ることになった。汚職や失業、犯罪の増加など、生活の困難に直面する多くの人が、政権への批判票を投じたのである。南アフリカでは、政治的な不安が続きながらも、民主主義のレジリエンスが示されたといえる。他方で、グローバル・サウスの中核に位置するインドや南アフリカが今後どのような対外行動を示すかは、世界情勢にも大きな影響を与えるだろう。

スウェーデンの独立調査機関V-Dem研究所は、今年の3月7日に発表した年次報告書の「民主主義レポート2024」で、2023年の「自由民主主義指数」は、冷戦期の1985年の水準まで後退したことを指摘した。冷戦終結直後に見られた、自由民主主義が世界に拡大していくことへの楽観的な期待感は、今では大きく消散したというべきであろう。

 

権威主義と民主主義の混濁

現代の世界では、民主主義と権威主義を二元論的に分類することは困難である。いわば、民主主義の後退が見られる諸国と、権威主義体制から民主主義体制へと移行する諸国が混濁し、権威主義と民主主義の境界線がより不明瞭となっているのが現在の世界であろう。かつて、世界経済の主要国の上位は、アメリカ、日本、ドイツといった民主主義諸国が占めていた。これが2027年には、アメリカ、中国、インドが上位3カ国となる。今年の大統領選挙でしばしば民主主義的な価値観や法の支配を攻撃するドナルド・トランプが勝利を収め、また多くの諸国でポピュリズム的な極右政党が台頭すれば、世界はよりいっそう権威主義的な性質を強めるかも知れない。日本政府もまた、いわゆるグローバル・サウス諸国との関係強化を模索して、その一環としてこれまでよりも「民主主義」という価値を強調することを控えるようになった。

民主主義諸国の権威主義化と、権威主義諸国における選挙の重視が同時並行で進行するとともに、この両方の政治体制の特質を備えた諸国も見られるようになった。そこには、インドや、トルコや、南アフリカのようなG20諸国も含まれる。世界ではよりいっそう、権威主義と民主主義が混濁する政治が主流となり、この二つの政治体制の対立の構図としては理解できなくなっている。今年の3月21日に、韓国が主催国となった「民主主義サミット」においても、その議長総括においてより柔軟で、多元的な民主主義の価値を強調するようになったのは、そのような傾向を背景としているのだろう。それに適合するような、より柔軟で、より包摂的な外交戦略が、日本には求められている。

 

この記事をシェアする

 

著者


地経学ブリーフィングとは

「地経学ブリーフィング」とは、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを精査することを目指し、アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)のシニアフェロー・研究員を中心とする執筆陣が、週次で発信するブリーフィング・ノートです(編集長:鈴木一人
地経学研究所長、東京大学公共政策大学院教授)。

最新コンテンツ

最新の論考や研究活動について配信しています