「国民安全保障国家論――緊急提言「ポスト・コロナ時代」の国家構想(上)」


本稿は、新潮社Foresight(フォーサイト)にも掲載されています。
https://www.fsight.jp/articles/-/48272

「国民安全保障国家論――緊急提言「ポスト・コロナ時代」の国家構想(上)

FUNABASHI Yoichi © Seiichi Otsuka

2021年9月21日

アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)理事長 船橋洋一

概要:
コロナ危機は日本の「有事」に対する脆弱性を極めて明確に教えている。政府・国家の体制、法制、組織文化、リーダーシップにビジョンとガバナンスを欠いたその姿は、戦後日本が安全保障の観点から国家統治を見直す機会を先送りしてきたからに他ならない。政府と国民が自らを守るために協業する国家と社会の形=「国民安全保障国家」(national security state)の構築を急げ。

目次:
平時不作為体制が“泥縄貧乏”の危機対応を生む
軍事脅威に劣らない非軍事脅威の挑戦
日本の危機対応の弱さは国家安全保障リテラシーの欠如

平時不作為体制が“泥縄貧乏”の危機対応を生む

菅義偉首相の退陣は、1年前の安倍晋三首相の辞任同様、コロナ危機の下、日本の政治指導者が政府の危機管理体制不全と国民との信頼関係の欠如と自身の肉体的あるいは政治的な極度のストレスを克服できないまま「泥縄」の対応を重ねた挙句、退場を迫られた、すなわち国家的危機における危機管理の失敗の帰結でもある。

デルタ株のコロナ感染が日本を覆った。この夏、政府は4回目の緊急事態宣言発出を余儀なくされた。ワクチン接種を急ピッチで進めたものの、感染拡大は止まらず、各地で医療ひっ迫が起こった。欧米諸国よりはるかに多い病床数(人口比)を有するにもかかわらず、欧米諸国よりはるかに少ない治療必要患者(同)を病院に入院させることができず、自宅やホテルなどで死亡する例が相次いだ。80%の国民が政府の病床確保策に「不安を感じる」と答えた。菅義偉内閣の支持率は30%を割り込んだ。

2020年春以降の政府の取り組みは、感染者の追跡もマスク配布もPCR等検査も感染者用の病床確保もワクチン接種も、それこそ泥縄に次ぐ泥縄だった。1人10万円を配る「特別定額給付金」のオンライン申請では、誤入力や重複申請が相次ぎ、自治体の職員がデータ照合に追われた。企業が働き手に払う休業手当の費用を支援する「雇用調整助成金」もシステムトラブルを起こし、オンライン申請は一時停止に追い込まれた。感染者との接触を知らせるスマホアプリCOCOAは、4カ月以上も不具合が放置されていた。ワクチン・パスポート(感染症予防接種証明書)を導入するにしても、自治体ごとに別々のアプリを使って接種証明書を発給している状態で依然、日本は「デジタル敗戦」から抜け出せない。

常日頃、「国民の安全・安心」を政治の最優先課題のように唱えているのにいざという時、日本政府は国民を守ることができないのではないか、と国民は感じている。憲法第25条は「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と謳っている。国は、その義務を果たしていないのではないか、と国民は不安である。

もともと日本の感染症対応の法体系は、長期間にわたる蔓延防止措置を想定した設計となっていない。強制力をもって営業停止や移動制限などの私権制限を課すロックダウンのための法的措置も用意されていない。尾身茂新型コロナウイルス感染症対策分科会会長は8月の記者会見で「個人に感染リスクを避けてもらうことを可能にするような新たな法的な仕組みの構築……法的な仕組みの検討だけは早急に議論していただきたい」と訴えた。

今年2月の新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正では、営業の自由と移動の自由の制限を必要に応じて「要請」ではなく「命令」もできるようにし、「罰則」規定も導入したが、刑事罰ではなく前科が残らない行政罰とし、過料も最低限に留めたこともあってその効果は疑問である(実際のところ、この間、過料が決定されたケースは都内の4店の時短違反のみであり、効果を測定できるほどのデータもない)。

緊急事態宣言は首相が発するが、休業要請の権限も蔓延防止措置も医療体制維持のための広範な権限も都道府県知事にあり、国には県に具体的に指示する権限はない。新型インフルエンザ特別措置法の上では、国は各自治体の対策措置について「総合調整」を行うことができる。自治体が所要の措置を取らない場合には、国は自治体に対して「必要な指示」(第33条第1項)を出すこともできる。しかし、政府と自治体の協同作業は難航した。2020年春の第一波の際の対応について、西村康稔コロナ対策担当相は「政府の側も、自治体の側も相場観がわからなかった」と述べたが、いまもなお、「相場観」なるものを双方が共有しているようには見えない。全国知事会は8月20日、「全国的な感染爆発を抑えるため、いわゆる『ロックダウン』のような、徹底した人流抑制策について、緊急的時限措置として国の責任の下で、特措法・旅館業法等必要な法整備の検討」を政府に求めた。しかし、菅首相は欧米のロックダウンもそれほど効果を挙げなかったことなどを理由に「私権の制限」への法的措置には慎重姿勢を崩さなかった。

コロナ危機は、私たちに日本が国家も社会も国家的危機に極めて脆弱な体制であり、危機を国家安全保障の課題として捉える意識と態勢が不十分であることを教えている。日本は、有事の際、国民を守るための政府と国家の体制、法制、規制、組織文化、リーダーシップのあるべき姿についてビジョンとガバナンスを欠いている。平時において有事に対する事態準備行動(preparedness)に取り組むことを忌避する不作為によって、有事における事態対処行動(response)はその場限りの泥縄的取り組みとならざるをえない。また、それ故にそこでの学習と教訓を次の危機対応に戦略的に活かすことができない。コロナウイルス感染症に対する日本政府の対応を検証した民間臨調(新型コロナ対応・民間臨時調査会)の報告書は、第一波の対応を「泥縄だったけど、結果オーライ」と形容した官邸スタッフの総括を紹介しているが、その場しのぎの“泥縄貧乏”が構造的に日本を危機に弱い国にしている。

戦後の「平和憲法国家」は、湾岸戦争でその「一国平和主義」が、福島原発事故でその「絶対安全神話」(ゼロ・リスクの建前)が、それぞれに問われた。いま、コロナ危機において、その「平時不作為体制」が問われている。

日本は、平時において、その法制度と規制と行政機構とインテリジェンスと人的資源、つまりは国家統治を安全保障の観点から見直し、有事の体制を構築するべきである。安全保障とは、「国民の生命と財産の安全および国家としての価値の保全を保障する」ことである。患者を受け入れるために病床確保などを政府や都道府県が病院により強く求めるための法改正を「必要だと思う」と答えた人は全体の73%を占め、「必要だとは思わない」の18%を大きく上回った(日本経済新聞、8月27~29日世論調査)。パンデミックや大規模災害に対応するため、緊急事態条項を新設する憲法改正が「必要だ」とした人は57%に上り、「必要ない」の42%を上回った(共同通信5月1日記事、調査は3月〜4月)。政府は、そうした国民の声を真摯に受け止めるべきである。国家危機の際、平時を有事のモードに迅速かつ効果的に切り替え、国が国民をよりよく守り、そして国民も当事者意識をもって危機対応に積極的に参画する体制を構築するべきである。その際、日本の安全保障・危機管理の中にレジリエンス(強靭性)の概念を含める必要がある。現在の国民保護法制のなかに、戦後復興や生活再建のための法律はない。「それはその時になったら」という考え方が支配的だからだと説明されているが、内実は「戦後」(あるいは災後)という言葉が戦争(災害)容認的なイメージを孕んでしまうからではないか。有事となり打撃を受けても短期間で復興できる「有事後」の青写真を描くことができない、そのように「戦時」に「戦後」を構想できない想像力萎縮は今回のコロナ危機においても変わらない。

コロナ危機後の日本の「戦後」構想は、政府と国民が自らを守るために協業する国家と社会の形、すなわち「国民安全保障国家」(national security state)ともいうべき新たな国家像を志向するプロジェクトとなるであろう。ここで「国民安全保障国家」とは、政府と国民が、実存的脅威に対して、「公共の福祉」(憲法第13条)を維持するために、市民の自由と人権を一時的に制約する社会契約と協働に基づき、安全保障とレジリエンスを確保、強化する国と社会の形、と定義できる。[1]

軍事脅威に劣らない非軍事脅威の挑戦

①民主主義の脆弱性と専制体制の攻勢
21世紀、脅威は多様化し、狂暴化し、人間社会に対する実存的脅威として立ち現れている。核兵器・大量破壊兵器の拡散、大規模テロ、パンデミック、重要インフラに対するサイバー攻撃、気候変動、水不足、食糧危機、制御不能な新技術の変異などである。例えば、ケンブリッジ大学と豪国立大学の研究者は、「パンデミック、気候変動、格差」の三つを「今世紀最大の脅威」に挙げている。さらには、これらの新たな脅威に対して国家や国際機関が先手を打って対応できないガバナンスの危機も深刻である。

なかでも、こうした実存的機に対する民主主義の対応力のありように疑問符がつけられている。今回のコロナ危機を通じて、中国のような専制国家体制の方が日本を含む民主主義国の政治体制より効果的に対応できるのではないか、との受け止め方が広がった。中国は世界にそう信じ込ませようとしているように見える。中国の王毅外相は2020年2月の段階で「中国共産党の揺るぎない指導、国家の強大な動員能力、挙国体制という制度的優位性のある中国には、新型肺炎に早期に完全勝利する能力があり、勝算があると我々は確信している」と“勝利宣言”をしている。また、高強元衛生相は、『人民日報』紙上で、「英米のいわゆる“ウィズ・コロナ”が何波にもわたる感染の氾濫を引き起こしている」とし、「彼らの政治制度の欠陥がこうした事態を招き入れている、それは個人主義崇拝の価値観の必然の結果である」と批判している。ロックダウンを完璧に実施できる監視国家体制が専制政治体制の長期的な「パフォーマンス正当性(performance legitimacy)」の優位性を保証するわけではないにしても、短期的には中国の徹底的な感染地域の封鎖と感染封じ込めの作戦が効果を挙げたことは間違いない。パンデミック対応にあっては、国民個々のプライバシーの尊重より社会全体の安全を優先させることが結果的に個々人の安全を守ることにつながる側面もある。この点では、往々にして専制政治体制が優位性を持ちうる。英国の科学者・環境主義者のジェームズ・ラブロック(ガイア理論の提唱者)が気候変動についても中国のような専制国家体制の方がよりよく備えることができると述べているように、民主主義体制が国家的危機の際に不可欠な中央集権的指揮命令の貫徹と「政府一丸」かつ「社会一丸」の取り組みを苦手とすることは否めない。

国家的危機対応のような「大事業」における民主主義国の弱さは、『アメリカのデモクラシー』を著わしたアレクシス・ド・トクヴィルがつとに指摘したところである。

トクヴィルは、次のように述べている。

「大事業の細部を調整し、計画を見失わず、障害を押して断固としてその実現を図るということになると、民主政治はこれを容易にはなしえまい。秘密の措置を案出し、その結果を忍耐強く待つことは民主政治にはなかなかできない。」[2]

SNS時代の民主主義国の市民は日々、格付けされる各国ごとの、また政治体制間の「パフォーマンス」を知っており、民主主義国体制の“不甲斐なさ”を思い知らされている。政治学者のヤン・ヴェルナー・ミュラー・プリンストン大学教授が言うように「民主主義というのは自由、平等、不確実性」の謂いであり、「ポピュリストたちはこの不確実性が我慢できない」[3]。コロナ危機が長期化し、政府のコロナ対応に対する人々の不満が高まると、「結果正当性」と「パフォーマンス正当性」への国民の希求は高まるだろう。明快な回答と確実な明日を約束する強権ポピュリストに人々は惹かれるかもしれない。

②技術の巨大化、インフラ化、個の解体化による実存的リスク
次に、技術の巨大化とインフラ化、さらには個々人の個の解体化という実存的リスクである。技術が巨大化し、国民生活に不可欠なインフラとなると、政府はそれを活用するとともに制御する必要に迫られる。20世紀以降、原子力とその平和利用である原子力発電がこうした巨大な社会リスクをもっとも危うい形で示して来た。今世紀に入ってからはAI(人工知能)とバイオをはじめとする第四次産業革命がその受益とリスクそれぞれの巨大さ故に深刻な挑戦を我々に投げかけている。ユヴァル・ノア・ハラリが警鐘を鳴らしたように「ビッグデータとアルゴリズムをバイオと結びつける」ことで「精液から幼虫、子宮から墓石(sperm to worm,womb to tomb)まで人間生活を丸ごと制御することにより「個と個性の解体」(de-personalization)を生じさせる恐ろしい世界が現出するかもしれない。

③サイバー空間の「非平和」と「積極防衛」
さらに、サイバー空間とサイバー・フィジカル空間の膨張が及ぼす脅威である。サイバー空間も宇宙空間も平和ではないが戦争でもない「非平和」な状態へと突入している。米国はすでにロシアに対して、ロシアの電力網の中に米国が侵入していることを知らせている、とニューヨーク・タイムズ紙は報道している[4]。そうした「前方防衛(forward defense)」の姿勢を示すことで、ロシアが米国の大統領選挙に再び、サイバー介入し、政治的影響工作をさせないための抑止力を働かせようとしている。今年5月、米東海岸の燃料輸送の最大の動脈である石油パイプライン「コロニアル・パイプライン」がサイバー攻撃を受け、1週間の操業停止に追い込まれた。バイデン政権は、この身代金要求型ウイルス(ランサムウェア)攻撃に対して犯人を特定し、報復を示唆し、交渉の結果、ランサム(身代金)の85%を回収した。このような外部のインターネットと接続された重要インフラに対するサイバー攻撃は、サイバー・フィジカル領域が広がれば広がるほど増大する。サイバー・セキュリティの失敗によりネットワークにマルウェアが埋め込まれれば、スマホのネットワークの最先端のローカル局が一斉にダウンし、端末間の通信が遮断され、国民は、死活的なコミュニケーションの手段を失うことになりかねない。サイバー・フィジカルに関する最大の実存的危機は、電力の大規模停電(ブラックアウト)である。

四半世紀前、インターネットの夜明けの時代、国境を超えた、国家権力の容喙を許さない、世界のすべての人々のカルティエ・ラタンとしてのインターネット・ユートピアが語られた。そうした牧歌的な時代はとうに終わり、現在、各国とも国富と国力と国家安全保障のためにサイバー空間を最大限、活用する国家サイバー・パワー(national cyber power)の極大化を追求している。[5]

④米中対立
そして、地政学と地経学的脅威の増大、なかでも米中対立の激化と既存の国際秩序とルールの崩壊である。

政治学者のマンサー・オルソンがかつて説いたように、戦後、ドイツと日本の経済の奇跡を可能にしたのは、敗戦によって既得権益層が破壊され、解き放たれた「ディスラプティブ」効果だった。いま、戦後の奇跡を生んだ先進工業国の産業体制は「レガシー」(遺制)と化し、そこを踏み台にして中国が蛙飛び(リープフロッグ)で「軍民融合」的かつ社会監視型の国家資本主義モデルを追求している形である。中国の挑戦は、技術、経済、金融・通貨システム、社会組織原則、政治体制、国家観、国際秩序観、価値観のすべてにわたっている。

その際、中国はそうした地政学的目的を達成するのに、市場力とサプライチェーン力を最大限、発揮しようとしている。習近平中国国家主席の表現を使えば、そのパワーとは「巨大市場の魅力により諸外国の投資・技術を引き付ける拉緊(引力)」であり、「自主的・コントロール可能な中国サプライチェーンへ他国を依存させ、外部からのサプライチェーン断絶に対する強力な反撃力と抑止力」である。

一方、米国も共和、民主両政党とも貿易政策、産業政策、科学・技術政策、移民政策も「アメリカ・ファースト」へと傾斜しており、保護主義的かつ一国主義的な色彩を強めている。それは中国の国家資本主義・社会監視体制とは別の形で「自由で開かれた国際秩序」とアジア太平洋の平和と安定にマイナスの影響を及ぼす恐れがある。米国内政治の「大分断」が、中国を仮想敵国として凝固させ、米国を硬直的な反中姿勢に向かわせる危険もある。

人民元(デジタル通貨を含む)とドル、「一帯一路(BRI)」と「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」、5Gネットワークをめぐる主導権争い、米中双方の半導体、大規模電池、医療品・機器をはじめとするサプライチェーンの支配力形成の動きの中で、米中との経済相互依存の深い日本をはじめとする国々は大きな地経学的リスクにさらされている。米中双方とも相手を脅威とみなし、それを減殺するための法整備を急いでいる。米国の対中貿易・投資規制の法令を遵守しようとすれば、中国の対米貿易・投資規制の法令に違反することになる。その逆もまた真である。「政経分離」の棲み分けはもはや成り立たない。

日本の危機対応の弱さは国家安全保障リテラシーの欠如

WHO(世界保健機関)で感染症危機管理に携わった阿部圭史が『感染症の国家戦略』[6]で指摘したように、日本は核兵器(A)、生物兵器(B)、化学兵器(C)、災害(D)のABCDのすべてにおいて被災を 経験している世界で唯一の国である。すなわち、1945年の広島と長崎における米国の原爆投下、1993年のオウム真理教の炭疽菌噴霧による生物テロ未遂事件(亀戸異臭事件)、1994年と1995年にオウム真理教がサリンを散布した一連の化学テロ事件(松本サリン事件、地下鉄サリン事件)、2011年の東日本大震災(およびそれに伴う福島第一原子力発電所の炉心溶融=メルトダウン)による放射性物資漏出事故)である。

このように日本はABCDの被害者であるにも拘らず、これらの脅威に対する危機管理と安全保障の体制が不十分であり、それは今回のコロナ危機で改めて露わになった。民間臨調が検証したように、危機管理の状況認識(situational awareness)、司令塔、指揮命令系統、インテリジェンス、デジタル・トランスフォーメーション、危機コミュニケーション、国産ワクチン・医薬品の開発・生産体制、世界標準と国際ルールへの働きかけ、知財保護、海外発信、そしてそれらを可能にする法整備のどれもが未熟かつ不具合だった。

日本の危機対応には安全保障の観点が欠如している。国家安全保障リテラシーを欠いているのだ。

一方、米国の場合、トランプ政権のコロナ対応は杜撰で、過度に政治化し、感染症抑制に失敗したものの、新型コロナウイルスワクチンの開発・生産では目覚ましい成果を上げた。米国は、2001年の同時多発テロの直後の炭疽菌テロの経験から、生物兵器のテロに対する備えを明確に安全保障として位置付け、バイオテクノロジーに関する研究開発強化のために保険福祉省の中に生物医学先端研究開発局(Biomedical Advanced Research and Development Authority: BARDA)を設置、ワクチン開発の基礎研究などに注力してきた。その成果の一つが、驚異的なスピードで進められたmRNAワクチン開発である。

さらに米国は、2013年から16年にかけて西アフリカで発生したエボラ出血熱のエピデミックへの対応をその後のバイオ防衛強化へとつなげた。エボラ出血熱は2万9000人の感染者と1万1000人の死亡者を出した過去最大規模のエピデミックである。発生後、米国の「バイオ防衛のための国家ビジョン委員会」は「米国は自然に発生するものにも、事故で発生するものにも、故意に引き起こされるものにも、大規模な感染症エピデミックに対してはどれも備えがない」と警告した。バイオ防衛を新興感染症のパンデミックをも含む国家安全保障の一環としての健康安全保障体制へと再構築したのである。

その新たな枠組みの下、米政府は2020年5月、「新型コロナに対するワクチン、治療薬、診断薬の開発、製造、配送を助け、2021年1月までに安全で効果的なワクチンを開発し、3億回分を生産し、接種を開始する」ことを目標にワープ・スピード作戦(Operation Warp Speed=OWS)を立ち上げた。けん引役を担ったのはBARDAである。ワクチンの開発・製造・流通に128億ドル以上もの予算を投じ、通常であれば10年かかるワクチン開発をほぼ1年で実現した。民間臨調の共同主査を務めた浦島充佳東京慈恵会医科大学教授は、「地下鉄サリン事件から学ばなかった日本と炭疽菌テロから多くを学んだアメリカ。この違いが20年以上の時を経て新型コロナに対するワクチン開発力の差となって表われた」と指摘している。国家安全保障リテラシーに対する彼我の差が「ワクチン開発力の差」をもたらしたともいえよう。[7]

国家安全保障リテラシーの欠如が命取りとなったもう一つの例が、福島原発事故である。2002年2月、米原子力規制委員会(NRC)は「各事業者は爆発または火災によってプラントの大規模な機能喪失が発生した状況においても、炉心冷却、格納容器の機能及び使用済み燃料プールの冷却機能を維持・回復するためのガイダンス及び戦略を実施し発展させなければならない」との命令(B5条b項)を発した(その後、連邦規則基準に格上げされた)。米NRCの担当者が複数回、日本を訪れ、日本の規制当局にこの条項に沿う形で規制強化を申し入れたが、日本側は「聞き置く」姿勢に終始した。米側との会談では日本側から「日本ではあのようなテロは起きませんから」という発言もあったという。結果的に、日本政府は、9・11テロ後米政府が導入したB.5.bと呼ばれる対原発テロ対策を無視した。全電源喪失(SBO)を「想定外」とする原子力安全規制における「絶対安全神話」の岩盤を、「国家安全保障」の緊急性と必要性が打ち破ることができたかもしれないのに、それは失われた機会となった。

事故後、班目春樹元原子力安全委員会委員長は次のような反省の弁を述べている。

「B.5.bなんかに至っては、原子力安全委員会は実はまったく知らなかった。今回初めて知って、ああ、これをもっとちゃんと読み込んでおくべきであった。あれがたまたま核セキュリティーの方の話としてあったものですから、(原子力)安全委員会の所掌ではなくて原子力委員会の方の所掌で(あると思っていました)」[8]

ここまで感染症対策・ワクチン開発体制と原子力安全規制体制における国家安全保障リテラシーの欠如の例を見てきたが、もう一つ、日本の国家としての危機管理上のもっとも脆弱な環としてサイバー・セキュリティを挙げなければならない。「もっとも脆弱」とあえて形容したのは、すでにマルウェアが埋め込まれているのにそれに気づいていない、つまり状況認識の失敗がこの分野では際立っている恐れがあるからである。

日本政府は2015年1月、内閣官房にNISC(内閣サイバーセキュリティセンター)と呼ばれる対応部署を設けたが、NISCの役割は現時点では各省庁の連絡・調整を主とする政策調整が中心であり、日本のサイバー・セキュリティ作戦の司令塔ではない。

また、電力、通信、航空、空港、鉄道、ガス、医療、水道、金融などの14の重要インフラ分野はインターネットと接続するサイバー・フィジカルの側面を増大させており、そこに対する大規模・組織的なサイバー攻撃は国民の生命と財産に重大な影響を与える。なかでも、日本の発電所、変電所、送電線などの電力インフラは、サイバー攻撃にも、電磁波(EMP)攻撃にもきわめて脆弱であると見られている。さらに近年、データセンター、電波、決済、ロボット制御、国民の機微個人情報、個人認証、デジタル人材など産業横断的に広がりつつあるデジタルインフラも重要インフラとして取り扱うべきである。重要インフラの再定義を急がなければならない。本来であれば、自衛隊のサイバー部隊が電力や通信などの重要インフラは保護すべきである。電力が破壊されれば、自衛隊の継戦能力も大きく損なわれるし、米軍基地も打撃を受け、日米同盟の運営にも支障が出る。しかし、自衛隊のサイバー部隊は日本の軍事資産のサイバー・セキュリティを任務としている。警察庁もこのほど遅ればせながらサイバー局を設置したが、欧米で行われているような容疑者にウイルスを送り込む「ポリスウエア」は日本ではウイルス供用罪や憲法に保証された「通信の秘密」に抵触するため行えず、サイバー犯罪に対する海外との捜査協力もままならない。

兼原信克元国家安全保障局次長(元官房副長官補)は、「今のままでは、サイバー空間は日本のマジノ線になる」と警告を発している[9]。400キロに及んだフランスの対独要塞線(マジノ線)がその一番弱いところをドイツに見破られ、突破されたように、司令塔なき守り一辺倒のサイバー要塞は役に立たないと見るのである。

ロンドンの国際戦略研究所(IISS)はこのほど、世界15カ国のサイバー・デジタル分野の総合的実力評価を公表したが、それによると米国がトップ、二番手に中国、ロシア、イスラエル、英国、フランス、オーストラリア、カナダがつけ、日本はイラン、インド、インドネシア、北朝鮮と並ぶ第三列に格付けされている。日本の課題としては、軍事的サイバー戦略の未確立とサイバー・インテリジェンスの脆弱性を挙げており、シグナル・インテリジェンスとサイバー監視の面から憲法第21条の「通信の秘密は、これを侵してはならない」との禁止条項がこれらの能力を発展させる上で制約となっている、と指摘している。 (続く)

*『国民安全保障国家論――緊急提言「ポスト・コロナ時代」の国家構想(下)』はこちらからお読みください。


[1] 憲法第12条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利」を「国民は濫用してはならない」こと、また「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」ことを規定している。さらに第13条は「国民の権利」については、「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と記している。
[2] トクヴィル『アメリカのデモクラシー』第1巻(下)松本礼二訳(岩波文庫、2005年)、p.108
[3] Jan-Werner Muller, Democracy rules (Allen Lane, 2021)
[4] Max Fisher, “Constant but Camouflaged, Flurry of Cyberattacks Offers Glimpse of New Era”, New York Times, July 20, 2021
[5] ハーバード大学ベルファ・センターのNational Cyber Power Index(NCPI)は、Cyber Intent Index(CII)、Cyber Capability Index(CCI)を組み合わせ、(1)サイバー手段を用いて複数の国家目標を追求する意図と、(2)それらの目標を達成するための能力を有する、サイバーアクターとしての国の「包括性」を測る指標。米国、中国、英国がトップ3を占め、日本は第9位。
[6] 阿部圭史『感染症の国家戦略 日本の安全保障と危機管理』(東洋経済新報社、2021年)
[7] 浦島充佳、「日本と米国「ワクチン開発力」広がった根本的要因」、『API地経学ブリーフィング』(2021年7月5日)
[8] 船橋洋一『カウントダウン・メルトダウン』(文藝春秋、2012年)、p.115
[9] 兼原信克『安全保障戦略』(日経BP、2021年)、p.192